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オウム死刑囚・井上嘉浩の5000枚の手記は何を語るのか
2018年12月26日 公開
門田隆将(ノンフィクション作家)
井上嘉浩死刑囚の手記嘉浩が獄中で書いた手記(草稿)の一部。何度も書き直し、清書していった。清書したものだけでも、400字原稿用紙に換算して5000枚以上の防大な数にのぼる。
※本稿は、門田隆将著『オウム死刑囚 魂の遍歴』(PHP研究所)より一部抜粋、編集したものです。
■人の「命」を奪ってしまったのはどんな人間か
死刑囚と、死刑囚を持った家族――。
そんな言葉を聞いたら、多くの人はどんな感想を持つだろうか。おそらく、自分とは関係のない、暗く遠い世界のイメージを持つに違いない。
筆者は、40年近くジャーナリズムの世界にいる。多くの事件や出来事の取材をしてきた。そのために、死刑囚とも、少なからず関わりを持ってきた。
その中に、オウム事件の死刑囚・井上嘉浩がいた。
2018(平成30)年7月6日、井上は、大阪拘置所で死刑を執行された。教祖・麻原彰晃を筆頭に、井上を含む7人の教団幹部が一斉に絞首刑となり、20日後の7月26日には、残りの6人も後に続いた。
まじめで優しかった息子がオウム犯罪に手を染め、一転、被害者の憎悪の対象となる死刑 となり、その結果、どん底に突き落とされた家族の苦悩を、私は見てきた。
息子の行為を詫び、ひたすら犠牲者の冥福を祈りつづける両親には、最後に息子の「死刑執行」という現実が待っていたのである。
私は被害者側からの作品を数多く書いてきた。被害者の無念を知らずして、悲劇をなくすことなど、とても考えられないからだ。
なんとしても被害者の、そして遺族の慟哭を知って欲しい。そんな願いを込めて淡々と事実描写だけをつづけてきた。しかし、今回の作品では、加害者側の事実描写をさせてもらおうと思う。
刑事事件を引き起こした罪人、特に死刑囚には、憎しみと罵りの言葉が浴びせられる。当然だろう。
人間には、何があろうとも踏み外してはならない一線がある。
いくら洗脳されようと、信じている人物にどう唆されようと、人の「命」を奪うことは絶対に許されない。
それをやってしまったのは、果たしてどんな「人間」なのだろうか。
愛する家族がなんの罪もないのに命を奪われたことに耐えられる人は、いるはずがない。加害者に対して寛容な気持ちを持つことなど、被害者遺族には想像もつかないだろう。
しかし、井上の場合は、遺族から憎悪の言葉を受けるだけではなかった。
本書で記すように、周囲の多くの支えによって目醒めたこの若者は、「真実を語り、二度とこのような犯罪を起こさせないことが自分にできる被害者への最大の償つぐない」という信念のもと、法廷でさまざまな証言をおこなっていく。
その井上の行動は当然の帰結として、かつての仲間からの激しい反発を生んだ。
オウム裁判において、被告人となっている他のオウム元幹部たちは言うに及ばず、彼らを担当する弁護士、あるいはこれに追従するジャーナリストやウォッチャーたちの憎しみの対象となった。
それは、やがて井上に対するマスコミの報道全般にまで及び、まさに“総バッシング状態”となる。
批判の中には、「井上は、自らの罪を軽くするために虚偽の証言をおこなっている」という、痛烈にして、耐えがたい攻撃もあった。
そのバッシングのさなかに拘置所で息子と面会した井上の父親は、自ら綴った回想録の中で、その時のようすをこう振り返っている。
〈「私は一度だって自分が助かりたいとか罪を軽くなりたいとか考えたことはありません。ところが教祖がすべての罪を部下になすりつけるというあまりにも卑怯な態度をとるので、やむを得ず立ち向かっているんです。そのことを誰も分かってくれない」
嘉浩の目から大きな涙が絶え間なくこぼれてきた。悔しかったのだろう。
自分が助かりたいばかりに、かつての教祖を裏切ったと、そうした報道はこれまで耳にしていた。当然、嘉浩の耳にも、それに類した報道は入っていたに違いない。
「わかった」
そう答えることが、私には精一杯だった〉
私の手元には、この20年余で井上自身が獄中で書きつづけた手記およそ5000枚、そして、父親が事件以来の出来事と、そのたびごとの思いを綴った回想録およそ600枚がある。被害者への謝罪と、自らの後悔が記された加害者側の赤裸々な告白である。
私は、この親子の手記を何度も何度も読み込んだ。そして、母親にもお話を何度もうかがった。
かつて「修行の天才」、あるいは、「神通並びなき者」と称され、1000人以上の信者を獲得したとも言われるこの若者は、なぜオウムの闇に囚われ、いかに地獄に墜ちていき、そして、そこからどのようにして抜け出すことができたのか。
オウム事件が私に教えたのは、人は些細なきっかけから、死刑囚になりうるということであり、また、まじめで真摯な人柄でも、そんな闇に落ちていくことがある、という残酷な事実にほかならなかった。
「なぜ、あんなまじめで優しかった息子がこうなってしまったんでしょうか」
長い年月となった交流の中で、老齢となった井上の両親から、何度、その後悔と悲嘆の言葉を聞いただろうか。
井上の裁判は揺れた。
審理の中で、井上が直接手を下した殺人事件が1件もなく、井上自身が犯罪から「逃げていた」という意外な事実が明らかになった。
そして、一審は無期懲役、二審は死刑という天と地ほども違う2つの判決が下された。その末に上告棄却によって、2009年12月、井上の死刑判決が確定する。
オウム死刑囚「13人」の中で、一審と二審の判断が分かれたのは、井上嘉浩ただ1人だった。
さらに、死刑確定後、1人の弁護士の登場によって井上の犯罪に対して「新証拠」が発見された。弁護士は、2018年3月、確定判決の事実誤認を、その新証拠によって証明すべく、「再審請求」をおこなった。
そこには、意外な事実があった。
■恐るべき凶悪犯罪が二度と起こらないように
私は、その折々で、この原稿を書きためてきた。
問題は、オウム、そして井上らの側ばかりにあったのではなかった。坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、目黒公証人役場事務長拉致事件など、警察のオウム事件捜査の不備と怠慢が、あの地下鉄サリン事件という前代未聞の大事件を呼び起こしたことを、私はあらためて思う。
そして、司法の世界も、オウム裁判で杜撰さを露呈した。
検察も、裁判所も、事実認定より「初めに結論ありき」の“世論裁判”に終始した。それは歴史に残る汚点とも言うべきものだろう。
オウム事件とは、いったい、何だったのか。
当事者による膨大な手記と証言は、その「答え」を示してくれるのだろうか。
どこにでもいる素直な青年が、どういうきっかけで狂気の宗教集団に飛び込み、いかなる心の変遷によって犯罪に手を染め、そして、やがて元の人間性を取り戻していったのか。
そしてなにより、犯罪者側の視点、つまり、ひとりの元死刑囚に光を当てることによって、このような恐るべき凶悪犯罪が二度と起こることがないように後世に教訓を残し、同時に警鐘を鳴らすことは、果たして可能なのだろうか。
◎上記事は[PHP Biz Online]からの転載・引用です
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◇ オウム死刑囚・井上嘉浩の5000枚の手記は何を語るのか 門田隆将著『オウム死刑囚 魂の遍歴』
◇ 井上嘉浩・炎天下のコンテナ監禁…4日間「断水断食」の地獄 門田隆将著『オウム死刑囚 魂の遍歴』
◇ すべての罪はわが身にあり…その言葉を井上嘉浩は何度もくり返した 門田隆将著『オウム死刑囚 魂の遍歴』
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◇ オウム死刑囚・井上嘉浩 獄中記と「死後に届いた手紙」 門田隆将 2018.12.20
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