【欠陥憲法 新しい国づくりへ】(上)行き詰まった理想 「公船」に放水もできず

2012-11-03 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【欠陥憲法 新しい国づくりへ】
(上)行き詰まった理想 「公船」に放水もできず
産経ニュース2012.11.3 10:30
 9月25日。沖縄県の尖閣諸島の魚釣島周辺の海域では、領海に侵入した台湾の漁船約40隻と海上保安庁の巡視船の“攻防”が続いていた。「生活のために漁業権を守る」…横断幕を掲げた漁船につき、進路をふさぐように海上保安庁が放水銃で退去を促す。そんななか、「平和」が続いてきた日本を象徴する、ある出来事が起きた。
 台湾の巡視船が猛スピードで割って入ってきたのだ。巡視船は海保に向けて放水を続けた。一方、海保の巡視船は、漁船に浴びせていた放水銃を下に向け、放水を弱めてしまった。台湾の巡視船に水が及ばないようにするためだった。
 国際法では領海内に侵入した無害通航でない外国船の排除は可能だが、日本の国内法にはそうした規定がない。日本政府は「放水などの実力行使は漁船には認められても、公船には認められない」として、退去要請以外には公船への対処策はないという立場を取っているのだ。
 海保はそれを厳格に守った。が、相手側は必ずしもそうではない。むしろ、日本の出方を逆手に取るかのように公船が大挙押し寄せてくるのだ。
 この日、両者のにらみ合いは4時間近くに及んだ。侵入船はようやく領海外に出ていった。海保関係者は「漁民にけがを負わせるようなことはできないが、島への上陸を許すような事態だけは避けたい」。なるべくことを構えず、粘り強く退去を促す方針を強調した。しかし、今でも尖閣では中国の公船などが領海を脅かす。収まるどころか緊張は高まるばかりだ。一触即発の状況で海上警察である“海保任せ”で対応できるのだろうか。
      ×   ×
 尖閣だけではない。竹島や北方領土など、わが国の領土領海が脅かされ、主権が揺さぶられ続けている。しかし、私たちはこうした危機を直視し、正面から立ち向かっているだろうか。
 憲法、そして私たちに染みついた憲法の価値観が全くの虚構であることはもう誰の目にも明らかとなりつつある。
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
 憲法の“看板”ともいうべき前文にはこうある。「日本国民は…武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(9条1項)ともある。
 だが、周辺国はどこも自国の国益のために狡猾(こうかつ)に振る舞うのが常だ。日本はその公正と信義に信頼して安全と生存を保持しようと決意できる状況では決してない。日本に何の落ち度がなくても一方的に国際紛争に巻き込まれることも起こりうる。憲法の描く“理想”はすでに破綻しているのだ。むしろ「甘い幻想」に浸っているから周辺国につけいる隙を与え、さらなるエスカレートを招いている面も見逃すべきではない。
      ◇
■先送り重ね…弊害あらわに
 戦後の日本は有事や危機における軍隊のあり方、周辺国との摩擦などを直視せずに先送りを重ねてきた。尖閣諸島はじめ一連の領土問題は憲法が抱える矛盾や、憲法がもたらす価値観の弊害が一気にあらわとなった格好で、それらは自滅への歩みに手を貸すかのように見える。
 尖閣諸島の周辺海域で中国の軍艦が確認されたことを受け、政府は自衛隊の空中警戒管制機(AWACS)を投入。尖閣周辺での警戒監視態勢の強化に乗り出した。
 しかし、自衛権が行使できるのは、閣議決定や国会の承認を要する「防衛出動」が命令されてからの話だ。「海上警備行動」「治安出動」と事態が進んでも、それはあくまで警察権の行使でしかない。
 AWACSが飛行する根拠となる法令は防衛省設置法4条にある「所掌事務の遂行に必要な調査・研究」。情報収集活動は「調査・研究の材料集め」にすぎない。
 もともとAWACSに武器は搭載されない。が、「調査・研究」活動の段階で武器を携行し、不測の事態に備えることは法的に可能なのか。
 一応それは可能だが、武器使用は著しく制限されている。それが許されるのは、相手が撃ってきた場合に対処する正当防衛と、武器が奪取・破壊されることを防ぐ「武器等防護」と呼ばれる場合だ。それも「合理的に必要と判断される限度」(自衛隊法95条)にとどまる。
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 相手の出方に応じて必要最小限度に活動を抑制しなければならない「警察比例の原則」も見逃せない。
 本来、軍事組織と警察組織は実力部隊を擁する点では同じだが、軍事組織は有事のさい敵を鎮圧し完全に制圧する使命を負う。これが軍事組織と警察が決定的に異なるところだ。しかし、警察予備隊が母体となった自衛隊には「警察の論理」が持ち込まれた。独立を守るため外敵を排除する営みが、これと根本的に異なるはずの警察権の行使と同じ文脈で処理される。他国の軍隊ではみられないこともしばしば起こる。
 例えば仮に、尖閣に殺傷力の高い武器を持った武装工作員や武装工作船が不法侵入し、警察力で対応できない事態が生じたらどうなるか。
 その場合、「治安出動」に基づき、自衛隊が警察を補完する役割を負うことが想定される。だが、法律上は「防衛出動」ではなく警察対応を課せられる。敵の鎮圧や完全制圧ではなく原則逮捕による立件処罰という流れとなるのだ。
 「防衛出動」の前段階の平時であっても自衛隊が領域警備などで有効に対処することができないか。法整備が叫ばれるのも、このためだ。
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 自衛権発動時にも足かせは残っている。これまでの政府答弁では、自衛権発動には(1)わが国に急迫不正の侵害がある(2)排除に他手段がない(3)必要最小限の実力行使にとどまる-という3つの条件が必要だ。「急迫不正の侵害」とは「わが国への武力攻撃が発生した場合」で、かつ「他国による計画的、組織的な武力攻撃」でなければならないとされてきた。
 この政府解釈ができた当時、想定されていたのは、極東ソ連軍による計画的、組織的な攻撃だった。だが、仮に尖閣諸島に武装した海上民兵が侵入、不法占拠した場合、この政府解釈では「どこの国かわからず、計画的、組織的な攻撃とはいえない」として、要件が満たされず、「防衛出動」が命令されないといった事態が起こりうる。
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 日本国憲法の公布から3日で66年を迎えた。憲法の不備によって安全保障上、数々の問題が生じている現状を、改めて検証する。
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尖閣に見る「憲法の欠陥」 2012-10-09 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉 
【一筆多論】
安藤慶太 尖閣に見る「憲法の欠陥」
産経ニュース2012.10.8 08:33
 日本の領土をめぐるさまざまな出来事は一体、何を物語っているのだろうか。警備を万全にすることは急務だし、毅然(きぜん)とした外交も重要である。主権や国家への国民意識という意味でも数々の課題や宿題が一気に浮き彫りになった気がする。
 そしてそのいずれもが、もとをたどれば、現行憲法が抱える多くの矛盾や虚構と無縁ではない。根本的な問題は結局、ここにある。ところが、国民もこと憲法の欠陥を正すとなると及び腰で、政治家も正面からここを正す動きを躊躇(ちゅうちょ)しがちだ。
 尖閣諸島周辺のわが国の領海には連日、台湾や中国から次々と漁船・公船が押し寄せてくる。船舶の数は増え続け、侵犯は常態化しつつある。しばらくこうした動きは収まらないだろう。海上保安庁がそのたびに駆り出されてはいるが、やることといえば、退去警告を粘り強く出し続け、お引き取りを願うこと。原則これに尽きている。自衛隊の出番が論じられる機会は限りなくゼロに近いといってよい。
 憲法前文は「日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」となっているが、どう見ても今は「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」できる状態ではない。周囲には周辺国の悪意と脅威が満ちているのだ。日本の退去の求めに「邪魔するな」と返してきた公船もあったそうだ。こうした相手を信頼し「われらの安全と生存を保持」することなど虚構にほかならない。
 国の羅針盤である憲法のエッセンスともいうべきものが前文である。前文がこのありさまならば、国の至るところに狂いが生じるのは避けられない。現行憲法は世界に先駆けた普遍的かつ誇るべきもので、いつまでも守っていかなければならない-といった学校教育が何十年も続けば、眼前の危機を国民が適切に認識できなくなるのも無理からぬ話だ。
 憲法9条第1項には「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。わが国が領土的野心を抱いての武力行使を禁じる話ならまだわかる。だが、こちらに何の落ち度がなくても、一方的に紛争に巻き込まれる場合だって現実には起こりうる。尖閣の例を見れば明らかだが、一口に紛争といってもいろいろあるのだ。
 盛んに「冷静な対応が大切」と強調する論調もある。だが、対岸の国こそ冷静さに欠けており、その無軌道ぶりをどうするかにはあまり目が向かない。財界などからは「政府はなぜこのタイミングで尖閣諸島を国有化したのか」と矛先を政府に向けることすらある。これでは、もはや八つ当たりに近い。
 尖閣問題が突き付けているのは、私たちが国家としていかに無警戒かつ無防備であり、そのことがいかに国の致命的な弱点となっているかを正しく認識することである。
 日々刻々変わる局面にぬかりなく備えることも大事だが、欠陥だらけの憲法を抜本的に正すことを忘れてはならないと思う。(論説委員)
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行
p48~
 平和は自ら払うさまざまな代償によって初めて獲得されるもので、何もかもあなたまかせという姿勢は真の平和の獲得には繋がり得ない。
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『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》 2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
p1~
  まえがき
 日本の人々が、半世紀以上にわたって広島と長崎で毎年、「二度と原爆の過ちは犯しません」と、祈りを捧げている間に世界では、核兵器を持つ国が増えつづけている。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、パキスタン、インドの3ヵ国がすでに核兵器を持ち、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りをしようとしている。
 日本周辺の国々では核兵器だけでなく、原子力発電所も大幅に増設されようとしている。中国は原子力発電所を100近く建設する計画をすでに作り上げた。韓国、台湾、ベトナムも原子力発電所を増設しようとしているが、「核兵器をつくることも考えている」とアメリカの専門家は見ている。
 このように核をめぐる世界情勢が大きく変わっているなかで日本だけは、平和憲法を維持し核兵器を持たないと決め、民主党政権は原子力発電もやめようとしている。
 核兵器を含めて武力を持たず平和主義を標榜する日本の姿勢は、第2次大戦後、アメリカの強大な力のもとでアジアが安定していた時代には、世界の国々から認められてきた。だがアメリカがこれまでの絶対的な力を失い、中国をはじめ各国が核兵器を保有し、独自の軍事力をもちはじめるや、日本だけが大きな流れのなかに取り残された孤島になっている。
 ハドソン研究所で日本の平和憲法9条が話題になったときに、ワシントン代表だったトーマス・デュースターバーグ博士が「日本の平和憲法はどういう規定になっているか」と私に尋ねた。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 私がこう憲法9条を読み上げると、全員が顔を見合わせて黙ってしまった。一息おいてデュースターバーグ博士が、こういった。
おやおや、それでは日本は国家ではないということだ
 これは非公式な場の会話だが、客観的に見ればこれこそ日本が、戦後の半世紀以上にわたって自らとってきた立場なのである。
 このところ日本に帰ると、若い人々が口々に「理由のはっきりしない閉塞感に苛立っている」と私に言う。私には彼らの苛立ちが、日本が他の国々とあまりに違っているので、日本が果たして国家なのか確信が持てないことから来ているように思われる。世界的な経済学者が集まる会議でも、日本が取り上げられることはめったにない。日本は世界の国々から無視されることが多くなっている。
 日本はなぜこのような国になってしまったのか。なぜ世界から孤立しているのか。このような状況から抜け出すためには、どうするべきか。
「初心に帰れ」とは、よく言われる言葉である。したがって、六十余年前、日本に落とされた原爆の問題から始めなければならないと私は思う。(略)
 日本はいまや原点に立ち戻り、国家と戦争、そして核について考えるべき時に来ている。日本が変わるには、考えたくないことでも考えなければならない。そうしなければ新しいことを始められない。
p22~
 1930年代の日本は、満州で戦いを続ける一方で、1941年12月8日、真珠湾を攻撃して乾坤一擲の勝負をアメリカに挑んだが、このころアメリカでルーズベルト大統領をはじめ専門家たちが原爆をつくるために全力を挙げていることには、考えも及ばなかった。日本が現在に至るも世界の動向には疎く、日本の外で起きていることに注意しないまま、自分勝手な行動を取ることが多いが、こうした国民性は第2次大戦以前から変わっていない。
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日高義樹著『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)
p152~
 中国はアメリカに対抗するため、大陸間弾道弾や核兵器の開発に力を入れている。すでに55発から65発の大陸間弾道弾による態勢を確立している。この大陸間弾道弾のなかには、固形燃料で地上での移動が可能な長距離ミサイルや、液体燃料を使う中距離ミサイルなどがある。
 中国は潜水艦から発射するミサイルの開発も終わっている。これは中国の核戦略の対象がアメリカであることを示しているが、日本を攻撃できる射程3,000キロのミサイルの開発にも力を入れている。日本が中国の核ミサイルの照準になっていることに、十分注意する必要がある。
 中国がアメリカに対抗できる核戦略を持ち、アメリカの核抑止力が日本を守るために発動されるかどうか分からなくなっている以上、日本も核兵器を持つ必要がある。 「日本が平和主義でいれば核の恫喝を受けない」という考えは、世界の現実を知らない者の世迷い言に過ぎない。
 すでに述べたように、中国は、民主主義や自由主義、国際主義といった西欧の考え方を受け入れることを拒み、独自の論理とアメリカに対抗する軍事力によって世界を相手にしようとしている。第2次大戦以降続いてきた平和主義の構想がいまや役に立たないことは明らかである。日本を取り巻く情勢が世界で最も危険で過酷なものになっているのは、中国が全く新しい論理と軍事力に基づく体制をつくって、世界の秩序を変えようとしているからである。
p171~
 日本は、「自分の利益を守るために、戦わねばならなくなった時にどのような備えをするか」ということにも、「その戦争に勝つためには、どのような兵器がどれだけ必要か」ということにも無縁なまま、半世紀以上を過ごしてきた。アメリカが日本の後ろ盾となって、日本にいるかぎり、日本に対する戦争はアメリカに対する戦争になる。そのような無謀な国はない。したがって戦争を考える必要はなかった。このため日本はいつの間にか、外交や国連やその他の国際機関を通じて交渉することだけが国の利益を守る行為だと思うようになった。
 よく考えてみるまでもなく、アメリカの日本占領はせいぜい数十年である。人類が戦いをくり返してきた数千年の歴史を見れば、瞬きするほどの時間にすぎない。日本人が戦争を考えずに暮らしてこられた年月は、ごく短かったのである。日本人はいま歴史の現実に直面させられている。自らの利益を守るためには戦わねばならない事態が起きることを自覚しなければならなくなっている。
 国家間で対立が起きた時、同じ主義に基づく体制同士であれば、まず外交上の折衝が行われる。駆け引きを行うこともできる。だがいまの国際社会の現状のもとでは、それだけで解決がつかないことのほうが多い。尖閣諸島問題ひとつをとってみても明らかなように、外交交渉では到底カタがつかない。*強調(太字・着色)、リンクは来栖
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