悲しみの先に 松本サリン事件30年 (中)

2024-06-24 | オウム真理教事件

生きていたら53歳。幸せな人生だったはず 巻き込まれた次男、女性の苦しみ今も

  悲しみの先に 松本サリン事件30年 

   次男亡くした女性 

 生きていたら、今年で53歳。「どんな家庭を築いていただろう」。静岡県掛川市に住む小林房枝さん(82)は、事件で若くしてこの世を去った次男の豊さん=当時(23)=の人生に今でも思いをはせる。「頑張り屋で、人付き合いも得意。きっと幸せな人生だったんじゃないかな」
 1994年6月28日午前4時ごろ、家の電話が鳴った。「豊さんが危篤状態です」。警察官から伝えられた内容に頭が真っ白になった。長野県松本市に向かう準備をしていた数分後に2度目の電話が鳴り、豊さんが死亡したと知らされた。
 豊さんは東京の電機会社でシステムエンジニアとして働き、松本市には会社の長期出張で、事件1カ月前の5月下旬に住み始めた。「緑がきれいで良いところだよ。夏ごろおいでよ」。
 豊さんからそう誘われていた房枝さんは、夏に行ってみようかと夫と話していたところだった。
 豊さんが住んでいたのは、オウム真理教の信者がサリンを噴霧した地点と同じ区画のマンションだった。サリンを浴び、病院に搬送されたが息を引き取った。小林さん夫婦が車で松本市内に到着すると、豊さんは既に松本署に置かれたひつぎの中にいた。「傷とかもなくて、本当にきれいで。眠っているようでした」
 事件が房枝さんの生活に与えた影響は大きかった。テレビなどで「長野」「松本」という言葉が目に入ると事件を思い出し、気分が悪くなって仕事も手に付かなくなった。「死にたい」という考えが繰り返し浮かび、精神科にも通った。
 96年にオウム真理教の創始者、麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の裁判が始まった。松本サリン事件を含む一連のオウム真理教事件で殺人罪などに問われ、2006年に死刑が確定。当然の判決だと思う一方、犯行に及んだ理由は理解できないまま。「訳の分からない集団に豊が巻き込まれたことが本当に悔しい」と力を込める。
 18年7月6日午前、テレビのニュースで麻原元死刑囚ら教団幹部の死刑執行を知った。死刑を望んでいたことは間違いないが、「もっともっと生きて、苦しんでほしかった」という気持ちがあったことにも気付いた。その複雑な思いは今も残る。
 事件から30年。事件が終わったとも、死刑執行が区切りになったとも感じたことはない。豊さんを亡くした苦しみは変わらず続く。

 「私にとっての終わりがあるなら、私が死んだときでしょうね」。房枝さんは淡々と語る。

 事件の風化は仕方がないと思うが、オウム真理教の後継団体である「アレフ」や「ひかりの輪」の活動が続いていることには不安を抱く。「若い人たちには、あんな集団に巻き込まれないでほしい。自分の芯を持って生きて」。二度と悲劇を繰り返さないために強くそう願っている。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し


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