亀岡暴走:19歳少年 懲役5年以上8年以下不定期刑判決 京都地裁 市川太志裁判長

2013-02-19 | 死刑/重刑/生命犯

亀岡暴走:19歳少年 懲役5年以上8年以下不定期刑判決
毎日新聞 2013年02月19日 14時23分(最終更新 02月19日 19時23分)
 京都府亀岡市で昨年4月、無免許運転の軽乗用車が集団登校の列に突っ込み、児童ら10人が死傷した事故で、自動車運転過失致死傷と3件の道交法違反(無免許運転)の罪で起訴された少年(19)に対する判決公判が19日、京都地裁であった。市川太志裁判長は「保護処分よりも刑罰を科すことで責任を自覚させるべきだ」として懲役5年以上8年以下(求刑・懲役5年以上10年以下)の不定期刑を言い渡した。
 起訴内容に加えられた事故の6日前と12日前の2件の無免許運転への評価が焦点だったが、市川裁判長は「常習的な無免許運転が事故を招いた点で無関係ではないが、事故原因の居眠り運転との因果関係はない」と、求刑を下回る判決とした理由を明示した。
 事故原因については「事故前の丸2日間で5時間余りしか寝ず、連日の遊び疲れと睡眠不足で居眠り運転に陥った」と認定。「未来への夢にあふれていた2人の小学生と、若く希望に満ちあふれた若い女性の命を奪い、結果は余りにも重大。負傷の7人も命を失う危険にあったうえに、母親を、妹を、大切な友人を失ったことで心にも大きな傷を負った」と厳しく指弾した。
 一方で、少年について「事故を起こしたことを反省・後悔し謝罪の態度を示すとともに、自堕落な生活態度にも反省の目を向けるようになった」と一定の情状酌量を認めた。
 事故をめぐっては、遺族らが自動車運転過失致死傷罪ではなく、より刑罰の重い刑法の危険運転致死傷罪の適用を求めたが、京都地検は「運転技術はあり、同罪の構成要件の未熟運転には当たらない」として見送った。一方で検察側は「日常的な無免許運転が悲惨な事故を引き起こした」として、事故以前の無免許運転2件も起訴内容に加え、少年法の規定で上限となる懲役5年以上10年以下を求刑した。結果的に少年に危険運転致死傷罪を適用した場合の上限と同等の求刑となった。
 一方、弁護側は「少年院での教育が相当」と保護処分を求めていた。
 京都地検の中田和範次席検事は「判決内容を精査し対応を検討する」と話している。【田辺佑介】
 【ことば】亀岡暴走事故
 12年4月23日朝、京都府亀岡市の府道で、集団登校中の市立安詳(あんしょう)小の児童の列に、無免許の少年が運転する軽乗用車が突っ込んだ。3年の横山奈緒さん(当時8歳)、2年の小谷(おだに)真緒さん(同7歳)、付き添いの松村幸姫(ゆきひ)さん(同26歳)が死亡、児童7人が重軽傷を負った。松村さんは妊娠中で胎児も亡くなった。少年の居眠り運転が原因とされ、家裁が検察官送致(逆送)し、地検が自動車運転過失致死傷などの罪で起訴した。
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【亀岡暴走事故】最後の意見は「前回と同じです」と運転少年 遺族は上限下回る量刑に失望、怒り
産経ニュース2013.2.19 20:56
 遺族らの思いは結局、届かなかった。京都府亀岡市の10人死傷事故で京都地裁が19日、懲役5年以上8年以下の実刑を言い渡した無職少年(19)は、被害者参加した遺族らと目を合わすこともなく、法廷を去った。「まったく納得できない」「検察は控訴してほしい」。遺族らは、法定刑の上限を2年下回った判決に、失望や怒りを隠さなかった。
 少年はこの日、紺色スーツに白色ワイシャツ、少し髪の伸びた丸刈り姿で入廷。弁論が再開されたため言い渡しに先立って再度、意見陳述の機会が与えられたが、「前回と同じです」と述べるにとどまり、謝罪の言葉はなかった。
 約1時間に及んだ判決理由の朗読を、伏し目がちで口を真一文字に結んで聞き入った少年。市川太志裁判長が「あなたはまだ若い。まじめに服役し、重大な結果を忘れず冥福を祈りながら、生涯をかけて慰謝に努めてください」と説諭した際も表情を変えなかった。
 閉廷後、京都市内で記者会見した遺族と負傷者家族からは「反省の色が見られない」と少年への怒りの声が上がり、犠牲になった小谷真緒さん=当時(7)=の父、真樹さんは「最後の機会に少年が『前回と同じ』と言うとは思わなかった。この判決に僕が求めるものはなかった」と切り捨てた。
 「なぜ法定刑の上限が科されないのか」「減軽された2年の意味は何なのか」。遺族と負傷者家族は、少年が反省していることなどを理由とした減軽を批判した。
 亡くなった横山奈緒さん=当時(8)の父、博史さん(38)は「危険運転致死傷罪での起訴だけでなく、10年以下の最高刑を与えることすらかなわなかった。『法律って何の』というのが率直な意見」。
 妊娠7カ月で亡くなった松村幸姫さん=当時(26)=の父、中江美則さん(49)は「『過失で当然』といわれ続けた結果が懲役8年以下。裁判長には少年でなく、僕ら被害者に対するメッセージがほしかった」と憤り、「加害者と違い、被害者には控訴を決められない。検事さんの判断に任せるしかないが、控訴して当然だ」と話した。
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〈来栖の独白2013/2/19 Tue. 〉
 名判決であると思う。決して被害者遺族の感情を蔑ろにしているのではない。裁判は、より良く生きるためにある。なぜ悲惨な事件、事故が起きたのか。それを究明して、二度とそのようなことの起きないようにする、より良い社会を築き、より良く人が生きてゆけるようにするために裁判は、ある。遺族の感情や絶望を蔑ろにして、こう言っているのではない。過度の懲役刑を科してはならない。更生の可能性の無い人間など、いない。涙を流さぬ人間などいない。産経ニュースは、
>「あなたはまだ若い。まじめに服役し、重大な結果を忘れず冥福を祈りながら、生涯をかけて慰謝に努めてください」と説諭した際も表情を変えなかった。
 と書くが、現在の被告少年は、未だその程度なのである。だから、裁判長は上記のように説諭した。飾りで説諭したのではない。考えてもみるとよい。上記説諭の通りに生きることが、どれほどに苛酷であるか。生易しい生き方を許してはいない。
 名古屋アベック殺人事件の主犯のK君は、高裁の弁護人安田好弘氏に収監先刑務所から手紙を出したことがあった。抜粋して下に引用したい。「事件当時はもちろんのこと、逮捕された後でも二人もの人の命を奪ってしまった後でも、なお自分のやったことの重大さをなかなか理解認識することはできませんでした。」と言っている。「Fさん」というのは、光市事件の死刑囚(被告人=当時)である。

日本の死刑状況について「無期懲役者からの手紙」 より抜粋
 一審で死刑判決を受けた当時のわたしは、ある意味でもう人生を投げていて、どうせ悪くされるのなら思い切り悪のまま死んでいくしかないと思い、生きることに対して執着はほとんど持っていませんでした。被害者のお二人にたいしても可哀想なことをしたという気持ちはあったものの、自分でやっておきながらほんとにまるで他人事のような気持ちしか持っていなかったことも事実です。たとえて言うなら、小さな子どもが何か悪いことをしていて親に見つかって怒られたから、意味も分からずただ謝るという、ほんとうにその程度のものでした。(中略)
 それからちょっと思ったのですが、なにか皆あまりにも簡単にFさんに反省を求めすぎじゃないでしょうか?もちろんFさんも自分のやったことの重大さを理解、認識して反省はしなければなりませんが、逮捕されたからといって、あるいは裁判がはじまったからといって、すぐにそれができるくらいならFさんははじめから今回の事件は起こしていないんじゃないでしょうか。わたしの場合も事件当時はもちろんのこと、逮捕された後でも二人もの人の命を奪ってしまった後でも、なお自分のやったことの重大さをなかなか理解認識することはできませんでした。人の命を奪ってしまった後でも、なおそのことの重大さを理解認識することができないということは、ふつうの人からしたらとんでもない、とてもじゃないけれどもちょっと考えられないんじゃないでしょうか?逆に言えば、だからこそわたしは事件を起こしてしまったんだと思いますが、そんなわたしが逮捕されたからといって、裁判がはじまったからといって、いきなり急に反省ができるようになるわけはありません。またほんとうにとても悲しいことですが、わたしの場合は自分ひとりだけで、自分自身だけの力だけでその殻を破って反省ができるようになったわけでもありません。母を通して自分の命の大切さを知り、そこから少しずつ被害者の方の命の大切さや、ご遺族の方の怒りや悲しみの気持ちなどを自分なりに考えることができるようになっていったのです。最高裁にしてもマスコミにしても、なにかFさんが一、二審で反省しているとは思えなかったということをやたらと強調しているようですが、むしろそういう状況になってもまだその反省らしい態度をとることができなかったということにこそ、もっとFさんのほうからの視点で目を向けてあげるべきではないでしょうか。(中略)
 強がりではなく、一審当時のわたしには死刑になって死んでいくことは決して難しいことではありませんでした。まわりの状況や雰囲気などで、一審の途中からもう自分は死刑になると勝手に確信していたのですが、自分が死刑になって死んでいくということに対してはほとんど抵抗はありませんでした。もう終わった、と自分の人生に対しての諦めの気持ちもあったのですが、それまで精一杯かっこをつけて強がって生きてきたわたしにとっては、たとえ自分が死刑になったとしてもジタバタせず、最後のツッパリで清く死んでいくことしか頭になかったのです。むしろわたしは自分が死ぬということよりも、みんなの記憶の中から自分が消えてしまうんじゃないか、ということに対してのほうに抵抗があったように思います。たとえ私が死んだとしても、せめてわたしのことを忘れないでほしいという気持ちは強くもっていましたし、そのためにもうどうせ悪くされるのなら、たくさんの人の記憶に残るように思いきり悪のまま清く死んでいこうとしていたのだと思います。ほんとうになんて馬鹿な、と思うでしょうが、それまでのわたしは自分の命さえ大切にしていませんでしたし、そういう生き方しかしてこなかったのです。
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名古屋アベック殺人事件 


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