強制起訴というマスコミ用語の罪

2011-01-20 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

強制起訴というマスコミ用語の罪
永田町異聞 2011年01月19日(水)
 「強制起訴」という言葉づかいに違和感をおぼえる方も多いだろう。「強制捜査」を連想させるからだ。
 強制捜査をする検察が下した不起訴の判断を、クジで選ばれた市民11人からなる検察審査会が二度の審査で否定し、「起訴議決」をすると、“にわか検察官役”をおおせつかる指定弁護士が起訴にむけて捜査資料解読をスタートする。
 こうした新しいタイプの起訴が、検察審査会法の改正で可能になったのが2009年5月21日だった。この改正法は、国会で十分に議論されることなく成立した。
 そして、この新型起訴のことを、誰がはじめたのか知らないが「強制起訴」と表現するようになった。
 検察審の議決が拘束力を持つようになったことから「強制」という言葉に結びついたのかもしれないが、前述したように「強制捜査」との連想で誤ったイメージを生みやすい。
 強制捜査の主体は検察という国家権力であり、強制起訴の主体は一般市民からなる審査会である。冤罪とわかった場合でも、審査会メンバーは責任を問われることはない。「市民」であることが免罪符となる。
 ところで、検察が「強制」する相手が被疑者であることは明白だが、一般市民が「強制」する相手は誰だろうか。
 検察審査会の市民たちは、検察の捜査資料を検討、審議し、この捜査資料なら不起訴ではなく、起訴すべきだという結論を下した。
 すなわち検察に「ノー」を突きつけた。その意味では、直接、「強制」が向けられる相手は実は、検察なのである。
 ところが、マスコミ用語として「強制起訴」は定着し、疑いをかけられた人物についてまわるようになる。
 本来は、検察審査会の「起訴議決」による起訴というべきところだが、長ったらしいので「強制起訴」と、粗雑な言葉づかいをしているのが実態だろう。
 それなら、「検察審起訴」とでもして、検察による起訴との区別を明確にするべきではないか。
 さて、小沢一郎氏の起訴へ向けて指定弁護士がラストスパートにかかっている。強制起訴されたら、小沢氏は議員辞職すべきだという、奇妙な論理にうなずく国民が多いのも、強制起訴という言葉のイメージが影響しているに違いない。
 秘書のせいにして逃げ回る巨悪の政治家を、正義の市民が団結して、お白州に引きずり出すという、チャンバラ劇のような仕立てに「強制起訴」がマッチしているということでもあろう。
 マスメディアはもちろん、野党や民主党のかなり多くの政治家でさえも、元秘書三人が逮捕されたという外形的事実や、「政治とカネ」「説明責任」「強制起訴」といったキーワードの組み合わせによって、小沢悪徳ファンタジーを職業上、立場上の必要性からつくりあげてゆく。
 おりしも、元秘書の一人である石川知裕衆議院議員が、東京地検特捜部に供述を誘導された証拠となる音声記録の存在が明らかになった。
 昨年5月17日、起訴後に任意で再聴取されたさい、石川議員はICレコーダーで録音していたという。
 昨日の日経に検事と石川議員のやりとりの一部が報道されている。
 「もし全面否認するなら、徹底的にやってやろうじゃないかとみんな言っている」(検事)
 石川議員が(小沢氏からの借入金4億円を)隠そうとしたことはないから供述を変えさせてほしい」と訴えると、「今更そんなことを言っても堂々巡りだ」と耳を貸さず、石川議員自身が受領した献金にも言及し「(別件で)いつでもやれるんだぞ」と脅しともとれる発言もあった。
 すでにこの音声記録は東京地裁に提出、地裁は証拠採用するとみられている。
 小沢氏の審査会起訴を問題にするとき、秘書の裁判を抜きには語れない。秘書が無罪なら、当然のことながら小沢氏も無罪だ。
 その意味で、石川議員らに対する検察調書の信憑性を疑わせる録音の存在は、村木冤罪事件同様、無理筋、国策捜査といわれてきた小沢サイドへの特捜暴走を裏づける大きなニュースである。
 にもかかわらず、小沢氏に対しては「強制起訴」される人物として、政界追放が当然とでも言いたげな論調がまかり通っている。
 検察が不起訴にせざるを得なかった小沢氏が、裁判で無罪を勝ち取る公算はきわめて高い。元秘書たちも、検察による事件のでっち上げを主張するだろう。
 菅首相は小沢氏の強制起訴と出処進退を結びつける発言を繰り返している。
 与謝野馨氏に助っ人を頼んで霞ヶ関を味方につけた菅首相が、官僚の恐れる小沢氏を切るには、「強制起訴」という呪文が効能をもっている今しかチャンスはないということなのだろう。
 それにしても、小沢氏が無罪になったとき、マスメディアはどのように言い訳をするのだろうか。
  新 恭(ツイッターアカウント:aratakyo)
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石川知裕議員「検事から『録音をとってないよね』と確認された。供述を誘導された」2011-01-15 
 陸山会事件:石川議員公判、弁護側「自供誘導」主張へ 昨年5月、検察の再聴取録音
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、小沢氏を「起訴相当」とした検察審査会の1回目の議決(昨年4月)を受けて昨年5月、元秘書の石川知裕衆院議員=同法違反で起訴=が検察に再聴取された際、取り調べの模様を録音していたことが分かった。関係者によると、捜査段階で容疑を認める供述をしたとされる石川議員に、検事が「勾留中の供述と任意調べの供述が変遷すると検審に悪い影響を与える」などと、認めた供述を維持するよう迫ったという。
 石川議員は2月7日の初公判で起訴内容を否認する方針。供述は誘導されたもので、信用性や任意性を否定するものとして録音した内容を書面化し、公判前整理手続きの中で裁判所に証拠申請している。大阪地検特捜部を舞台にした一連の事件を受けて設置された法相の諮問機関「検察の在り方検討会議」でも議論の対象となることが予想される。
 関係者によると、再聴取は昨年5月17日に東京・霞が関の検察庁舎で約5時間にわたり行われた。石川議員は元外務省主任分析官の佐藤優氏のアドバイスでICレコーダーを忍ばせたといい、冒頭で検事から「録音をとってないよね」と確認されたという。
 この中で検事は「石川さんが全面否認で来るならやってやろうじゃないか。特捜部は徹底抗戦する」などと発言。石川議員が「小沢さんが、いかがわしいお金を集めて(土地購入の原資とされる)4億円をつくったなんて認められない。4億円を隠そうと思ってやったのではない」と否定すると、検事は「それでは上が納得しない」などと話したという。
 さらに検事は「石川さんも(小沢氏の)強制起訴は望まないだろう。保釈後の供述を変えたとなると、小沢さんから強い圧力があって供述を変えたと検審は見る。そうすると強制起訴になってしまう」と話したという。
 検察側は捜査時、水谷建設元幹部が石川議員に渡したと供述した5000万円を土地購入原資の一部と見ていたが、石川議員は一貫して否定。一方で石川議員は「表にできないお金だと思い隠した」などと供述した調書にサインをしていた。
毎日新聞 2011年1月15日 東京朝刊


政治資金規正法を皆さん勘違い。小沢さんがいなくなることはプロの政治家がいなくなること=安田弁護士 
 7/19緊急シンポジウム!! ''ニッポン''は何を守ろうとしているのか!H.22-06-08 
 「唯一はっきりしている条文があるんです。政治資金規正法で処罰されるのは、会計責任者だけなんです。政治家は処罰されないんです。政治家は処罰の対象から外れているんです。始めから、そういう法律なんです。そもそも法律の目的というのは、会計責任者が責任を持って会計の結果について報告する、ということが義務付けられているんです。ところが皆さん、勘違いしている。小沢さんが秘書と一蓮托生で処罰されるべきだと。これほど法律違反、法律の主旨に反することは、ないんです。つまり、どこかで法律が歪められて、トリッキー歪められて、つまり、政治資金規正法は政治家取締法なんだというふうに完全に勘違いしている。この勘違い、実は検察審査会も、まったく同じ評決をしているわけですね。小沢さんは、これだけ権力を持っている人間が、小沢さんの指示なしに物事が行われるはずがない、と。しかし法律の枠組みは、およそそんなことは無いんです。もし小沢さんが有罪になるとすればですね、責任者との共犯なんです、あくまでも。単に、知っていたとか、報告受けていたとか、そんなことでは共犯になるはずありませんね。これは、税理士さんが「これで申告しますよ」と言って「ああ、はい、どうぞ」って言ったら共犯になるか、といえば、そんなことはないわけなんです。ですからもし小沢さんが共犯になるとすれば「おい、石川、こうやれ」という形ですね。「こうやらんと許さんぞ」と、指示・命令、絶対的に服従させたと、そういう場合に初めて共犯として存在する。それを皆さん、完全に誤解している。大変な誤解(笑)。それで、皆さん、恐らくテレビなどで論評していらっしゃる。
 次の問題です。政治資金規正法の中に、何を記載せよとか、どのような会計原則に則れとか、何一つ書いてないんです。ですからたとえば、ちょっとお金を借りましたとか、立て替えて貰いましたとか、或いは、今日帳簿に載せるよりは来年のほうに載せとこうか、というような話は、本当に虚偽記載になるのかどうか、或いはそれを載せなければならないのかどうか、それさえもあの法律の中には書いてないんですよ。つまり、虚偽を記載してはいかん、という話だけなんですよ。何が虚偽なのか、さえ書いていない。しかしそれを検察が勝手に解釈してですね、例えば今回の場合の、今年載せずに来年載せたということが犯罪だと、虚偽だと、やったわけです。或いはAという政治団体からお金貰った、それを実はこうだった、違う人だった、と言って、それは虚偽だというわけですね。しかしAという政治団体を通して貰ったんだから、それを記載するのは当たり前の話でして、それを虚偽といえるかどうか、それこそ大変大きな問題なわけです。ですから小沢さんの一昨年の問題、或いは今年の問題、いずれも法律の解釈を彼らがやって初めて有罪に出来るだけの話でして。ですから立法者の条文とは違うんですね。
 ですからこの間(かん)も法律が守られずにどんどんどんどんきている。今回典型的なことはですね、石川さんが逮捕されました。しかしその2日後、3日後ですかね、3日後には国会が開かれるわけです。国会が開かれた場合、国会議員を逮捕するためには国会の議員の議決の承諾がないといけないわけなんです。それを抜き打ち的に、先達する形で石川さんを逮捕する。これは立法権に対する侵害じゃないですか。つまり憲法違反の事を彼ら、やっているわけです。つまり憲法に違反している行為に対する批判がどこにもない。これは、私ももう、大変びっくりしたわけです。
 検察はしっかりしと政治をやっている、というふうに私は理解しているんです。例えば今回、石川さんの弁護をやっていて3日目か4日目ですかね、あ、検察はこれを狙っているな、というのは大体、私も、石川さんが検察にどういうことを言われているかというのを聞いて分かるんです。
 つまり検察は小沢さんを逮捕することは恐らく不可能だろうと最初から思った。しかし検察審査会で勝負をかける、ということを彼らは考えている。彼らのやり方はこうだな、と。検察審査会で起訴相当を取ることによって小沢さんの政治生命を奪う、と。そのシナリオ通りに見事に小沢さんの政治生命はなくなってしまった。ま、これが今回のシナリオでですね。小沢さんを直接起訴すれば当然全面戦争になってしまうわけでして。むしろ国民を総動員して、或いは市民という名を、怒れる11人の市民を使って小沢さんの政治生命を奪うという戦術に彼ら、でてきた。
 で検察審査会も、トリック、ま、検察審査会には助言者といってですね、弁護士がその場に同席していろんな助言をするわけです。法律の解釈とかそういうものを。恐らくその助言者がとんでもない助言をしたんだろうと思うんです。どういうことかというと、政治資金規正法は政治家の犯罪、取締法なんだという解説をしたんだと思うんです。
 ですからとんでもない、検察でさえ起訴しなかったものを検察審査会が起訴相当という結論をだしたんだろうと、そしてそのことを検察は最初から予想、予定していたんだろうと、そう思うわけです。
 先に、情緒的な風潮の中で有罪無罪が決まっていくと、そういう話がありましたけど、私は思うんですね。弁護士は弁護士として、政治家は政治家として、メディアの人間はメディアの人間として、それぞれの人間がプロ的な精神を持ってそれぞれの職責を全面的に発揮すれば、おそらくこんな体たらくな状態にはならんだろうと思うんです。法廷でも、捜査段階から弁護士が弁護人として責任をしっかりと果たせば、恐らく情緒的な社会の動きに対してたえることが出来る、或いは十分に弁護して勝つことが出来るだろうと思うんですね。
 プロ性がどんどん抜けていく、今回の政権交代でも、ま、アマチュアの集団というか、益々プロがなくなる。小沢さんがいなくなることは、プロがいなくなる、そういうことだろうな、と。崩壊の社会が来たな、と。プロが居なくなるということは、結局情緒的なものに流されるし、或いは、世間の風潮に流される、とこういう時代に益々突入したな、と思っているんです。


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