矢野治死刑囚の告白 (3)(4)結城実氏「リュー一世(斉藤衛)を遺棄した経緯」週刊新潮2016/2/25号

2016-03-01 | 死刑/重刑/生命犯

共犯者が”死体を埋めた経緯”を明かす〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白(3)〉
「前橋スナック銃乱射事件」の首謀者として死刑判決を受けた、指定暴力団矢野睦会の前会長・矢野治死刑囚(67)。彼が告白したのは、「オレンジ共済事件」で政界工作を行い、証人喚問も受けた「龍一成(本名・斎藤衛)」を葬った未発覚の殺人である。手紙と面会を通じて得られた証言によれば、“龍を監禁し、自らの手で絞殺”“配下の結城実(仮名・手紙では実名)に死体の処理を命じ、自身は遺棄の場所は知らない”という。
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 矢野の証言は極めて具体的だった。もっとも、彼の告白の目的が、新たな事件の立件化による死刑執行の先送りにあるのも間違いないだろう。斎藤衛の動静を報じる新聞記事や、業界の話でその失踪を知り、架空の殺人事件をでっち上げている可能性も完全には否定できまい。というのも、この余罪事件では警察も一時、捜査に動いたが、それがぴたりと止まっているからだ。矢野が告白の手紙を一昨年末に「週刊新潮」に送ってきたことは(1)に述べた通りだが、その末尾に記された希望通り、彼の弁護士は、警視庁目白警察署にも、同時に同じものを送っていた。これを受け、目白署の刑事たちがすぐ弁護士に状況を確認。その年の12月25日には、矢野が収監されている小菅の東京拘置所で、事情聴取も行っていたのである。
 しかし何故か警視庁は本格的な捜査に着手しないままでいる。矢野の証言には信憑性がないと判断したからなのか。「週刊新潮」は、もう一人の証言者を探した。矢野の告白で、死体遺棄役とされた、矢野睦会の元構成員、結城実氏である。
■遺棄役に接触
 彼とコンタクトを取り続けた結果、ようやく会えるようになったのは昨年3月のことだ。目の前に現れたのは、すでに中年の域を超えた男性だった。その相貌には、数十年にわたり渡世の荒波に揉まれ、これを乗り切った労苦が深い皴となって刻み込まれていた。
「矢野の親父(おやじ)はどうして今さら、こんな20年近くも前の事件を表に出そうとしているのか。私はすでに堅気になって長い。こんな騒動に巻き込まれたら、仕事もできなくなる」
 当惑するのも当然だが、その念を抑え込み、努めて平静な語り口で話す。齢を重ねてから堅気となり、糊口をしのぐために苦労している様子が窺えた。しかし、矢野の証言を言下に否定することはなかったのである。
 告白が事実なら、事件解決のために協力してもらいたいと説得を試みた。結城氏は沈思黙考の態となった。そして矢野の手紙をじっくり読みたいと言う。
「龍が毎日、夢に出てきて苦しんでいる? 早く穴から出してやってほしい……」
 手紙の文言を声に出す彼の口元に苦笑が浮かんだ。
「親父はそんなタマじゃないよ」
 その後も時間をかけ、接触を続けた。結城氏も熟慮を重ねている。その結果、
「分かった。縁があって、親と仰いだ矢野さんのためだ。龍を穴から出してやろう」
 彼はようやく重い口を開き、事件の全容を明かすと約束してくれたのだった。
■“安心して埋められる”と確信できる場所
 あれは98年の春頃のことです。ある夜、矢野の親父から電話がかかってきました。親父はこう言った。
「龍一成の件で穴が必要になるかもしれない。どこかに用意しておいてくれ」
 龍は、矢野の親父から金を回してもらっていたんだけど、それが焦げ付いている話は耳にしていました。
 私は「分かりました」と答え、すぐに信頼のできる配下の組員を一人選抜しました。それが親父の手紙にある木村です。(※手紙には“木村洋治〈仮名・手紙では実名〉も死体遺棄に手を貸している筈です”とある)。埼玉方面に穴を用意することにしました。翌日には、彼の車で遠征することにしたのです。
 木村の車は、トヨタの2ドアのスポーツタイプで、明るい青色の車体だった。高速道路は使わず、川越街道などを通って、自宅のあった池袋から成増(なります)を抜け、埼玉に向かいました。確か狭山か川越界隈で、国道を南西に折れ、入間や飯能(はんのう)のあたりに入ったと思います。するともう近辺は四方が山だらけの風景になりました。
 日中、適切な場所を探して、入間や飯能、秩父、名栗村(入間郡。現在は飯能市に編入)など隣接している地域の山間部を走り続けました。途中でダムを通り、飯能の顔振峠からは綺麗な富士山も見えた。そして2日がかりで「ここは絶対、大丈夫だ。安心して遺体を埋められる」と確信できる場所を見つけたのです。
 そこは山頂から麓の集落まで車で10分ほどで降りられる小高い山の中腹にある、山道脇の雑木林の中でした。ブナなどがたくさん自生していた。ちなみに、スギなどの保安林となっている場所はダメ。植林や伐採などで定期的に人間の手が入るので、遺体が掘り返される危険があるからです。
■遺棄された場所は?
 この山の頂には確か神社か寺があった。茶屋があり、駐車場も整備されていました。山頂から車で降りていく途中に、緑色の屋根のログハウスがありました。山道はアスファルトで舗装されているが、落ち葉が大量に降りかかっており、夜間は車の通行がほとんどない。そのログハウスから数十メートル手前の雑木林をポイントに設定しました。
 夜の帳(とばり)が下りるのを待ち、そのログハウスの灯りが木の間から漏れるのを目にしながら、スコップと熊手で穴を掘りました。その際、木村と、「確かこの近くに築地総長の家があるな」と会話を交わした記憶があります。築地総長とは、幸平一家の先代の総長(十二代目)の築地久松さんのことを指します。出身地の名栗村に要塞のような大豪邸を建てていた。そこで定期的に総会が開かれるため、私も矢野の親父とともによく訪ねたものです。
 私たちは1~2時間かけ、縦1メートル、横1・5メートル、深さ2メートルほどの長方形の穴を掘りました。掘り返した土をそのままにしておくと、怪しまれるかもしれないので、用意してきた土嚢(どのう)袋に入れます。そしてぽっかり空いた穴に、何袋にもなった土嚢袋を詰め込んでいくのです。その上にブルーシートを敷き、土や木の葉を浅くかけておく。こうしておけば、実際に遺体を埋める時は、土嚢袋を取り出し、その穴の中に放り込んで、上から袋の土をかけていくだけで済み、手間と時間が省けるのです。こうして、穴を用意し、私と木村は東京に戻りました。
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結城氏の証言は(4)へつづく
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別の遺体もあるとの証言も〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白(4)〉
 暴力団組長・矢野治死刑囚(67)が「龍一成(本名・斎藤衛)」の監禁殺人を明かしたが、それが作り話である可能性を完全には否定できない。そこで、矢野の告白にて死体遺棄役とされた、元構成員の結城実氏(仮名)に接触。結城氏は、1998年の春頃に矢野に命じられ、木村洋治(仮名)と共に雑木林の中に遺棄用の穴を掘ったと語った。証言はさらに続き――。
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 それから1日、間が空いたでしょうか。夕食時に、自宅の電話が鳴りました。矢野の親父からです。
「龍がロクった(死んだ)。死体を始末してくれ」
 こう指示された私は、木村と共に龍が殺された、東京・要町のビルにある〇〇組の事務所に向かいました。
 現場に着いたのは夜10時頃のことです。確か事務所は4階か5階にあり、防犯カメラに映らないよう、非常階段を使って上りました。扉のカギは開いており、中には誰もいなかった。電気をつけると、2DKの一室に1・5メートル四方の大きな檻がありました。〇〇組には、シャブでおかしくなった薬(ヤク)中の組員を監禁するため、日頃からベランダに特注の檻が置いてあったんです。その中でジャージ姿の龍が息絶えていました。顔から血の気が引いて真っ白になり、口から泡を吹いていたのが印象に残っています。
 私たちは龍の遺体を毛布でくるみ、布団袋に入れて、再び非常階段で階下に降りました。遺体をトランクに積み、埼玉を目指した。前の道を使いましたが、今回は主要道路に設置されたNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)を警戒し、ところどころ小さな脇道にも入ったので、少し時間がかかったと思います。
 穴の場所に到着すると、前回と同様、ログハウスから光が漏れているのが見えました。木の葉をかきわけ、土嚢袋をすべて取り出すと、我々は龍の遺体をその穴の中に放り込んだのです。時計や指輪をはめていましたが、そのままの状態で体に土嚢袋の土をかけていきました。ほどなくして、龍の遺体は土の中に完全に埋もれてしまった。スコップで地面を固めると、その上にまた木の葉をかけたのです。
 東京に戻る途上の高島平の北側にある荒川に、スコップや熊手、土嚢袋や毛布などを捨てました。こうして死体遺棄を終え、自宅に戻った時には、明け方4~5時頃になっていました。
 かように、結城元組員の証言は詳細を極め、迫真性に富んでいた。とはいえ、やはり矢野死刑囚の刑執行を先送りにするため、事前に彼と口裏合わせを行い、架空の死体遺棄を捏造している可能性を100%否定することはできない。
 矢野死刑囚は、警察宛てにも“告白”を綴った手紙を送り、一昨年の12月末には事情聴取も行われた。が、警視庁は本格的な捜査に着手しないでいる。警察の方ではどう受け止めているのか。矢野の告白に信憑性があるか否か判断するためには、死体遺棄を命じられたとされる結城氏に確認を行うことが不可欠のはずだ。しかし驚くなかれ、警察はただの一度も、彼にコンタクトを取ってきていないと言うのである。
「おそらく、放っておいても死刑になるような暴力団幹部のために、穴掘りの泥仕事などやりたくないのでしょう。しかも被害者も反社の世界の、どうにもならないワルです。捜査をネグって、このまま事件を闇に葬りたいのでしょう」
 結城氏ならずとも、当然、警察に抱く疑念である。
■“品物”は二つ出る
 斎藤衛の実姉が慨嘆する。
「矢野治という名は衛から聞いて知っていました。“友達だ”と言っていた。弟の死が事実なら、警察の力を借りて、せめて骨だけでも拾い上げたいのに……」
 その後、矢野死刑囚に対する取り調べがどうなっているのか、本人に確認を試みた。ところが、長期の拘束による拘禁症の影響からなのか、自首に向けた彼の態度は不鮮明となり、やがて協力が得られなくなってしまった。しかし最後に彼はこう語っていたのだ。
「穴を掘れば、“品物”が二つ出る」
 この謎めいた言葉は何を意味するのか。矢野の話をもとに結城氏に確認したところ、一瞬、その顔に翳がさすのを感じた。だが即座にこう明かしてくれたのだ。
「親父はその話も表に出したんですか……。実は、親父が関わって、めくれていない(発覚していない)殺しはもう一つある。その死体遺棄も私が命じられました。しかし、埋めた場所は別のところです。龍の遺棄場所は、木村の運転で行ったところなので、私一人の力で掘り当てられるか、覚束ない。でも、別件は、私自身の運転で赴いた山中です。真っ直ぐ警察の方たちをご案内できますよ」
 もう一つの殺人。結城氏の話を聞き、本誌は、彼の証言は全て真実に違いないと確信するに至った。なぜなら、その死体遺棄の証言には、実行に係わった者にしか知り得ない“秘密の暴露”があったからである。
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(5)へつづく(3月3日(木)掲載予定)

特集 永田町の黒幕を埋めた『死刑囚』の告白 第1回」より
 発売中の「週刊新潮」3月3日号では、警察の知らない「もう一つ」の殺人について実行犯にしか知り得ない詳細を掲載。さらに被害者の妻の所在を探し当て、話を聞いた。被害者を20年も待った妻の悲痛な言葉とは――。週刊新潮 2016年2月25日号 掲載  ※この記事の内容は掲載当時のものです

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です 
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永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(10)警視庁が捜索を始めた死体遺棄場所『週刊新潮』2016/3/17号
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「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の矢野治死刑囚が警視庁に文書提出 平成26/9/7付
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