姐さん、続いて僕が一番納得した、玄侑宗久さんの文を照会します。
玄侑さんって、お坊さんだったよね。興味あるわ。
玄侑さんは今の憲法には肯定的な立場だけど、このまま安住することには危惧を感じているようですね。こんなことを書いていました。「確かにGHQやマッカーサーのプレッシャーは大きかったとしても、彼らの素案はすでに鈴木安蔵らの憲法研究会案を下敷きにしている。GHQ案は閣議決定で承認され、その後に日本案をまとめた。内閣法制局の佐藤達夫第1部長は30時間に及ぶ徹夜作業で仕上げた。」と、GHQ案の前に日本人の憲法案が先に出されたことに注目しています。
あんたに聞いたことだけど、「憲法研究会」というのは画期的な仕事をしたよね。それまで日本でも民主化の動きは忍耐強く進んでいたってことだよね。だから一方的にGHQから押し付けられたばかりじゃないってことなんでしょ。その点は良く解ったわよ。
玄侑さんは、こうも書いています。「時代の転換点で生まれた憲法であってみれば、自主的でもっと時間があったらもっと良いものができたというものではなく、おそらく坩堝のような温度と密度で滴るように生まれたに違いない。そうした奇跡的な情熱と集中力が、アメリカ人も含めた当時の関係者の間には色濃くあったように思えるのである。」と、あるのです。この「坩堝(るつぼ)のような温度と密度」の中で誕生した憲法というのが、気に入っているんです。日本は敗戦後の混乱の中ではあったけど、その後の日本の将来を決めるための最も肝心なところで、真剣に議論が進んでいたんですよ。その真剣な戦いの結果生まれたのが、新憲法だったと思います。GHQが先導したことは確かですけど、結果的には日本にとっては、良いものが出来たと言えるんじゃないでしょうか。
そうね。私も戦後の日本にとっては、良かったんじゃないかと思うようになってきたわ。でもね、それから70年以上経っているんだよ。玄侑さんは、その後のことでは何か言ってないの?
こう書いています。「私は一切変えないという頑なさにも同意できないし、押し付けだから変えるという論にも賛同できない。」つまりは、改憲論にも護憲論にも賛成しない。もっと別の視点でものを考えろということじゃないでしょうか。そして、「GHQに押し付けられた憲法だから変えたいと言いながら、アメリカの気に入るように修正したいというのが理解できない。」と言っています。多分、集団的自衛権を行使出来るようにしたことが、アメリカの意向じゃないのかと言っているんですよ。
やっぱり、そうだったのかなあ。今まではアメリカについて行けば良かっただろうけど、これからはそうはいかないでしょう。日本はもっと日本であるべきよ。
玄侑さんも、「9条はそのままに、苦しい解釈でも自衛隊を保持し、日米安保条約は解消して永世中立を目指す、というのはどうだろうか。」とも言っています。
私もその提案に賛成よ。
9条に関しては、養老孟司さんも掲載しているんですが、こう言っています。「憲法9条はそのままでよろしい。いじっても、何も変わらないからである。問題は国民の腹である。いざとなったら犠牲を厭わない。その腹がないから、言葉をいじってごまかそうとする。」結局はこれですよ。いくらアメリカに誘われても日本人が断固戦争を拒否するんなら、迷わずに拒否すればいいんですよ。そして、9条であっても、自衛の場合は別なんですから、その時は断固決断することですよ。腹が座っているかどうかの問題ですよ。
そうだよね。拉致問題は憲法問題と言ったけど、9条があったって救助出来たんだからね。ボヤボヤしてたらどんな憲法だって同じだよね。解った解った、それで行こう。もっと、日本人がしっかりすることが大事なんだね。
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