産経WEST 2015.10.26 14:00更新
【東住吉女児焼死再審】両元被告、20年ぶり釈放 和歌山と大分、再審開始決定で
大阪市東住吉区で平成7年、小学6年の女児=当時(11)=が焼死した火災で、殺人などの罪でともに無期懲役刑が確定し、23日の大阪高裁決定で再審開始が認められた母親の青木恵子元被告(51)と内縁の夫だった朴龍晧(ぼくたつひろ)元被告(49)が26日午後、刑の執行を停止され、同年9月の逮捕以来約20年ぶりに収監先の和歌山刑務所と大分刑務所からそれぞれ釈放された。
検察側は執行停止に異議を申し立てていたが、高裁第3刑事部(中谷雄二郎裁判長)が26日に退け、検察側が釈放手続きを取った。
23日の再審開始と執行停止の決定は高裁第4刑事部(米山正明裁判長)が出した。事件については「火災は自白通りの放火でなく、車のガソリン漏れからの自然発火である可能性が否定できない」として、24年3月の大阪地裁決定に続き2人の再審開始を認めた。
さらに「無罪の可能性が高くなっており、刑の執行を今後も続けるのは正義に反する」と述べ、26日午後2時で刑の執行を停止すると決定。これに対する検察側の異議を審理していた高裁第3刑事部は「再審開始を認めた判断に不合理な点は見当たらず、無罪が言い渡される可能性が高まった」として第4刑事部の決定を支持した。
検察は再審開始決定について最高裁に特別抗告するかどうか、期限の28日までに判断する。
火災は7年7月22日に2人の自宅で発生。青木さんの長女が死亡した。保険金目当ての放火殺人だったとして2人が逮捕・起訴され、18年に無期懲役が確定した。2人は21年にそれぞれ大阪地裁に再審請求。24年3月に地裁が再審開始を決定した。検察側が即時抗告していたが、今月23日、大阪高裁が退けていた。
大分刑務所から釈放された朴さんは「自由の身にしてくださって感無量」と語った。
和歌山刑務所から釈放された青木さんは、出迎えた支援者らの前で「やっと当たり前の世界に戻ってくることができた。娘がこの青空のどこかで『ママ良かったね』と言っているのが聞こえる」と話した。
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2015.10.26 15:57更新
【東住吉女児焼死再審】朴さん釈放で「外国にいるみたい」 再審への道に弁護士も笑顔 検察は最高裁に特別抗告検討
「20年ぶりに釈放され感無量です」。大阪の女児死亡火災の再審開始が認められた朴龍晧さん(49)が26日午後2時すぎ、服役先の大分刑務所から約20年ぶりに釈放された。
刑務所では弁護士に連れられた朴さんがスーツにワイシャツ姿で門から出てきた。短く刈った頭を下げ、支援者らに「20年ぶりで外国の地に立っているようで、まだ現実感がない。夢のようで景色が輝いて見える」と語った。
一方26日午前、刑の執行が停止されると仕事先で連絡を受けた朴さんの母親(74)は「やっと帰ってこられる」と安堵と喜びに胸をなで下ろした。
午前10時ごろ、テレビのニュースで決定を知った朴さんの姉(51)が母親に電話で連絡。姉は「朝から気持ちが落ち着かなかった」と話し、「胸のつかえが下りてほっとした」と声を弾ませた。
大阪高裁から連絡を受けた弁護団の斎藤ともよ弁護士は、大阪市内で記者会見し「20年にわたり拘束された2人の主張が認められた。再審の道も開け、心から喜んでいる」と笑顔を見せた。
刑の執行停止時間は26日午後2時。中谷裁判長は「大阪地裁の再審開始決定が高裁でも再確認されたことで、無罪判決が言い渡される可能性が高まった」と指摘した。大阪高検の榊原一夫次席検事は「特に迅速、適切に対応したい」とのコメントを出した。
高裁第4刑事部(米山正明裁判長)は今月23日、再審開始と刑の執行停止を認めた決定で、「無罪の可能性が高く、逮捕以来約20年にわたる身体拘束を続けるのは正義に反する」と判断。検察側が申し立てた異議を第3刑事部で審理していた。検察側は最高裁への特別抗告も検討している。
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2015.10.26 17:57更新
【東住吉女児焼死再審】青木さん記者会見「家族のために一日も早く汚名を晴らしたい」一問一答
大阪市東住吉区で平成7年、小学6年の青木めぐみさん=当時(11)=が死亡した火災で、再審開始が認められ、逮捕から約20年ぶりに釈放された母親の青木恵子さん(51)は26日午後、服役していた和歌山刑務所から大阪市内に移動し、記者会見を開いた。一問一答は次の通り。
--最初に感想を
「やっと20年ぶりに、当たり前の世界に帰ってこられました。これも弁護団の奮闘とみなさまのおかげ。やっと再審開始決定を勝ち取ることができて釈放の日を迎えることができ、心より感謝しています」
「娘も今の私の姿をみて『ママ良かったね』って喜んでいることと思います。息子にも電話したら『おめでとう』と言ってくれた。両親も元気で、釈放されて会えることが本当にうれしい」
--20年間の心の支えは
「やっぱり息子と両親、そして亡くなった娘に『ママは無実だよ』と、そのことを証明するまでは負けられないと、死んでも死にきれないという気持ちで争ってきたし、支援者にも応援してもらえて、そのことがとても励ましになった」
--今、したいことは
「息子に会って、両親に会って、娘のお墓に行って、まだ無罪は確定していないが、再審開始決定と釈放を勝ち取ったこと、火災の原因が分かったことを報告したいと思う」
--和歌山から来る間は何を考えましたか
「チョコレートを一つ食べて(車での移動で)気分が悪くなって、水を飲んで外の景色を見ました。20年という月日ですごく変わっている。火災現場にも寄ってもらい、お花をお風呂場のあたりに供え『助けられなくてごめんね、でもきょうやっと出てこられました。明日は息子と一緒にお墓に行くから待っててね』と語りかけました」
--刑の執行停止に関して検察側が異議を申し立てていた
「23日に大阪高裁で再審開始決定が出て、でも執行停止は26日と聞き、喜びが半減しました。私の中では23日に釈放されて、(24日が)29歳の息子の誕生日だったので、20年ぶりに祝えるって喜びがすごく大きかったので。それがかなわなかったので、勝ててうれしいのが悲しみに変わり、その夜は悔し涙を流しました」
「その次の日からは3年前、(大阪地裁の再審開始決定とあわせて刑の執行停止も認められたが)執行停止の10分前に、決定が取り消された悪夢が再び訪れるんじゃないかという不安でごはんも食べられず、夜も眠られず、最後の苦しみを味わって、やっと刑務所から一歩出たときに、これで今回は取り消されずにすんだなと。でも、また取り消されて獄中に引き戻されるんじゃないかという気持ちで、すごく今も疲れているし、気分が悪くなるので、心から喜べない心境です」
--まだ裁判が続く。どういう方向に行ってほしいか 「もちろん無罪を勝ち取りたい。早く無罪になって、汚名を一日も早く、家族のためにも晴らしてあげたい」
--一番つらかったことは
「判決のたびにつらい思いはしてきた。1審のときは普通に暮らしていた人間ですから、警察は市民の味方だと。こんなひどいところと思い知って、控訴審になって裁判所というところに絶望を感じて、最高裁にも何も調べずに棄却され、そのたびに苦しかった」
「けれど、支援者に支えられ、手紙で励ましてもらって、私以上に怒りを表してくれたことで、負けた怒りよりも、支援者や弁護士に申し訳ないという気持ちが勝って、つらさや悲しみが癒やされた。また次に向かって『負けない』と思って、乗り越えてきました。なので、何がつらかったかといわれても、正直分からない」
--息子にはどう声をかけた
「『帰ってきたよ、いま刑務所から出てきて車のなかにいるよ』と言ったら『おめでとう』と。8歳のときに息子の手を離して、29歳の息子の手にきょう触れることができる」
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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◇ 高裁も再審開始認める 2015/10/23 青木惠子受刑者と朴龍晧受刑者…平成7年、大阪の放火殺人事件
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◇ 再審開始決定 2012.3.7 大阪地裁 青木惠子受刑者と朴龍晧受刑者…平成7年、大阪東住吉区の放火殺人事件
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◇ 大阪東住吉の放火殺人事件 最高裁:再審決定2被告(青木恵子・朴龍晧)の刑の執行停止認めず 2012/9/20
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