【前橋スナック銃乱射】矢野治死刑囚が刑の執行を待たず自殺した理由と「最後の手紙」 『週刊新潮』2020/2/6号

2020-02-11 | 死刑/重刑/生命犯

【前橋スナック銃乱射】矢野治死刑囚が自死 殺人の獄中告白は「黒幕への復讐」のため
国内 社会  週刊新潮 2020年2月6日号掲載
 まさかの幕切れである。約4年前の本誌(「週刊新潮」)記事によって警察が動き、被害者の遺体が発見された「死刑囚の告白」。その告白の主、矢野治が東京拘置所で自殺したのだ。なぜ刑の執行を待たずに自ら死を選んだのか。ついに明かされる「告白」の裏の真実とは――。

   矢野治死刑囚

「父が死んだ1月26日の午前9時半頃、私の携帯に東京拘置所から電話があり、『矢野治さんが亡くなっているのを確認しました。おそらく自殺だと思います』と言われました。それで夕方、拘置所に行って説明を聞いたのです」
 言葉を絞り出すのは自殺した矢野治死刑囚(享年71)の遺族である。
「説明によると、朝、通常であれば起床する時間に起きてこなかったので、不審に思って刑務官が確認しに行ったら死んでいた、と。私は『首を切っていませんでしたか?』と聞きました。父は『前橋スナック事件』の後にも一度首を切って自殺を試みたことがありましたから。そうしたら、医者が『はい。2カ所切っていました』と言いました」
 2カ所とは首の右側と左側で、死因は失血死だった。
「確実に死ぬという強い覚悟だったのでしょう。死ぬのは怖くないけど、会いたい人に会えなくなるのは嫌だという気持ちは持っていたと思います。父が何を使って首を切ったのかは教えてもらえませんでした」
 住吉会系暴力団「矢野睦会」の会長だった矢野は、一般人3人を含む4人が殺害された「前橋スナック銃乱射事件」で2014年に死刑が確定。その後、同年末と翌年、警察が把握していない2件の殺人事件への関与を告白する手紙を本誌や警察に送り、捜査の結果、2人の遺体が発見された。
 別の殺人事件への関与を自ら告白したのは、死刑執行を先延ばしさせるため、すなわち「延命」が目的と見られていた。その矢野が執行を待たずして自ら命を絶ったのは何故なのか。
「矢野の狙いは延命ではなく、時間稼ぎだった。ではなぜ時間が必要だったかといえば、彼は前橋事件には、自分に指示を出した黒幕がいることを世に知らしめたい、と考えていたのです。その黒幕がどうしても許せないからこそ、様々な手段を講じて時間稼ぎをしてきた。しかし、最終的にはそのどれもが壁にぶつかってしまい、自ら命を絶つことを考え始めたのでしょう」(矢野の知人)
 「殺人告白」の動機は「黒幕」への復讐だったというわけである。実際、昨年、矢野が関係者に宛てて出した手紙にはこうある。
〈正義は報復の中にあるとの考えは危険かもしれませんが、このような生き方より出来ぬ男もいます〉

警察が把握していない2件の殺人事件
 本誌に送られてきた「殺人告白手紙」にもそうした胸中は見え隠れしていた。が、そこには別の「告白の理由」も記されていた。曰く、被害者が毎晩のように夢枕に立つ、だから早く、
〈穴から出してやって頂きたくお願いを申し上げます〉
 と――。また、矢野は関係者にこうも語っていた。
「穴を掘れば、“品物”が二つ出る」
 矢野の「告白」を受けて取材を始めた本誌は「穴」を掘った当人、矢野睦会元組員の結城実氏(仮名)に辿りつき、実際に死体遺棄に関わったとの証言を引き出した。矢野の「告白」と結城氏の証言によると、警察が把握していない2件の殺人事件は以下のような概要だった。
「龍がロクった(死んだ)。死体を始末してくれ」  
 結城氏が矢野からそう依頼されたのは1998年春頃のことだった。“龍”とは、稼業名「龍一成」、本名は斎藤衛という、住吉会系の企業舎弟のこと。「オレンジ共済事件」の際、政界にカネをばら撒いた「永田町の黒幕」としての顔も持つ男である。その斎藤に対し、矢野は1億円ほどを貸していたが、そのうち8600万円が焦げ付いたことでトラブルに発展。矢野は知り合いの組事務所の檻に斎藤を監禁した上、ネクタイで首を絞めて殺害したのだ。死体の始末を依頼された結城氏は埼玉県内の山林に用意してあった「穴」に斎藤の遺体を埋めた。
 結城氏が矢野から頼まれて死体を始末するのはこれが初めてではなかった。「斎藤事件」の前年にも、不動産業者の津川静夫さん(失踪時60歳)の遺体を神奈川県伊勢原市の山中に遺棄していた。津川さんの殺害を矢野に相談したのは、小田急線伊勢原駅前の再開発を巡り、津川さんの土地を奪おうとした住吉会系組織の幹部。矢野はこの「仕事」を別の組長に依頼し、津川さんはその配下の組員に殺害されたのである。
 矢野の「告白」や結城氏の証言をもとにした本誌記事、〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白〉が16年2月に世に出ると、それまで消極的だった警視庁がようやく重い腰を上げ、捜査を開始した。16年4月に津川さん、11月に斎藤の遺体が発見され、17年4月に矢野は殺人容疑で逮捕された。
 しかし、公判で矢野は一転して無罪を主張。18年に下された判決で東京地裁は、矢野の「殺人告白」の目的は、「死刑執行の引き延ばし」だとして、無罪を言い渡した。
「無罪が言い渡され、公判が終わってしまったことは矢野にとっては誤算だった。それによって、前橋事件に黒幕がいることを暴露する場が失われてしまったからです」(先の矢野の知人)
 矢野がぶつかった「壁」はそれだけではなかった。
(2)へつづく
 特集「闇に葬られた殺人を獄中告白! 自殺の『前橋スナック銃乱射』死刑囚から届いた『最後の手紙』」より 

  * * * *

【前橋スナック銃乱射】矢野治死刑囚が刑の執行を待たず自殺した理由と「最後の手紙」
 国内 社会  週刊新潮 2020年2月6日号掲載
 自殺の「前橋スナック銃乱射」死刑囚から届いた最後の手紙(2/2)
 本誌(「週刊新潮」)に手紙を寄せ、警察が把握していない殺人事件の真相を明かした矢野治死刑囚が、1月26日、拘置所で自ら命を絶った(享年71)。矢野の告白の背景には、自身が関与し死刑判決となった「前橋スナック銃乱射事件」の黒幕の存在を、世に知らしめたいとの目的があったという。が、告白を受けての公判は「死刑執行の引き延ばし」だとして無罪を言い渡され、終了となる。これにより、黒幕を暴露する場は失われてしまった。

 矢野がぶつかった「壁」はそれだけではなかった。
 実は、矢野が「穴から出してやって欲しい」と訴えていたのは斎藤と津川さんの2人以外(※前回記事参照)に、「第3の男」がいた。
 それは、矢野の指示で「前橋スナック銃乱射事件」の実行犯をフィリピンに逃がす手助けをし、その後、姿を消した矢野睦会の元組員、大山剛(仮名)だ。
 この大山に関して、矢野は自分ではない関係者が殺害した、と主張し、遺族宛ての手紙にはこう書いた。
〈大山を穴から出してやりたいのです〉
 一方、以前、本誌に届いた住吉会系組織の元幹部を名乗る人物からの手紙には、
〈私は、矢野の命令で大山を殺して埋めました〉
 と、記されていた。
「口封じのために殺した大山を穴から出してやって欲しい、と矢野が訴えていたのも、時間稼ぎのためでしょう。捜査が動きだせば、警察は、何らかの事情を知っている矢野に話を聞かざるを得なくなりますからね」(先の矢野の知人)
 しかし、全国紙の社会部デスクによると、
「矢野はいろんな事件について警察に仄めかしていたようですが、立件された2件以外は取り合ってもらえなかったと聞いています」

誰もいなくなった
 新たに告白した事件の公判は終了してしまい、大山の件も前に進まない。「時間稼ぎ」がうまくいかない中、昨年末、矢野を焦らせる出来事が起こる。強盗殺人などの罪で死刑が確定していた中国人に刑が執行されたのだ。
 矢野が遺族に宛てた「最後の手紙」は今年1月22日の消印が押されたもので、そこにはこうある。
〈昨年末12月27日(編集部註・実際は26日)にも他の人が刑の執行でした。他の人でなく私でも可笑(ママ)しくないのです。吊されることをブルっているのではなくやらなければならぬことがあるから言っているのです〉
 矢野の遺族が言う。
「あの刑執行はこたえたようで、それから『俺には時間がない』という話をしきりにしていました。執行の翌日には孫が面会に行ったのですが、『おじいちゃん、様子が変だったよ。“俺は日本男児だから”とかずっとブツブツ呟いてた』と話していましたし……」
 もっとも、最近は諦めの境地に達していたのか、
「面会に行っても刑務官から受けてきた不当な扱いに対する不満を言うことがほとんどで、過去の殺しについて語るようなことはありませんでした」
 と、遺族が続けて語る。
「父に最後に会ったのは死ぬ2日前の1月24日の午前中で、その時は少し違和感がありました。それまでも『俺は死ぬのは怖くねぇんだ。ただ許せないことがまだあるだけだ』という話はしていた。でもその日は『お前たち元気なのか? 子供たちはどうなんだ? 俺はな、大丈夫だ。潔くいつでも死ねるんだよ』と、切羽詰まった表情で目に涙をためていたのです」
 その日の午後、矢野は担当弁護士との面会を断っている。
「だから、その時に覚悟を決めたのかな、とは思っています。父は、未解決事件の告白をしたのは『延命が目的ではない』と何度も言っていました。今回の自殺は、裁判所や世の中の人に『延命』と言われていたことに対する反論の意味があったのかもしれません」
 そう話す遺族が矢野の遺体と対面したのは自殺の2日後だった。
「遺骨は本人の希望通り、親と幼少期を過ごした北海道に散骨しようと思っています」
 矢野に殺された「龍一成」こと斎藤の姉に今回の自殺について聞くと、
「弟には報告しました」
 とした上で、こう心情を吐露した。
「私は、矢野治さんという方と(公判になったおかげで)お目にかかれたことは、良かったと思っています。そうでないと、面会することも出来ませんし。裁判に出ることで、矢野治さんにお目にかかれたわけですから……」
 昨年には死体遺棄役の結城氏が他界し、今回、矢野が自殺したことで事件の関係者は誰もいなくなった。しかし、矢野の告白がなければ、遺骨は遺族に渡らず、遺族が法廷で彼の姿を目にすることもなかった。その事実は歴史に刻まれ、永遠に残り続ける。
 特集「闇に葬られた殺人を獄中告白! 自殺の『前橋スナック銃乱射』死刑囚から届いた『最後の手紙』」より

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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遺体は98年から行方不明の斎藤衛さんと判明=矢野治死刑囚が殺害告白 警視庁 2016/12/16
◇ 矢野治死刑囚の告白で見つかった(2016/4/19)遺体=「津川靜夫さん」と確認 殺人容疑での立件検討
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