「悩みの多くは、比較から生まれる」樋野興夫 / 「比較することは愚か 孤独だけを信じて生きる」車谷長吉

2015-09-07 | 本/演劇…など

〈来栖の独白 2015.9.7 Mon. 〉
 昨日、名古屋能楽堂への途次、樋野興夫(ひの おきお)著『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(幻冬舎)を購入した。先月だったか、新聞の広告欄に以下のような文言が載っており、日頃の私自身の考え方(命よりも大切なものがある…人は、そのもののために死ねる)に似通っているようで、この本のことが気になっていた。樋野氏は次のように云っている。

 命が尊いことは確かですが、「自分の命よりも大切なものがある」と思ったほうが、わたしたちは幸せな人生を送ることができるようです。
「命が何よりも大切」と考えてしまうと、死はネガティブなもの(命の敵)になり、ある時を境に死におびえて生きることになります。

  「命」「死」についてのほかに、車谷長吉氏の『車谷長吉の人生相談 人生の救い』(朝日文庫)を思い出させる箇所があり、大変興味深く読んだ。
 樋野興夫氏は『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』の中で、次のように書く。

(p43)
■人と比べるから悩みが生まれる
 私たちは小さい頃から人と比較しながら生きています。(略)みんな、人との比較で悩んでいます。(略)
(p44)
 私は病理学者ですから、これまでにたくさんのご遺体と向き合ってきました。だから、人とは少し違った見方が出来ます。
(p45)
 死から人生を見つめ直してみると、人との比較なんてどうでもいいことに思えてきます。あの人よりも偉くなったから、あの人よりも有名になったから、これらのことが死の前にどれほどの価値を持つのでしょうか。ご遺体を前にして感じることは、「いったいこの人の人生は何だったのだろうか?」「自分らしく生きられたのだろうか?」(略)そこに他人との比較が入る余地はありません。(略)
 世の中の悩みは、人と比較するから生まれてくる。自分本来の役割を自覚して生きていけば人と比べることはなくなり、悩みもぐっと減るでしょう。
(p46)
 昔の元気な自分より、いまの自分が「最高」
 他人と自分を較べない。昔の自分といまの自分を較べない。悩みの多くは、比較から生まれる。

 車谷長吉氏は『人生の救い』の中で、虚弱体質で苦労してきた女性の「私は健康な人に嫉妬心を抑えることができません」との相談に、次のように書く。

(p57)
■比較すれば必ず優劣がつきます
 私は田舎の高等学校を卒業する直前、一学年下の女の子数人に、人生で一番大切なものは何ですか、と尋ねられ、「健康だと思います」と答えたのを、つい、きのうのことのように覚えています。けれども、その人たちにとっては、健康はごく当たり前のことだったので、私の言うたことの意味は、よく分からなかったようです。(略)その夜、私は「孤独を強く決意」しました。私は鼻で呼吸することが出来ない人間として、この世に生まれて来ました。鼻で呼吸できる人には、この苦しみは分からないことです。これは、つらいことです。
 人の本質は孤独です。他人と自分を比較することには、価値はありません。あなたは虚弱体質で、物心ついたときから、かなり苦労なさってきたようです。(p58)つまり他人と自分を比較することばかり、なさってきたようです。比較するがゆえに、苦痛を感じるのです。比較することは無価値なのですが、世の大部分の人は、比較しながら生きています。「愚か」です。明治以来、文部省がそういう教育をしてきたのです。
 不孝な人はしばしば、他人から思いやってもらうことを願いますが、その願いはほとんどの場合、かなえられません。ひとりぼっち(孤独)を決意する以外に、救いの道はありません。
 あなたの場合は、嫉妬心を抑えることが出来ない自分に、自己嫌悪を感じていらっしゃるようですが、それはつらいことです。そのつらさから逃れる道は、他人と自分を比較することを止める以外にありません。比較すれば必ず優劣がつきます。「劣でいいのだ」と決意できれば、そこから「精神の自由の道」が開けてきます。自己嫌悪は少なくなります。
 私は40歳ぐらいのときまで「優の人」とつきあってきましたが、それは無価値だと気づいたので、あとは孤独だけを信じて生きてきました。すると(p59)楽になりました。優劣をつけることは、浅ましいこと、浅はかなことです。

 人は多く、自己を他者と比較しながら生きるのではないだろうか。車谷氏の言葉を借りるなら「愚か」である。聖書は「迷わない一匹の羊よりも、迷える(落ちこぼれの)一匹の羊のほうが愛おしい」と言う。どのような人も、粗略に扱われてはならない。尊重されねばならない。
 「いのち」については、先頃出版された元少年A著『絶歌』(太田出版)との関連で、いずれ稿を改めたいと思う。
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【著者は語る】『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』 順天堂大学医学部教授・樋野興夫氏
 Sankei Biz 2015.9.12 05:00 
 ■心を軽くする「琴線に触れる言葉」
 がんや余命の宣告は、多くの人に自らの「死」を意識させ、不安や恐怖が患者さんを襲います。生きる希望を失ったり、人生の目的がわからなくなったり、今までの自分を否定してしまったり。約3割の人に鬱的な症状が出てきます。鬱といっても鬱病ではないので薬を飲んでも効果がなかなか出ません。
 励ましや応援の言葉も一時的なものにすぎません。励まされた直後は心が前向きでも、自宅で一人になるとまた不安や恐怖に襲われます。こうした患者さんの精神的ケアまで手が回らないのが、今の医療の現実です。
 私は患者と現代医療の隙間を埋めるべく、2008年に「がん哲学外来」を開設しました。そこでは医療行為も薬の投薬も行いません。私と患者さんが1対1で向き合い、お茶とお菓子を囲んでゆったりした空気の中、対話を行います。患者さん一人一人にあった「言葉の処方箋」を贈るのです。暗記しやすく、一人になったときに頭の中で繰り返しつぶやける言葉があるだけで、心は軽くなります。
 がん哲学外来に来られる患者さんは、一様に来る前より元気になって帰っていきます。お金がかからず、副作用ゼロの処方箋です。本書は私が普段、「がん哲学外来」で処方している言葉を、病気に苦しむ患者さんはもちろん、人間関係や仕事のことで悩んでいる人にも効くようにまとめたものです。例えば自分の人生失敗だらけで、生きていく気力が沸かないという人には、「人生に期待してはいけない。人生から期待されていると思いなさい」と言います。
 また、寝たきりの患者さんには「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」という言葉を贈りました。大事なのはその人の琴線に触れる言葉を見つけることです。
 本書の中には48の言葉の処方箋が入っています。その中で一つでも、読者の心に刺さるものがあればと思っています。(1188円 幻冬舎)
          *   *
【プロフィル】樋野興夫
 ひの・おきお 1954年、島根県生まれ。医学博士。順天堂大学医学部、病理・腫瘍学教授。がん哲学外来理事長。2008年「がん哲学外来」を開設し、がんで不安を抱えた患者と家族を対話を通して支援する予約制・無料の個人面談を行う。肝がん、腎がん研究の功績により日本癌学会奨励賞、高松宮妃癌研究基金学術賞を受賞。著書に『いい覚悟で生きる』。

 ◎上記事は[Sankei Biz]からの転載・引用です


車谷長吉さんと「インターセクシャル (IS)性分化疾患を持つ人々の物語」 
 〈来栖の独白 2015.7.7 〉
 先ごろ亡くなった車谷長吉さん。死因は、食べ物を喉につまらせた窒息のため、ということだった。遺伝性蓄膿症であった車谷さん。鼻で息ができないため、窒息死したのだろう。
 朝日新聞の紙上人生相談、不運を嘆く就職活動中の学生に以下のように答えていた。

 私は遺伝性蓄膿症なので、物心ついた時から鼻で呼吸ができません。口で息をして生きてきました。苦しいことです。

 世には運・不運があります。それは人間世界が始まった時からのことです。不運な人は、不運なりに生きていけばよいのです。私はそう覚悟して、不運を生きてきました。
 私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。嘆くというのは、虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。この世の苦しみを知ったところから真(まこと)の人生は始まるのです。
 真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人です。己れの不運を知った人だけが、美しく生きています。
 私は己れの幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。そういう人を羨ましいと思ったことは一度もありません。己れの不運を知ることは、ありがたいことです。

 「まことの人生」「己れの不運を知った人だけが、美しく生きています」というフレーズは、私に「インターセクシャル(IS)性分化疾患を持つ人々の物語」を鋭く思い起こさせた。彼らこそ、不運(深い苦しみ)の故に、その人生が矜持ある美しいものとなっているのだろう。ものごとの実相、「まこと」が見えているに違いない。
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車谷長吉の人生相談『人生の救い』朝日文庫 2012年12月30日 第1刷発行

     

p12~  
回答;幸運の上にふんぞりかえるより
 私は遺伝性蓄膿症なので、物心ついた時から鼻で呼吸ができません。口で息をして生きてきました。苦しいことです。
 田舎の高校2年生の夏、60日余り、病院へ入院して2度、5時間余の大手術を受けました。けれども額の後ろの骨に溜まっている膿を取り除くには、3度目の手術が必要であり、その手術をするのには目の神経を切断する必要があると言われ、盲(めしい)になってもよい、という同意書に署名・捺印を求められました。私は署名・捺印をすることが出来なかった男です。
 私と同年配の女性で、署名・捺印をして手術を受け、遺伝性蓄膿症はからりと治ったものの、以後、盲人の按摩さんとして生きてきた人を知っています。鼻で呼吸が出来るのは、目が見えないよりは楽だと私に言うています。偉い人です。
 私はこの病があるゆえに、私の独り考えで作家になりました。親の財産はすべて放棄して、弟に譲りました。
 弟は百姓をしていますが、同じ遺伝性蓄膿症なので結婚はしていません。(略)
 世には運・不運があります。それは人間世界が始まった時からのことです。不運な人は、不運なりに生きていけばよいのです。私はそう覚悟して、不運を生きてきました。
 私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。嘆くというのは、虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。この世の苦しみを知ったところから真(まこと)の人生は始まるのです。
 真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜い人です。己れの不運を知った人だけが、美しく生きています。
 私は己れの幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。そういう人を羨ましいと思ったことは一度もありません。己れの不運を知ることは、ありがたいことです。
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明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい 樋野興夫著 
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2 コメント

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感動しました。 (K)
2015-10-10 12:49:11
今朝から「明日この世を去るとしても、今日の
お花に水をあげなさい」を読ませて貰いました。

私も主人の介護生活でいきずまりそうな時期に
この本との出会いで心が少し軽くなりました。

島根県の出身と書いてありましたので親しみを感じて
コメントをいれます。

松江市の双子のバアバ
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Re;感動しました。 (ゆうこ)
2015-10-10 22:35:49
 コメント、ありがとうございました。URLをリンクして下さっていましたので、お邪魔し、「手芸を楽しんでいます。」(http://blog.goo.ne.jp/2014keitaka/e/9cd2f3c4cbcb808a9c27c18e56241333)を拝見。ステキな作品ですね。また、その下、こんな絵がお描きになれる御主人様、すばらしい♪ しばし見惚れました。
>私も主人の介護生活でいきずまりそうな時期に
 ・・・言葉がありません。どうぞ、ご自身をもおだいじになさってくださいませ。
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