愉しみに読んできた新聞連載小説、諸田玲子著『遊女(ゆめ)のあと』。そろそろ終わりが近いようだ。
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12月14日 327回
「本寿院さまの御事にござりまする」
「申してみよ」
「去る2月14日、ご逝去されたそうにて」
宗春は筆を止めた。
しばし沈黙が流れる。
「眠るがごときご最期にござりました由」
「・・・さようか」
「宣揚院さまが手篤くご供養されたそうにござります」
「母者は息災か」
「はァ。殿の御身を案じてござりまする」
宗春は、昨年3月、江戸へ参府する前に御下屋敷へ赴き、母に出立の挨拶をした。あのときはいつもながらの笑顔だったが・・・。継子の通温につづき、愛息の宗春まで謹慎となり、母も今頃はさぞや嘆き悲しんでいるにちがいない。
お許しくだされと、宗春は頭を垂れる。
母に会ったあと、東山御殿にも足をのばして、本寿院を見舞った。本寿院は4年前、長年脈をとっていた医者、張振要に死なれた頃から、生きる気力をなくしてしまった。振要が妖女の魂を彼岸へ持ち去ってしまったのかもしれない。もはや若さや美貌をとりつくろうことも、妖しげな呪詛にふけることもなくなり、老いさらばえた姿をさらしたまま、眠りと妄想の間を行き来していた。これがあの本寿院か・・・宗春は胸を詰まらせたものである。
退出しようとして腰を浮かせた星野は、思い直したのか、ツツツと膝を寄せた。
「ご沙汰がないのは、殿のお詫びの言上を待っておられるのではないかと思われます」
「だれが? 将軍家か」
「かような不祥事は尾張はじまって以来、と申した家臣に、殿は『終わり初もの』と洒落を仰せられましたとか。反省の色が見えぬと、公方さまは顔をしかめられたそうにござりまする」
「ほう、さようか。それこそしてやったり」
宗春は心底、楽しそうに笑った。
12月15日 328回
将軍吉宗は白牛酪(はくぎゅうらく)を齧っていた。
ほのかな酸味があるだけで、美味しくも不味くもない。妙ちきりんな食い物だが、なぜか癖になる。好きでもないのに癖になるのは、なにも、食い物にかぎらない。
「なんぞ、言うては来ぬか」
「はァ、いまだ・・・」
「弁明も・・・詫びも・・・」
「いっこうに」
「で、どうしておるのじゃ」
「神妙にしておるそうにござります」 ふふん、と吉宗は鼻を鳴らした。
この8年間、宗春には煮え湯を飲まされた。尾張名古屋がにぎわい、遊里も大繁盛、祭りだ、芝居だと浮かれていると聞くたびに、頭がカッと熱くなった。とりわけ腹立たしいのは、宗春の人気の高さである。
猩々緋の小袖だと・・・5尺の長煙管だと・・・鼈甲の被り物だと・・・白い牛だと・・・ン?
白い牛に乗って城下を練り歩いたと聞いたときは目を剥いた。房州の牧場に白牛を集め、白牛酪を作らせている自分への当てつけのように思えたのである。
尾張とはかねてより将軍継嗣争いを演じてきた。そこへ宗春が登場した。謀反の噂も聞こえてきた。火のないところに煙はたたない。
探せ探せ探せツ----。
宗春の評判を落とし、謀反をでっちあげ、尾張に危機をもたらす証を・・・。あの頃は必死だった。むきになりすぎて、懐刀の隠密を失ったのは、いまだ慙愧に堪えない。
「しかし、威勢のwりには口ほどではなかったの。飼い犬に手を咬まれるとは・・・」
吉宗は白牛酪を食べ終え、べたついた指をなめた。もうひとつとは思わぬが名残惜しい。
「今頃は己の不徳を恥じておりましょう」
「そいつはどうかのう」
吉宗は、胸春の利かぬげな目を思い出していた。決して媚びない、隙あらば挑みかかろうとでもいうようなあの目を・・・。
「会いたいものじゃ、差し向かいで」
「なんと・・・」
「詫びる顔をみたい、と言うたのよ」
参りました、と言わせたい。過ちを認めさせたい。悔しさに顔をゆがめるところを見たい。あの男の畏怖と崇敬を勝ち取りたい。いや、そうなったら、宗春は宗春でなくなる。
「なにやらのう、気が抜けてしもたわ」
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