「ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008」(朝日新聞出版)読了。
237頁からの日記が読ませる。文章の8割方が小西氏が購入したレコードの覚書なのだけれど、残り2割の日々の描写・考察が、無機質なタイトルリストに挟まれることによってより輝いて見えるという構造。
スタイリッシュで都会的な音楽を世に問い続ける小西氏も、その陰ではいろんなところで躓き頭をぶつけ時にひっくり返りながら生きているのか、と思うとなんだか少し楽になった。
おまけに、さきほど風呂の中で読み終えたとき、おそらくこの文章に触発されたのだろう、仕事や人生の捉え方・指針についてひらめくものまであった。が、ここでは書かない。
と、早くも小西氏の文体の影響を隠せない僕である。
237頁からの日記が読ませる。文章の8割方が小西氏が購入したレコードの覚書なのだけれど、残り2割の日々の描写・考察が、無機質なタイトルリストに挟まれることによってより輝いて見えるという構造。
スタイリッシュで都会的な音楽を世に問い続ける小西氏も、その陰ではいろんなところで躓き頭をぶつけ時にひっくり返りながら生きているのか、と思うとなんだか少し楽になった。
おまけに、さきほど風呂の中で読み終えたとき、おそらくこの文章に触発されたのだろう、仕事や人生の捉え方・指針についてひらめくものまであった。が、ここでは書かない。
と、早くも小西氏の文体の影響を隠せない僕である。
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