70年代~80年代の日本は、50年代半ばから始まった高度成長期、さらには、オリンピック、大阪万博の勢いも手伝って、モー娘の歌詞にもあるような「世界が羨む」国家でした。当時、日本に来た中国人留学生は、整然としたビル郡、時間通りに網の目のように走る電車や地下鉄、舗装された道路に新車、若者の海外旅行ブームにマンション投資ブーム、文革の傷が癒えたばかりの中国からすると目を疑うような光景だったかも知れません。
が、ここ上海で、昨日は浦東の高層ビル郡を歩き、今日は高級ベンツを運転する40代女性経営者に送迎してもらい、1億円以上もするマンションを拝見しました。巷では、結婚の条件は家付き、それも2件以上などと言う話を漏れ聞くにつれ、少なくとも上海は、あの頃の日本になっています。車の運転だけは昔の大阪並みですが、地下鉄は網の目のように走り、信号を守る人も増えてきた・・・もちろん、上海市内だけでも、格差は甚だしいものはありますが、表面的に見える風景、光景は、世界が羨む国際都市になっています。
一昔前までは、大企業の駐在員と言えば、こちらではお金持ちの代表でした。手厚い手当てに、限られた任期、生産管理が中心だったこともあり、多少の不便はあるものの、物価格差からすれば優雅な駐在ライフだったのかも知れません。が、今や、市場としての中国にチャレンジするためには、よほど体力とブランド力と技術力がある大企業は除いて、どの業界でも厳しい競争が待っています。ましてや、私のような中小企業では、この街で利益を稼ぎ出して成功することは至難の業。一部の中国の優雅な暮らしを目の当たりにして、途方にくれる時もあります。私の会社でも、中国人スタッフのご両親はハイクラスの方々、社長の私が一番貧乏かも知れません。実際に、何倍にも跳ね上がった上海のマンション、私には手も足も出ません。
もちろん、中国と言う国家全体の伸び率が10%近いわけですから、0%、あるいはマイナス成長の日本と比較すれば、その格差は疑いようのない事実。実際、日本の市場をあきらめて、半ば苦し紛れに中国に来る人は後を絶たず、これを「進出」と言うと聞こえはいいですが、私には「出稼ぎ」に見えます。
中国人、中国と一括りにすることの問題は以前にも述べましたし、高度成長期に汗水たらして働いていた日本と比べると中身が違っていて、現在の中国の成長は、国家の営業力(外資の投資、税金)、株式や不動産バブル、役人・軍人等の特権階級の影響力が成長を促しているようには思えます。ま、それでも国家に営業力があることは凄いです。
出稼ぎを余儀なくされる日本人、これからの日本の目標は、中国に追いつけ!追い越せ!かも知れません。
が、ここ上海で、昨日は浦東の高層ビル郡を歩き、今日は高級ベンツを運転する40代女性経営者に送迎してもらい、1億円以上もするマンションを拝見しました。巷では、結婚の条件は家付き、それも2件以上などと言う話を漏れ聞くにつれ、少なくとも上海は、あの頃の日本になっています。車の運転だけは昔の大阪並みですが、地下鉄は網の目のように走り、信号を守る人も増えてきた・・・もちろん、上海市内だけでも、格差は甚だしいものはありますが、表面的に見える風景、光景は、世界が羨む国際都市になっています。
一昔前までは、大企業の駐在員と言えば、こちらではお金持ちの代表でした。手厚い手当てに、限られた任期、生産管理が中心だったこともあり、多少の不便はあるものの、物価格差からすれば優雅な駐在ライフだったのかも知れません。が、今や、市場としての中国にチャレンジするためには、よほど体力とブランド力と技術力がある大企業は除いて、どの業界でも厳しい競争が待っています。ましてや、私のような中小企業では、この街で利益を稼ぎ出して成功することは至難の業。一部の中国の優雅な暮らしを目の当たりにして、途方にくれる時もあります。私の会社でも、中国人スタッフのご両親はハイクラスの方々、社長の私が一番貧乏かも知れません。実際に、何倍にも跳ね上がった上海のマンション、私には手も足も出ません。
もちろん、中国と言う国家全体の伸び率が10%近いわけですから、0%、あるいはマイナス成長の日本と比較すれば、その格差は疑いようのない事実。実際、日本の市場をあきらめて、半ば苦し紛れに中国に来る人は後を絶たず、これを「進出」と言うと聞こえはいいですが、私には「出稼ぎ」に見えます。
中国人、中国と一括りにすることの問題は以前にも述べましたし、高度成長期に汗水たらして働いていた日本と比べると中身が違っていて、現在の中国の成長は、国家の営業力(外資の投資、税金)、株式や不動産バブル、役人・軍人等の特権階級の影響力が成長を促しているようには思えます。ま、それでも国家に営業力があることは凄いです。
出稼ぎを余儀なくされる日本人、これからの日本の目標は、中国に追いつけ!追い越せ!かも知れません。