中日春秋
2007年12月12日
こういう人のことは、ぜひとも子どもに知ってもらいたいと思う人がいる。トレーラー運転手だった岐阜県各務原市の男性もそんな一人
▼九年前のある日、岐阜県大垣市の国道で軽自動車の横転事故が起きた。通りかかった男性はビール原料を運んでいたトレーラーを止めて、軽自動車に閉じこめられていた女性二人を救助する。さらには、後続車のことを考え軽自動車を動かそうとした。そこへ別の車が衝突し…
▼そのまま現場を通り過ぎていれば、命を落とすこともなかった。実際、同じ状況でそうする人だっていようし、そうしていても罪に問われることもなかっただろう。だが男性には、できなかった。後に、妻と娘二人が残された
▼妻は、亡夫の労災適用を求めた。だが「業務中断後の行為」だと、認めてもらえなかった。理由は、たとえば「被災者(男性)のとった人命救助の行動は、事業者からの特命はなく…私的、恣(し)意行為」であると。夫のしたことを「出過ぎたこと」と言われているような気がした。妻は国を訴えた。きのう第一回口頭弁論があった。国側は争う構えだ
▼労災適用がルーズでは困る。けれど、国の姿勢は社会へのメッセージでもあろう。男性の行為を「業務の中断」だと冷厳に退けては、仕事中の者が、事故現場に居合わせても、会社の特命がなければ、おちおち人命救助もできない、ということになりはしないか
▼そして、その男性のした行為こそ、子どもたちに一番教えたいことなのに。「見て見ぬふり」が、決して少ないとは言えない、この時世に。
私は無神論者です。でも、神がいないこと、理念がないことが、いかに無残な形を呈すかが、ここに表われていると思います。
ところで、私は光市事件のことなどで、ずいぶん来栖宥子さんプログから知識を得ています。いつもありがとうございます。
理念がないこと。司法の場においても、顕著に現れていますね。光市裁判の被告人が御遺族のことを「僕のモンスターを見ている」と言いましたが、正にそうだと思います。
楢崎裁判長、Winnyの判決を出した人だそうで、心配です。
http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/138