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学生時代に愛読した「荘子」(内篇)。歳月を経て、再度読み直そうと考えながら、心の余裕がなく、すでに今日にいたっている。
夏の終わりに、思うところあって、気持ちを楽にして素読(そどく)をはじめることにした。
素読といっても、読むのは夜中になるので大きな声を出すことはできないし、いわゆる伝統的な本当の「素読」の方法は知らないし、師匠もいないので、この場合は、ゆっくりと時間をかけて楽しみながら読み進めるという意味にすぎない。
深読みする器量もないし、解釈をまじえる能力もないので、さらりと読み進めていきたい。「さらり」と読み進んでも味わい深いものがあるだろう。それが古典のいいところである。
もうひとつは、使用する漢和辞典のことである。
学生時代は、三つのテキストを参照し、「三省堂漢和辞典」(長澤規矩也 編)を使用して読み進めた。
理由は、この辞書の合理性が気に入り、中学時代から愛用していたからだ。
しかし、後に藤堂明保博士の著作物に出会い、その学説を咀嚼しようと努めて現在に至っていることもあり、「ここぞ」という時の字義およびことばの解釈は「学研漢和大字典」に依ろうと思う。
つまり、「学研漢和大字典」で、読み直してみたいのである。
こういうとたいそうな事に聞こえるが、それほどきばっているわけでは決してない。
きばらずに、少しずつ文章を味わいながら読み進めていきたい。
ということで、今日はまず、開巻劈頭の「鵬鯤の物語」から・・・