正義のかたち:重い選択・日米の現場から/8止 死刑判断、向き合う市民
◇「他の刑と違う」不安
07年2月12日、米ペンシルベニア州ドイルスタウンの裁判所で開かれたリチャード・ライアード死刑囚(46)の再審公判は、男性7人、女性5人の陪審員による評議に移った。88年に起きた誘拐殺人事件で死刑が確定したが、米国では長期収容者の場合、多くのケースで再審公判が開かれる。その再審公判で、前週に陪審員が有罪を評決した。この日は、死刑か終身刑かの量刑評議だった。
殺害の事実に争いはなく、誰もが淡々と死刑評決が出ると思っていた。しかし、部屋全体に重苦しい空気が広がる。陪審長を務めたエイリーン・ゾロトロフさん(61)が振り返る。「3人が悩み始め、女性の一人は泣き出し、次第にみんなが感情的になった」
ライアード死刑囚は、バーで知り合った被害者が同性愛者であることを嫌悪し、知人(死刑確定)と一緒に刺殺したことを認めていた。しかし、2人とも自分は主犯でなく計画性もなかったと主張していた。
首を切り裂かれた遺体の写真を法廷で見せられた陪審員の間には、遺族への同情が強まっていた。それでも「他の刑とは全く違う精神的負担がかかる。『死刑以外ない』という強い確信が必要だった」とゾロトロフさんは語る。小さな疑問でも、陪審員は裁判長を呼び、確認を求めた。評議は1日で終わらず翌朝から継続。2日目の夕、死刑で一致した。全員で抱き合い、労をねぎらった。
裁判所を出ると、午後8時を回っていた。雪の中、12人が駐車場から車を出そうとした時、被害者の老父の姿があった。ゾロトロフさんが声をかけると、全員が次々と集まり抱き合った。イタリア系移民であまり英語を理解しない父は、涙を浮かべ「ありがとう」と繰り返すだけだった。
ゾロトロフさんは、O・J・シンプソン陪審裁判で「殺人事件」が「人種問題」にすり替えられるのを見て司法への信頼を失っていた。しかし、自身の陪審経験で思いは変わる。「いかに市民が真剣に評決と向き合っているかを実感できた」
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「叔母は死んだのに(被告が)普通に生きていることに憤りを感じます。死刑をお願いします」
9月15日、和歌山地裁の法廷に証人として出廷した被害者のめいは涙声になった。和歌山市で女性(当時68歳)を絞殺し貴金属を奪ったとして、強盗殺人罪などに問われた赤松宗弘被告(55)の公判2日目。法定刑は「死刑または無期懲役」で、これまで開かれた裁判員裁判で最も重い。翌日、検察側の求刑通り無期懲役が言い渡され、確定した。
「忘れることができない言葉だった」「胸がいっぱいになった」
判決後の記者会見で、裁判員経験者らは極刑を望んだ遺族の言葉の重みを語った。評議の雰囲気については「素直に意見が言えた」「和やかでよかった」と評価する人が多かった。だが「素人が量刑を決めていいのか。これでよかったのかと疑問は残る」「数日しか(審理が)なかったので(無期懲役の重さを)理解できたか分からない」と不安を口にする人も。
動き出したばかりの裁判員制度で、検察側が死刑を求刑した事件はまだない。しかし、国民から選ばれた裁判員たちが「究極の刑罰」と向き合うのは、そう遠い将来ではない。【藤顕一郎、ドイルスタウン近郊で小倉孝保】=おわり
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■ことば
◇O・J・シンプソン陪審裁判
94年6月13日、米ロサンゼルスで女性と友人が殺害されているのが見つかった。警察は女性の元夫でアメリカンフットボールのスーパースターだったO・J・シンプソン元選手(62)を逮捕。検察は殺人罪で起訴したが、元選手は無罪を主張し陪審裁判に。被告が黒人で被害者が白人。弁護側は人種問題を焦点にし陪審員12人のうち9人を黒人にすることに成功。捜査員が過去、人種差別発言をしていたことや、証拠の一部の捏造(ねつぞう)疑惑も出て95年、陪審員は全員一致で無罪を評決した。
毎日新聞 2009年10月20日 東京朝刊
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◇ 正義のかたち「重い選択・日米の現場から」「死刑・日米家族の選択」「裁判官の告白」