秋葉原無差別殺傷事件から8年 警官妻「つらい記憶、でも忘れないで」 2016/6/8

2016-06-08 | 秋葉原無差別殺傷事件

秋葉原無差別殺傷 警官妻「つらい記憶、でも忘れないで」
  毎日新聞2016年6月7日 15時00分(最終更新 6月7日 18時15分)
8日で8年
 東京・秋葉原の歩行者天国で17人が死傷した無差別殺傷事件は8日、発生から8年を迎える。救護活動中にナイフで刺されて重傷を負い、肝臓がんが原因で3年後に56歳で亡くなった警視庁万世橋署の丸山正市警部補=死後、警部に昇進=の妻(60)=茨城県=が初めて取材に応じ、「事件は自分たちにとってつらいことだった」と胸の内を明かした。【春増翔太】
 丸山さんは高校を卒業して警視庁に入り、白バイ隊員として交通畑を歩んだ。事件当時は現場を管轄する同署交通課に勤務しており、当日も歩行者天国が正午から始まる秋葉原で交通整理にあたっていた。
 午後0時半ごろ、加藤智大死刑囚(33)がトラックで歩行者に突っ込んだ。丸山さんは現場に急行し、倒れた人の救護中、背後からダガーナイフで刺された。傷は肺を貫くほど深く、1週間も意識不明の状態が続いたが、一命は取り留めた。
 丸山さんには刺された後の記憶がなかった。入院中、同僚から自分も事件の被害者と知らされ、妻に「警察官として背後への警戒を怠ったのはまずかった」などと話した。家庭では事件についてそれ以外、何も語らなかったが、5カ月後に職場復帰してからはそれまで以上に仕事に打ち込み、妻は「負傷したのが負い目だったのではないか」と思った。
 丸山さんは1審・東京地裁の公判では被害者として証言台に立ち、妻も傍聴席で公判を見守った。加藤死刑囚は終始無言だった。「犯行に及んだことで世間への鬱憤を全て吐き出してしまったのかな」と感じた。恨みや怒りは湧いてこなかったという。
 肝臓がんは2011年3月に見つかり、丸山さんは同年5月に亡くなった。退職後に夫婦で旅行をするという、妻のささやかな願いはかなわなかった。妻は「事件は思い出したくないぐらい、つらい記憶。事件がなければ、主人はもう少し長く生きられたのでは」と思う。
 事件後に中止された歩行者天国は5年前に再開され、若者や外国人観光客であふれている。事件の記憶は薄れつつあるが、妻は「あのようなことが二度と起きてはいけない。そのためにも事件を忘れてほしくない」と願っている。
*秋葉原無差別殺傷事件
 2008年6月8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田の歩行者天国で、加藤智大死刑囚(33)がトラックで突っ込み、歩行者を次々とはねた後、ダガーナイフで無差別に切りつけた。男女7人が死亡、10人が重軽傷を負った。加藤死刑囚は殺人などの罪で1、2審で死刑判決を受け、昨年2月に最高裁で上告を棄却されて刑が確定した。

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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秋葉原事件(2008/6/8)から7年 …(加藤智大死刑囚 2015年2月18日 刑確定)

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