民・自は「柱」を、小沢代表は「強欲」 野中広務氏に聞く
永田町アンプラグド 日本経済新聞2012/7/23 17:05
新党「国民の生活が第一」を立ち上げた小沢一郎代表は1990年代後半、古巣の自民党と連立政権を組んだ。当時の小渕恵三首相は参院で過半数割れしていた状況を踏まえ、政権安定に向けて竹下派の同門だった小沢代表に協力を求めたのだ。小渕政権で官房長官となり、次期衆院選に立候補しない意向を表明した森喜朗元首相の下で幹事長を務めた野中広務氏(86)に小沢代表や橋下徹大阪市長の評価、自民党と民主党の現状を聞いた。
――政権交代から3年ももたずに民主党が分裂しました。党を除名された小沢一郎元代表とは激しく対立してきました。
「これまでわがままな道を歩いてきて、権力をつかもうとしたがついにつかめず、自分たちで作った民主党を粉々にする道を開いてしまった。政治の一里塚として重きをなしてきた人が分裂劇をやって、選挙をやったら8割も議席を持てなくなるんじゃないかという人を引き連れていったのは、小沢さんの権力の最後、道を間違った最後のツケじゃないかと思う」
――小沢代表はどんな政治家ですか。
「子供っぽい。強欲なカネだけで政治を動かそうとする一番政治の悪い形だ。首相になりたかったんだろう。(1999年に)公明党が自民、自由両党と連立することになったときに『自由党に2つポストをくれ』と言ってきた。自民党の役員も含めて混乱させる狙いがあるのではないかと思って、絶対にダメだと断ったが、そのうちの1つは副総理だったと僕は思っている」
「自民党と自由党が連立していたとき、ある月の初めに小沢さんが首相公邸に入って、小渕(恵三首相)さんに『今月いっぱいで自由党は解党する。自民党も解党して新しい一大保守党をつくろう。期限は今月いっぱいだ』と申し出をした。すぐに小渕さんが私に電話してきて『えらいことを一っちゃんが言ってきた』と」
――野田佳彦首相については「ぶれない政治家」と評価しています。
「こんな首相はちょっとおらんなあという気持ちで眺めてきた。決断の良い悪いは別として、消費増税に政治生命をかけるという国会における答弁は情熱と信念がほとばしるように出ている。誰もが嫌な消費増税を一体改革法案でやってのけようとするわけだから。難局に直面して、それがマニフェスト(政権公約)にあろうがなかろうが、やはり国家のために乗り切ろうとする姿は立派で、非常に評価し、尊敬している」
――政権与党としての民主党には厳しいですね。
「この内紛だ。さらにつかみどころのない、恥も知らない鳩山(由紀夫元首相)君やら、混乱だけを招く小沢さんにかき回されている。個利個略だけで、この国をどんな国にしようというものを持っていない。松下政経塾(出身議員)の競い合いじゃないかと思う」
――自民党も民主党批判の受け皿になれていません。
「政権を長く担当してきた自民党はいったい、どこに行ったのか。自民党には古武士と呼ばれる人がたくさんいるのに、バラバラになって野党という大きな傷に右往左往している気がしてならない。民主党も自民党も国の形をどうするんだ。どのような歩みをしていくのかという大きな柱を1つ立ててほしい」
「政党が党利党略でやっておったら、この国の方向は定まらないし、周辺諸国とは悪い関係になる。日本は本当に未来のない国になっていく、属国みたいな国になっていくと心配している」
――実際に中国や韓国など周辺国との関係が悪化しています。
「それを取り戻さないと。何で石原(慎太郎東京都知事)君は尖閣諸島(購入)の話をしたのか。それを覆うために野田首相が『国が買う』と。私は秋に中国に行って、その話をしないといけないと思っている。信頼関係をきちっとしないといけない。(中韓だけでなく)北朝鮮ともだめ、ロシアともだめとなったら大変孤独な国になってしまう。それを一番心配している」
――今の政治に一番足りないものは。
「国民に目を向けること。いまは相手の目だけを見て駆け引きしている。それから国を愛して国家の将来に誤りなきを期す、それがいま一番忘れられている」
――同じ関西出身の「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長が注目されています。
「そんなもん、まあ見ててご覧なさい。2年間も賞味期限はない。市内24区の区長を全部公募した。印鑑証明(の手続き)もわからないような区長を据えて、これだけでも大きな混乱になる。地方自治を32年もやってきた人間として、こんなことをしていたら地方自治は混乱し粉々になる。発信力はいい。それだけだ」
(聞き手は政治部次長 峯岸博)
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◆機密費「毎月5千万円使った。評論家にも届けた」野中広務元長官、講演で証言 2010-05-10 | 政治
◆『日本人と差別』野中広務・辛淑/黒いシール事件/新井将敬氏/石原都知事・差別(帰化)発言 2011-04-02 | 社会
『日本人と差別』野中広務・辛淑玉(角川oneテーマ21)
p113~
●オウム真理教事件と破防法
辛 両親が犯罪を犯したからと、子どもも犯罪者のように扱われ、小学校にも行けないというのは異常でした。住むことも、食べることも、働くことも、公衆浴場に行くことも、電気ガス水道の使用も拒否されるなんていうのは、すさまじい大衆の暴力です。
朝鮮人が叩かれてる時もそうだけど、政治家は、それはいけないことだと言ってほしい。アメリカのあのブッシュでさえ、「9、11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合は、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日がボコボコやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられていても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
野中 困った民族だ。
p114~
オウム真理教関係者によるさまざまな犯罪が明るみに出ると同時に、インターネットでは、教祖である麻原彰晃は「民だ」「朝鮮人だ」という言説がまことしやかに流れた。これは、何もオウム関連の事件に限ったことではない。凶悪犯罪が起きる度に、都市伝説のように流される。これは、マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。
どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての民であり、朝鮮人なのだ。
p125~
●民にとって、「天皇」とは
1917(大正6)年、「神武天皇稜」を上から見下ろす位置にあった洞の200戸余りの人々は、強制移住を強いられた。
神武天皇稜は1863年、幕府が造営し、1890年、橿原神宮がつくられた。
1913年、『皇陵史稿』には、「・・・・神武天皇陵に面したところに、の墓がある。土葬なので、その醜骸が、この神聖な地に埋められている」。このままだと「霊山と御陵の間は、?多の家で充填され、醜骸は霊山の全部を侵食する」と述べている。
は、土地を宮内庁に献上するという形を取り、1920年、移転を終えた。しかし、移転先に田畑などはなく、移転費用も僅かで、古家も買えず貧しさは加速された。移転の際には、人だけではなく、墓も「遺骸」も根こそぎ掘り起こされ運ばれた。埋葬後10年たっても遺骸はまだ原形をとどめており、とうもろこしのような毛のような遺髪をの人々は自らの手でまとめた。埋葬して2,3年しか経っていないものは腐敗臭もあり、それを担ぎ、排斥運動のあった一般の村を避けて遠回りをして移動させられていった。
天皇制により、の人々はより貶められていった。
他方、被差別者には、天皇に対する独特の親近感もまた存在する。
歴史的には、南朝を代表する後醍醐天皇が、農本主義者である武士=足利政権に対抗するため、非農耕民(流通業者、職人、芸能民、被差別民)を軸足にした政権維持を試みた。もちろんこれは失敗して、南朝勢力は衰亡した。しかし、このとき天皇が被差別者を厚遇したことが、それ以後の被差別階級にとって、天皇家との関係を自分たちの正統性の根拠とする慣習を生んでいった。
もうひとつは、貴種流離譚との関係。やんごとない人々が政治的迫害や病などの理由で、被差別階級に落ちぶれ、全国各地を流浪するという民話がある。王子と乞食などもこの話の系譜である。
つまり、被差別者の失われたアイデンティティを補償する存在として、天皇家との関係をシンボリックに強調する傾向(家系図で先祖に天皇家をいれたがる)がある。
だから、任侠も、右翼も、被差別者も天皇が好きなのだ。
p127~
●新井将敬の死は何をいみするのか?
辛 1998(平成10)年2月に、新井将敬が亡くなりました。私は彼と仕事先で何回か顔を合わせています。あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのかを教えてほしいんです。
野中 僕は新井将敬に関わったほうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってるんだ。
辛 それは、彼は死ぬような人ではなかったと?
野中 うん、客観的な状況の中で。ただ、彼は間違っていた。また自分がやってきたことは間違ってないんだ、という思いが強すぎた。僕は彼に直接話したんだから。彼は「議会運営委員会に出て、自分がどんなに正しかったかということを発言します」と言うから、僕はいさめた。
「やめとけ。おまえの周囲の壕は全部埋められているんだ。もう議会運営委員会で何を証言しようが、おまえが逮捕されることは目に見えてる。だから、いまさらこうだああだと言い訳するな。そんなことよりも、自分がこれからどうして生きるかということを考えろ。もうおまえの政治家としての生命は既に絶たれようとしている。おまえはお母さんとお父さんが苦労して大阪から出してくれて、能力があったから東大を出て大蔵省に入れた。このキャリアに恥ずかしくない生き方とはどういうものかを考えてみろ」
それが亡くなる2日前かな。
辛 彼は何て言いましたか。
野中 「いや、私は正しいんだ。私は正しいことを正しく国会の議運で証言するんだ。そうしたら私の潔白はわかってもらえる」と。「そんな甘っちょろいところじゃないんだ。おまえは純粋過ぎる。いまさら、そんな恥ずかしいことするな」と僕は言ったんだけどね。
で、その2日後かな、僕が本会議場で座っておったら、亀井静香が「おい、えらいこっちゃ」って言いに来た。「何だ?」と尋ねたら、「新井将敬が行方不明だ」と。亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死んだ状態だった。しかしまだ高輪の警察も知らなかったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さんがおらなかった。亀井が僕に言うには、「発見から警察がくるまでに2時間ぐらい間がある。その間に何があったのか、その謎が全然僕には掴めない。この事件はおかしい」と。
辛 殺されたと?
野中 うん。だから新井は口封じをされたんだと。
辛 新井さんが国会で、「自分は朝鮮人だから、在日だから差別されてる」ってことをおっしゃっていたので、私は祖の次の日、ちょうど彼がホテルに入っている時だと思いますが、ラジオでインタビューを受けたんですよ。「新井さんがそういうふうに言ってるけど、辛さん、どう思いますか」って。
私、新井さんの発言に正直申しあげてむかついたんです。だから私、かなり激しい口調で、「洋服を着たサルだ」って言ったんですね。彼は、政治家になっても、在日の問題は何一つやってこなかった。朝鮮人BC級戦犯のことも、在日の今のことも、戦後補償問題のことも・・・。なのに、自分が叩かれた時になって初めて在日ってことを持ち出すのはとんでもないって言ったんです。彼が経済人だったら許すけれども、政治家っていうのは弱者救済の役目を担っているわけですからね。
そのラジオをとても多くの在日の先輩たちが聴いていて、「新井将敬を殺したのはお前だ」っていう言い方をされたんです。だけど、私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思っているんですね。最初の選挙の時に・・・。
野中 ああ、ビラを貼ってということか?
辛 そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで「北朝鮮から帰化」と書かれたものを貼った。同じ選挙区だったので驚異に感じたのでしょう。すさまじいまでの差別事件でした。確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。そんなこともあって、おそらく、新井将敬は「日本人に愛される政治家」になりたかったんだと思うんですね。よく、右翼の友だちが言うんですよ。「自民党の政治家は俺たちを裏で使っても表には出さないけど、新井将敬はいつも俺たちを表に出す」「いつでも右翼の俺たちを後援会の最初に紹介する」って。だから彼は、日本人に愛される日本人になろうと頑張ったんだろうなと、私は思ったんです。でもその彼が最後に在日だからって言った時に、私はどうしても美化できなかった。弱いものを裏切った男を、許せなかったのですよね。
それと、野中さんと新井さんが会った前後だと思いますが、新井さんが在日の先輩のところに会いに行った話を聞いたんですよ。私が、「その時新井将敬はどうだったんですか」って聞いたら、先輩は新井議員に、「あんたはここ(在日の社会)を捨てて出てった人だろ。だから、今ここを凌げばまた次があるから、その世界で頑張れ」って。その後彼が自殺したっていう話があって、私はそれはどういうふうに自分の中で整理しようかと思ったんです。私は、はっきり言えば特権的なマイノリティなんですよね。こうやって人としゃべることもできるし、字も学ぶことができたし、それから発言するチャンスもある。そうしたらどこかで踏ん張らなきゃいけないってことが自分の中にもあるわけですね。そういう姿勢は野中さんの中にも見るんですね。
野中 いやあ、そんなもんじゃないけど。
辛 だから私にとって新井将敬っていう存在は、在日として超えなきゃいけない壁だと思っているんですが、彼は自民党の中では仲間がいなかったんでしょうか。
野中 そんなこともないと思いますけどね。僕らとも気安く話したし、僕は飲まんほうですから飲み食いしたりなんかするのはなかったけども、亀井静香らとも仲良かったし、ただ、彼はやっぱり「俺は東大を出て花の大蔵省に入ったんだ」という、そういうプライドが強くありすぎたんじゃないのかなあと。それが彼の甘えになってしまったんじゃないかなあと、そんな気がします。
彼には、仮に捕まったとしても、法廷闘争をやって堂々と出てくる---そういう勇気をもってほしかった。選挙の時自分の名前を書いてもらって、成長する機会を与えてくれた人々に対して責任を持つべきだったなあと思いますけどね。
辛 私は、彼が朝鮮人であるということを一貫して否定し続けてきたところに人間の弱さがあるような気がしてならないんですね。
野中 そうかなあ。否定したかどうかは、僕は知らんね。
辛 最初は自分の存在を国際化の象徴というようなかたちで、表現していたんですけども、叩かれてからは確かにかわりましたね。私は、バランスを取るために東大とか大蔵官僚っていうものが彼にとっては必要だったんじゃないかなっていう気がします。
野中 ああ、そりゃあそうかもしれません。ああいう道を進んだのは彼の間違いだったと思うんだ。理論派で、堂々として論陣を張っておった。論客でしたよ。彼の中にも、日本社会の中で俺は人を見返してやるんだというものがあったと思うんですよ。
辛 私はあの時のお父さんとお母さんの激しい憤りの表情とか、すごく覚えていて。
野中 ああ、なんかね、僕も見ておれなかったですよ。(~p133)
黒いシール事件
【コラム】筆洗 東京新聞2010年4月20日
若手の論客として知られた新井将敬という政治家がいた。東大卒、旧大蔵省のキャリア官僚出身のエリートだったが、株取引での利益供与を要求した証券取引法違反容疑が浮上し、衆院が逮捕許諾の議決をする直前に自らの命を絶った▼在日韓国人として生まれ、十六歳の時に日本国籍を取得した新井氏は一九八三年に旧衆院東京2区から初出馬、落選した際に悪質な選挙妨害を受けた。選挙ポスターに「元北朝鮮人」などと書いた黒いシールを大量に張られたのだ▼それを思い出したのは、永住外国人への地方参政権付与に反対する集会で、石原慎太郎東京都知事が「(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い」などと発言したからだ▼選挙区内の新井氏のポスターにせっせとシールを張って歩いたのは、同じ選挙区の現職だった石原知事の公設第一秘書らだった。「それ(帰化)で決して差別はしませんよ」と集会で知事は語ったが、彼の取り巻きが過去にしでかしたことを思い起こせば、そんな発言を誰が信じよう▼与党幹部には帰化した子孫が多いという発言の根拠はインターネットだという。そりゃあ、石原さん、いくらなんでもちょっと無責任すぎるよと言いたくなる▼あからさまな差別的発言を大きく報道したメディアは本紙だけだった。「またいつもの放言だ」と取材側がまひしているならかなり深刻だ。
差別のつもりないと都知事 「帰化」発言で釈明
2010/04/23 17:48【共同通信】
石原慎太郎東京都知事が、17日の永住外国人への地方選挙権付与に反対する集会で「与党幹部には帰化した子孫が多い」などと発言した問題で、知事は23日の定例会見で「私はその人たちを差別するつもりはない」と釈明した。
知事は、選挙権付与に前向きな民主党を批判して、自らは反対の立場であることを強調。しかし、発言の根拠について「情報を明かせと言われたら、多すぎていつ誰が言ったか、さっぱり分かりませんな」と語った。
発言については、社民党の福島瑞穂党首が「人種差別ではないか」と批判している。
特集 地軸 先祖は同じ
2010年04月21日(水)付 愛媛新聞
いつもの放言癖では済まされない。石原慎太郎東京都知事が、永住外国人への地方選挙権付与などに反対する集会で放った「与党の幹部に帰化した(人の)子孫が多い」という趣旨の発言だ▲石原知事といえば、かつて「三国人」発言で物議を醸した。ちょうど10年前だ。なぜ、いつも不用意に人を傷つけるのか。日本の首都を預かるトップとしては、人権感覚が欠如しているというしかない▲「帰化」は中華思想的発想の言葉、というのを何かで読んだ記憶がある。つまり帰化は支配下に入ることをも意味する。知事は差別的発言を繰り返してきた。思うに知事の中では、日本や日本人中心の独自の世界観が形成されているのだろう▲が、日本や日本人の成り立ちは単純ではない。古来から現在の中国や朝鮮半島から多くの影響を受けている。人の移動も含めてだ。集団での渡来もあった。政治や産業に深く関与した人も多い。東アジアは長らく一体だったのだ▲それが崩れる契機の一つは、明治維新だろう。日本は「脱亜入欧」をスローガンに文明化をめざした。が、一方で中国や朝鮮半島の人々を蔑視(べっし)し、虐げてきた。この意味でも、知事発言は許されない▲東アジア共同体といわれる。知事の言葉を逆手にとれば、域内の先祖は同じであろう。国や国籍を超えて、手を携える方策を考えることこそが政治家の務めだ。
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