さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

姐さんの憲法論(36)~「憲法について、いま私が考えること」から(2)~

2021-02-19 | 姐さんの憲法論

姐さん、では今回は女性作家の松本侑子さん(1963年生まれ)の、「日本憲法がなかった時代の人々を小説に書いて感じたこと」を照会します。

フォト

 

 

 

 

 

 

お願いします。

明治天皇の侍講だった中沼了三の話なんですが、この人は西郷従道、中岡慎太郎らから教えを受けた儒学者だったそうです。この中沼は、「みかどは人徳で民をおさめる聖帝であるべし」という考えから天皇を軍隊と武器に近づけてはならないと政府に主張していました。ところが、岩倉具視、大久保利通らと対立し下野することになりました。その後、明治22年に制定された「大日本帝国憲法」の第11条に「天皇は陸海軍を統帥す」とあり、明治天皇は全軍の最高指揮官になりました。明治27年、日清戦争が始まります。中沼は幼少期から指導した天皇を案じて、広島におかれた大本営に馳せ参じました。天皇は軍服に身を包み、洋剣をさげた軍人の姿で現れます。その姿に中沼は衝撃を受け、失意のあまり白髪の頭を垂れ落涙したという話です。

そうだよね。「天皇を軍隊と武器に近づけてはならない」というのは、大事なことだよね。旧憲法では天皇が軍隊の最高指揮官だったんだからね。明治の政治家たちは日本を一つにする為に天皇を担いだんだよね。

僕も日本が世界に躍り出た明治維新にはすっかり感動していましたけど、大きな落とし穴があったということなんだろうな。考えさせられましたよ。それと、松本さんは旧憲法では女性の権利が制限されていたことで起こった悲劇について書いていました。詩人の金子みすゞの話です。

 

 

 

 

 

 

知ってるわよ。大正ロマンの時代に活躍した金子みすゞでしょう。「見えないものでもあるんだよ」とか「みんな違って、みんないい」なんて、いい詩が沢山有るのよね。でも、みすゞさんは自殺してしまうのよね。

そうです。北原白秋や野口雨情が活躍した時代です。金子みすゞは山口県の田舎にいたんですが、投稿詩人として有名だったんですね。みすゞが3歳の時に父が亡くなってしまい、母の再婚相手が下関の書店を経営していたんです。みすゞはその書店の番頭と結婚して娘が出来るんですけど、その番頭は度々女性問題を起こして書店を追われるんですよ。みすゞは夫に従うんですが、夫の放蕩は直らず、みすゞの詩の投稿を禁じたり、淋病にかかり、それをみすゞに感染させたりするんです。離婚後も旧憲法では男女平等の規定はなく、娘の親権はみすゞにはないんです。思い余ったみすゞは娘を母に託すよう遺書を書いて服毒自殺するんです。26歳の短い生涯でした。

そうだよね。明治憲法では男女平等がなかったからね。個人より家が中心で、父親とか夫の力が強かったんだよね。大抵の女は我慢ばかりしていたんだね。日本国中で、それで収まっていた場合もあるだろうけど、悲劇的な場合もあったんだろうね。

松本侑子さんは最後に、「戦後を生きることができなかった無数の人々の鎮魂、日本人の平和をもとめる悲痛な胸のうちから日本国憲法は熱狂的な賛同をつけて誕生した。」と結んでいました。

男女平等は長年耐えてきた日本女性たちの叫びだったんだよ。その時代の声を実際にGHQの幹部の前や日本政府の高官の前で声に出してくれたのが、22歳だったベアテさんだったのよ。5歳から15歳まで少女時代を日本で過ごしたことがあるベアテさんが、日本女性を代表して声に出してくれたんだよ。お陰で日本中の女性が堂々と生きていけることになったのよ。新しい憲法が出来るというのもドラマだね。

次ページ:「憲法について、いま私が考えること」から(3)

 

 


コメントを投稿