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暴虎馮河 -- ぼうこひょうか・ぼうこひょうが

2009年12月20日 01時09分26秒 | Weblog
 [ブログ内検索] [論語抄 --中公文庫]
暴虎馮河(ボウコヒョウカ)-- pu4 hu3 fen2 he2

 子謂顏淵曰。用之則行。舍之則藏。惟我與爾有是夫。子路曰。子行三軍則誰與。子曰。暴虎馮河。死而無悔者。吾不與也。必也臨事而懼。好謀而成者也。


 子(シ)、顔淵(ガンエン)に謂いて曰(いわ)く、之(これ)を用うれば則(すなわ)ち行い、之を舎(お)けば則ち蔵(かく)る。惟(た)だ我と爾(なんじ)とのみ是(こ)れ有(あ)るかな。
 子路(シロ)曰く、子、三軍(サングン)を行(や)らば則ち誰(たれ)と与(とも)にせん。
 子曰く、虎(とら)を暴(う)ち河(かわ)を馮(わた)り、死して悔いなき者(もの)は、吾(わ)れ与(くみ)せざるなり。必ずや事(こと)に臨んで懼(おそ)れ、謀(ボウ)を好(この)んで成(な)す者なり。


  「暴虎馮河」 -- 素手のまま、の前にたちむかい、黄河を歩いて渡る ・・・といったように、無謀で、命知らずな行動をとること。むこうみずなこと。

 論語「述而第七」に出てくる孔子の言葉である。

 孔子がその一番弟子の顔淵(顔回)に、「我々の政治的主張が用いられるならばそれを行ない、用いられなかったら、一時自己の主張をしまいこんでおこう。こういうことをいっしょにできるのは、お前とだけであろうなあ」と言った。

 顔淵(顔回 ・・・字は子淵)は、孔子の門下随一の秀才。きわめて貧乏であったが、名誉栄達を求めず、ひたむきに学び孔子の教えを実践した。栄養失調のせいか体が弱く、孔子よりもさきに死んでしまった。ブッダの弟子サーリプッッタ(シャーリプトラ)も、漢訳仏典では「長老舎利佛」と呼ばれた(長老とは年寄のことではなくグループのなかでもっとも優れた人のこと)が若くして世を去った。これは余談。

 さて、顔淵は孔子に教団の将来を嘱望されるほどの優等生であったが、上記の言葉を聞いてやきもちを焼いたのが子路(シロ)という生徒。この人は学問というよりも直情径行型の体育会系的で純情な生徒であった。

 「文武(ブンブ)」のうちの「文」では顔淵におとるが、「武」の方なら負けないぞとばかり、

 「では、先生が大軍を指揮する場合は、誰といっしょになさいますか?」とたずねた。
 もちろん、「子路よ、その時こそは、そなたといっしょだ」という言葉を期待しての質問だった。

 ところが、孔子は血気にはやる子路に対して、こう言った。

 「素手で虎をたおそうとしたり、舟もないのに黄河を渡ろうとするような、命知らずの(死んでも後悔しない)人間といっしょに大軍を指揮するのはご免だねえ。仕事にあたって、つつしみおそれ、よく計画をたて、成功を期する人物といっしょにやりたいね」

 周の制度では、「一軍」は12,500人と定められていたから、「三軍」は、3×12,500で、37,500人。「中軍、左軍、右軍」の三つ。転じて、三軍は「大軍」のこと。



 おなじく「論語」の、公冶長第五子路のあわて者ぶりをからかうような孔子の言葉があります。こういう純情なところが孔子のお気に入りだったのでしょう。

子曰。道不行。乘桴浮于海。從我者其由與。子路聞之喜。子曰。由也好勇過我。無所取材。

 論語 「公冶長第五」より


 子(シ)曰(いわ)く。道(みち)行(おこな)われず。桴(いかだ)に乗りて海に浮(う)かばん。我(われ)に従(したが)う者(もの)は其(そ)れ由(ユウ)なるか。
 子路(シロ)之(これ)を聞(き)いて喜(よろこ)ぶ。
 子曰く。由(ユウ)や勇(ユウ)を好(この)むこと我に過(す)ぐ。材(よろしき)を取(と)る所(ところ)なし。


 道が行われないこんな世の中をすて、桴(いかだ)に乗ってどこかに行ってしまいたいよ。誰がついてきてくれるかな。あの元気な由(ユウ)だろうな。
 それを聞いた子路は大喜び。早速腰をうかしかけた。やっぱりむこうみず。
 由よ、勇ましいことを好むのは私以上だ。で、海に乗り出す桴(いかだ)の材料はどこで手に入れるのかね。(笑)

 段取りも考えずに、今すぐにでもとび出しそうなありさまです。

「子路」
 姓名は仲由子路は字(あざな)、季路ともいう。




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