永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(6)「斎藤衛」とは別の、もう一つの殺人『週刊新潮』2016/3/3号

2016-03-08 | 死刑/重刑/生命犯

「ここを掘れば遺体が出る」 遺棄役が自ら“現場”を案内〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白(6)〉
 前橋スナック銃乱射事件の首謀者として死刑が確定している矢野治死刑囚(67)は、斎藤衛を葬った件とは別の“もう一つ”の殺人についても語り出した。斎藤の遺体の処理を担った結城実氏(仮名)は、こちらの殺人にも関与しており、しかも「遺棄場所を案内できる」と言う。
 ***
「ここだ、ここだ。私が、もう一つの殺人事件の被害者の死体を埋めた場所は」
 すでに20年もの歳月が経つというのに、結城氏は、迷うことなく現場に到達したのだった。
 神奈川県伊勢原市郊外。名勝地、大山のすそ野には、休日ともなれば、親子連れなどで賑わうキャンプ場が点在している。その喧騒から離れ、清流に沿ってさらに鬱蒼とした森に分け入り、麓から徐々に勾配がきつくなる山道に入る。峠に向かって林道を右に左に折れながら、1キロほど登った時、突如、彼は歩を止めた。そしてガードレール脇の、ブナの木が生いしげり、茶褐色の落ち葉が降り積もる雑木林のある辺りを指さし、こう言ったのだ。
「間違いない。ここを掘れば、遺体がもう一体出る」
 本誌(「週刊新潮」)が、結城氏の案内で、伊勢原の死体遺棄現場を訪れたのは、昨年9月のことだった。ここに埋められている人物は何者なのか。なぜ殺害されねばならなかったのか。矢野の告白の概要は次の通りだ。
■殺しを依頼
〈96年8月頃、私、矢野治は、知り合いの住吉会系のある組の頭(若頭)から、「殺したい男がいる」と相談を受けました。相手は伊勢原駅前にある不動産物件のオーナーで、所有権や再開発をめぐり、頭と紛争になっているとのことでした。頭は「裁判を起こされると面倒なことになるので、この邪魔者を消したい」と言う。伊勢原の物件がうまく処分できれば、私に報酬を払うとの約束でした。そこで私は、五分の兄弟分だった同じ幸平一家の組の組長(2014年死亡)に、この男の殺しを依頼したのです。
 殺害が実行されたのは、8月14日か15日だった。死体の始末は、結城に命じました。彼が、殺害を実行した組の人間と連絡を取り合い、遺棄したのです〉
 以上の通り、矢野は今回のケースでは、殺人の依頼を仲介したことになる。矢野の話を、結城氏が引き取り、補足する。
■結城氏が語る「もう一つの殺人」の遺棄
 ***
 残念ながら、私には殺された被害者が何者なのか、全く分かりません。
 矢野の親父から、電話があったのは、96年の夏、暑い盛りでした。
「伊勢原で穴が必要になりそうだから用意してくれ」
 指示を受けた私は白のワンボックスカーを用意し、東京から伊勢原に出かけました。そして、伊勢原市内の山を車で物色し、絶対、人に見られず、安心して遺体を埋められる場所を探したのです。龍(※斎藤衛の稼業名は「龍一成」)の事件を話す時にも説明しましたが、スギなどの保安林となっている場所は、定期的に植林や伐採で役所の人間の手が入るため、掘り返されてしまう危険があるから、絶対、避けなければいけません。
 伊勢原滞在中はアシがつくとまずいので、ホテルや旅館には泊まらず、ワンボックスの中で寝泊まりしました。結局、1週間ほど滞在したでしょうか。この間、風呂に入りたくて東京に1~2回、帰っています。
 そして市内のある小高い山の雑木林の中にポイントを選定しました。1~2時間かけ、縦1メートル、横1・5メートル、深さ2メートルほどの長方形の穴を、スコップや熊手を使って掘りました。掘り返した土は、怪しまれないようにするため、土嚢袋に入れます。そしてぽっかり空いた穴に、何袋にもなった土嚢袋を詰め込み、上からブルーシートを敷き、さらに木切れや葉っぱをかけて、隠します。こうしておけば、実際、遺体を埋める際には、土嚢袋を取り出し、空いている穴の中にそれを放り込み、上から土嚢袋の土をかけるだけでよい。手間と時間が大幅に省け、犯行時に目撃される危険性は格段に減少するのです。
 こうして穴を用意したところ、また親父から電話がありました。
「頼んでいた組員が相手を殺(や)ったので、連絡を取り合って、死体を始末してくれ」
 そこで私は、その組の小川健一(故人・仮名)という人間に電話しました。小川もワンボックスカーで伊勢原に来ており、「伊勢原の窪地になった住宅街に、神社があるので、そこに来てくれ」と言われました。
■予定を急変更、ガードレール脇へ……
 もう日が沈み、夕闇が迫る頃でしたね。車でその場所に向かうと、すでに小川のワンボックスカーは、神社の脇の道路に駐車していました。ここで私は小川と車をチェンジした。彼の車に乗り込むと、後部座席の下の床に、毛布をかけた死体が転がっていました。被害者はちょっと近所に出かける風の軽装で、サンダル履きだったのを鮮明に覚えています。
 私は、掘った穴の場所に直接向かい、小川はそのまま東京に戻ったようです。穴を用意した山に到着した頃には、あたりはすっかり暗くなっていました。私はワンボックスカーから下り、毛布にくるまれた遺体を車から半分引きずり出しました。そして抱きかかえようとしていた、その時です。突然、子どもの笑い声が聞こえたかと思うと、木立の中から親子連れが現れたのです。どうやら蝉取りを終え、家路に就くところのようでした。この時、私がどれほど驚いたことか。慌てて、遺体を元に戻し、車を発進させました。その際、被害者のサンダルが地面に落ちてしまったと思いますが、拾い上げる余裕がなく、そのままにしたのです。
 それから急遽、新たに穴掘りの場所を探さなければいけなくなった。私は選定作業の際、候補地の一つにしていた場所に向かうことにしました。大山のすそ野のキャンプ場を通過し、さらにその先を山の麓に向かって、車を走らせる。暗い森を抜けると、やがて麓の登山口に着いたのです。
 そこから車で林道を数分ほど登ったでしょうか。左側のガードレール脇のなだらかな山の斜面には、ブナの雑木林が広がっていました。私はガードレールから1~2メートル下方の、急斜面になっていない地面に遺体を放り投げました。自らもその場に下り、スコップを使って、必死に穴を掘りはじめた。2時間ほどかけ、深さ2メートルほどの長方形の穴を掘り、その中に遺体を放り込みました。そして周囲に積んだ土を、そのまま遺体の上にどんどんかけ、埋めてしまったのです。この間、額からは滝のように汗が流れ出ていました。
 死体を遺棄した後、私は林道をはさんだ反対斜面の山側から流れ落ちてきていた湧き水を手で何度も掬い、喉を潤しました。その清水がとても冷たく、美味しかったのを、昨日のことのように覚えています。
 その後、私は東京へと帰途に就きました。そして翌未明、東京に戻ると、小川の自宅に赴き、そこで再び車を交換したのです。
 ***
(7)へつづく(2016年3月9日掲載予定)
「特集 永田町の黒幕を埋めた『死刑囚』の告白 第2回 警察が知らない『さらにもう一つ』の殺人事件」より
  週刊新潮 2016年3月3日号 掲載  ※この記事の内容は掲載当時のものです

  ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(10)警視庁が捜索を始めた死体遺棄場所『週刊新潮』2016/3/17号
永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(9)カタギ「津川静夫」さん殺害の背景 『週刊新潮』2016/3/10号
永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(8)10億円利権でカタギを手に掛けた 『週刊新潮』2016/3/10号
永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(7) 遺族証言と一致 実行犯・秘密の暴露『週刊新潮』2016/3/3号
永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(6)「斎藤衛」とは別の、もう一つの殺人『週刊新潮』2016/3/3号
永田町の黒幕「リュー一世(斉藤衛)」を埋めた矢野治死刑囚の告白(5)『週刊新潮』2016/3/3号
矢野治死刑囚の告白 (3)(4)結城実氏「リュー一世(斉藤衛)を遺棄した経緯」週刊新潮2016/2/25号
永田町の黒幕「リュー一世(斉藤衛)」を埋めた矢野治死刑囚の告白(1)(2) 週刊新潮2016/2/25号
「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の矢野治死刑囚が警視庁に文書提出 平成26/9/7付
....................


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。