集団的自衛権論争の国際標準 「戦争法案」との決めつけは論外だ
zakzak 連載:「日本」の解き方 2015.05.27
集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制の関連法案が今国会の大きな争点になっている。だが、いま日本で行われている集団的自衛権に関する議論は日本以外では理解されないだろう。今回はそれを明らかにしたい。
これまで本コラムでは、集団的自衛権について、自衛権を「個別的」「集団的」と分け、個別的はいいが集団的はダメというロジックは国際社会で通じないこと、海外において自衛権はどこの国でも刑法の正当防衛と対比され、言葉としてはともに同じ「self-defense」であること、日本の第9条のような規定のある憲法は世界では珍しくなく、そうした国では集団的自衛権の行使は当然の前提であること-などを書いてきた。
日本に米軍が存在しているのは、みんな知っているが、実は国連軍もいる。米軍の横田基地に、国連軍後方司令部があり、日本は、オーストラリア、カナダ、フランス、ニュージーランド、フィリピン、タイ、米国、英国の8カ国と国連軍地位協定を締結している。横田基地には、日米の国旗とともに、国連旗が立っている。
国連軍司令部の方は韓国にある。こうした国連軍の体制は、1953年7月に朝鮮戦争が休戦となり、休戦協定が発効した翌54年2月以来である。朝鮮戦争は今でも休戦状態であり、終戦ではない。
このように日本はすでに、日本だけでなく極東の安全のために、一定の軍事的な貢献を果たしていることは、世界から見れば常識になっている。
これだけ国連にビルトインされている日本が、国連憲章で認め、日米安全保障条約でも明記されている集団的自衛権を行使しないという論法が、国際社会で通用するはずない。
今国会で提出されている安保法制は、そうした国際社会の理解への国内法制のキャッチアップの過程でしかない。これをもって、「戦争のための法案」というのは、あまりに現状を知らなすぎる議論だ。自衛隊の戦力では、戦力投射能力(軍事力を輸送、展開して作戦を遂行する能力)はなく、侵略戦争は絶対にできない。
集団的自衛権について、日本では「戦争に巻き込まれる」という考え方があるが、国際常識では、集団的自衛権は戦争に巻き込まれず防衛コストが安上がりになるという考えが主流だ。現在米軍の日本に対する防衛を、すべて日本の自主防衛だけで行えば膨大なコストになり、20兆円以上が必要という試算もある。
米国とすでに同盟条約を結んでいた国が第三国から侵略されたことはほとんどなく、特殊な例外は南ベトナムぐらいだ。このように集団的自衛権は抑止力があり、自ら仕掛けていかないのであれば、戦争に巻き込まれる可能性は低い。集団的自衛権は多数国の判断だが、個別的自衛権は一国のみの判断なので、より危険であるとされている。
このため、戦後の西ドイツは個別的自衛権は行使できず、集団的自衛権のみが認められてきた事実がある。これが自衛権に関する国際常識だ。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
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