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2017年6月11日 中日新聞 朝刊
元名大生事件(1)証言台の母 天田優里(名古屋社会部)
元名古屋大女子学生による殺害事件で、初公判の傍聴券を求める大勢の人たち
証言台に立った母親(50)の手には四つ折りの紙が握られていた。「何か持っていますが、メモはだめですよ」。法廷で指摘されると、「話したいことがあります。暗記はしていますが裁判は初めてなので、不安なので」。真摯な思いが伝わる。静かに語りだした。
母親 「私の娘が犯した罪によって、被害者、遺族の方に深い悲しみや計り知れない苦しみを与えてしまい、親としておわびしたい。(中略)私たち夫婦が育てていなければ、娘は違う人生を送り、こんなようにならなかった。娘に対しても正直申し訳ない思いです」
*娘の罪背負い悲痛
言葉をかみしめるように、時折つまらせ、肩はふるえていた。長女の罪を一身に背負うように、ただ自分を責めているように聞こえた。その後はうつむき、か細い声で、弁護人に問われるままに淡々と答えた。
母親は正社員で事務仕事をしていた勤め先を辞め、今は元研究者の夫がアパート管理で生計を立てている。弁護側から「印象に残る出来事は?」と聞かれ、小二のときに文房具を万引しようとしたことを明かした。
母親 「店を出る前に私が気づき、とても悪いことだと言うと『友達がやっている。お金を払うだけ損。友達だけ得してる』と。絶対にいけないこと、警察に捕まる、と話し、夫も注意した。夫の厳しい叱責には泣いたような気がする」
小五のある日のやりとりが今も引っ掛かっていた。
母親 「それまでは『ママ』と呼んでいたのに、突然『きょうからあんたは下の名前で呼ぶから』と言われ、呼び捨てにされた。宣言するみたいに。理由を聞いたら、『こう決めたから、こうなの』という言い方をされ、注意しても直りませんでした」
夫も「パパ」から「おやじ」になり、中学生になると自分を「おれ」「おれさま」と呼ぶようになった。
母親 「自分をそう呼ぶときは、ちょっと得意そうな感じで、注意しても答えず、むしろ注意されておもしろがる様子だった。なぜそう呼ぶのか、理由はわからない」
小六のとき、担任の男性教諭の給食にホウ酸を混入しようとし「友達がホウ酸をなくしたので、消しゴムのかすとホチキスのはりをいれた」と、高校生になって聞かされた。中学一年の二学期は不登校に。児童精神科で「ストレスの原因は親にある」と長女は話したが、母親に思い当たるふしがなく、転居した直後だったことからシックハウス症候群だろうと思っていた。家では夫が小一から中学生までピアノを教え、受験勉強も夫がみた。成績は「中の上」で、担任との面談には夫婦が交代で出た。男子生徒とけんかして頭を打撲したときは夫に「からかわれたから」と話したという。
*凶行への“芽吹き”
表面的には、一般的な女子中学生とさほど変わらないこの頃から、長女の内面で何かが進行していたのか。事件の凶行に通じる“芽吹き”のような中三のときの出来事を母親は語り始めた。
母親 「(仙台の)自宅から山形の私の実家に向かう途中、片側一車線のトンネルで、北海道のトンネル崩落事故のことを私が持ち出し『怖いよね』と話したら、生き生きとした感じになって『他になんかないの?』と。それで『あんたと同じ年代の子で年下の子を殺した神戸児童殺傷事件があったよ』と話した。そうしたら、『すごい、自分と同じ年でそんなことができるなんて、すごい』と。美化する言い方にがくぜんとした」
そのころから、自室のごみを片付けようとする母親に「自分でやるから入ってこないで」と拒絶。サバイバルナイフをネットで購入したことを問いただすと「調べた少年事件の犯人が二人とも持っていたから」と話した。
母親 「神戸殺傷事件のことは、娘が被害者になる側で、自宅に帰るときに気をつけなさい、という意味で言っていたのですが…」
すぐに夫婦で話した。「大丈夫なのかしら、どうなるのかしら」という妻に夫は「変なことを話したからだ」と言いはしたが「今のうちだけだろう」とも話し、大ごとにはとらえなかった。
証言台で冒頭に語った「私たち夫婦が育てていなければ」の言葉は、苦悩し、答えを探しあぐね、見つからず、疲れ果てた末に、飛び出してきたようにも思える。いつから、何をきっかけに、長女の視点が「加害者側」になったのだろうか。
名古屋地裁で三月、殺人などの罪で無期懲役判決を受けた名古屋大の元女子学生(21)=控訴中。発達障害、双極性障害(そううつ病)が表面化していく成長過程を裁判での証言からたどり、事件から何を学ぶべきか、考える。
2017年6月18日 紙面から
元名大生事件(2)妹と級友の証言 天田優里(名古屋社会部)
成長とともに膨らみ始める殺人への衝動。もしかしたら、本人も苦しんでいたのかもしれない。「被告人が泣いたことはあるのか」。裁判官の問いに、母親はその場面を振り返った。
母親 「高校二年の秋ごろ、突然、前触れもなく『自分はあんたが思っているようないい子じゃない』とべそをかいた。何をしたの、何かあったの、と聞いたら『もういい』と言って、すぐに終わった」
傍聴席から見る長女(元名大生)は小柄で子どもっぽかった。色白で黒髪を後ろで束ね、質問に理路整然と答えた。高校の同級生(男子)が語った、社交性があり、人気者だったことを思わせる証言は、意外だった。むごい凶行から「周りに煙たがられる仲間はずれの存在」を勝手にイメージしていたからだ。犯罪への興味や殺人願望を除けば、法廷で語られる長女は「クラスの人気者」であり「憧れのお姉ちゃん」だった。
同級生 「仲のいい女子三人で一緒にいた。人当たりが良くて友達が多かった。だれとでもうまくやっている印象。いろんな人と仲が良い。べらべら自分の事ばかり話しているわけではない。相手の話も聞く。運動が得意で球技大会も中心で動いていた」
両親は仕事で遅く、二つ違いの姉妹はいつも一緒。法廷外尋問で「尊敬しているか」と問われた妹は「はい」と即答した。「頭が良くて要領が良くて、うらやましい。勉強も教えてくれたりしました」。暴力も振るわれたが「姉が憎いか」との質問にも迷わず「いいえ」と言った。長女の方も、家族の中で妹にだけは森外茂子(ともこ)さん=当時(77)=の殺害を打ち明けていた。
*家で「人を殺したい」
妹 「中三くらいから、毒殺したい、人を殺したいと言うようになった。高校に入って頻繁に。多いときはほぼ毎日だった」「『寝られないから寝るまでつきあって』と言われ、断ると顔をたたかれた。鎌とかナイフとかいきなり出してきて見せられ、怖かった」
長女の中で膨らむ犯罪への衝動は、その片りんを級友にも徐々に見せ始める。
同級生 「学級日誌には、必ずその日付と同じ犯罪者の誕生日や事件を記述していた。一年から犯罪の話ばかり。誰かの誕生日に『その日ってこの事件の日だ』『犯罪者の誕生日だ』と。どんな日付も答えるので驚いた」
母親 「二年の時、硫酸銅を同級生の男子数人になめさせたと本人から聞いた。反応が面白いから、と。絶対やってはだめだと厳しく注意した」「長女がいない間に夫がパソコンの履歴を見て、薬品類を調べていると分かり、夫婦で部屋を調べた。毒性の強い薬品を見つけ、夫が長女と警察に届けた。本人は厳重注意を受けた」
そのころ、同級生が硫酸タリウムを混入され、目が見えなくなる事件が起きた。隣の席の男子だった。
同級生 「『おまえ、盛ったんじゃないか』と冗談半分で聞くと、『そんなわけねえだろ』と強い口調で言い返された」
母親は学校から「心当たりはないか」と聞かれたが、「娘のせいにされるのが心外だった」と受け止めるほど、長女を信じていた。「自分はいい子じゃない」と長女が突然泣いたのは、この事件から間もなくだった。三年では受験に没頭し、名古屋大理学部に合格。引っ越し前、親子の間で押し問答があった。
母親 「(十八歳以下では)買えなかった薬剤をおおっぴらに買える、と言った。『そんなのにお金使うなら仕送りしない』と言った。『化学を学ぶのに薬品に興味あるのは当然だ』と」「訪ねた名古屋のアパートでも薬品類を見つけ『仙台に持って帰ろう』と言ったが『薬品への興味は化学を学ぶ者として当然だ』と言い返された」
凶行の約三カ月前。夏休みで帰省した長女を、母親は仙台市の発達障害者支援センターに連れて行った。
母親 「犯罪を称賛する長女をたしなめると『あんたはもっと早く精神科に私を連れて行くべきだったね』と言われたので、じゃあ、と二人で行った。どう対処すればいいか相談し、名古屋の発達障害者支援センターを勧められた」
その後、センターから名古屋で受診したか聞かれたが、受診できないまま、長女は森さんを殺害してしまった。
*「孤独」の影は見えず
畜産学の元研究者でアパートの管理人をしている父親は家ではピアノや勉強を教え、会社勤めの母親は不登校の時期には寄り添い、姉妹の仲は良く、高校ではクラスの人気者。進学後の名大でもサークル(応援団、ピアノ)で活発に学生生活を送っていた長女に、少年事件で連想しがちな「孤独」の影は、どこにも見えなかった。
2017年6月25日 朝刊
元名大生事件(3)遺族の気持ち 天田優里(名古屋社会部)
もし、時計の針を巻き戻せたのなら、彼女は「殺人願望」を矯正し、犯罪に手を染めない人生を歩めたのか。約二カ月の裁判を終えた時、重い問いが私の胸に残った。
*自分とは感覚のずれ
最後の被告人質問。検察官が「二カ月間、ずっと下を向いていたが、どんな気持ちだったか」と問い、彼女が「つらかった」と心情を語りだした場面が印象に残る。
元名大生(長女) 「被害者(の遺族)の言葉を聞くのがつらかった。自分の感覚と被害者(側)の感覚がずれていた。知らなかった苦痛が見えてきてショックを受けた」「森さんがいなくなって(同居の夫に)生活の不便が出ると思うが、そこを感じて怒りが出ると思っていた。でも森さんを失ったことそのものが怒りや悲しみにつながっていると知って、自分が思っていなかったことでびっくりした」
裁判開始の当初に検察官が読み上げた森外茂子(ともこ)さん=当時(77)=の夫と息子の調書の内容は-。
「繊維関係の会社をたたみ、のんびり妻と二人暮らしをしていた。(殺された)十二月七日、ゴルフから帰っても妻がいなかった。警察に行方不明届を出した。交通事故にあったか、何者かに連れ去られたか考え眠れなかった。翌々日、探偵を雇って行方を捜した。警察から連絡を受け、変わり果てた妻と対面した。今でも思い出すと涙が出ます。『女の方が長生きするからね』と妻が言って、それを笑って聞いていた。一人で住むのはつらいことです。妻を返してほしい。帰ってくるなら、処罰しなくてもいいと思っています。妻が帰ってこないなら死刑にしてほしい。どんなことをしても、妻は帰ってこない。でも、妻を返してください」(夫の調書=抜粋)
「どこかで生きているだろうという期待があったが、奈落の底に落ちた。楽しそうに自分のことや父のことを常に明るく話してくれた。母と父は夫婦仲良く理想の老後を過ごしていた。恩返ししなければと思っていたが、恩返しできなくなった。もう会えない。寂しい気持ちでいっぱい。母を殺した犯人を許すことなど一生できない」(息子の調書=同)
検察官が長女(元名大生)に「家族がいなくなって寂しい思いを想像することは」と聞くと「ぴんとこないです」と答えた。「遺族に申し訳ない気持ちは」という質問には「わからない」と話しただけだった。
では、自分の家族のことをどう考えていたのか。母親が「娘のそばに居て生活のサポートをしたいと思っていた」と法廷で語った言葉にうそは感じられなかった。法廷に姿を見せなかった父親を仙台市内のアパートに訪ね「娘さんの裁判の件で伺いたいことが」と伝えると、「ごめんなさい」とか細い声で応答し、扉を閉めた。疲れ切っている様子が、その真面目そうな風貌に表れていた。
夫婦は逮捕の少し前、医学部の社会人聴講生をしている夫の姉に専門家を紹介してもらい、長女と会わせていた。親として、可能な限りを尽くそう、としているように感じられた。
長女は父親には「しばられた」と反発していたが、法廷で母親のことを「いい人で思いやりがある」と答えながら、高校時代に「殺したい考えが浮かんだ」という。受験勉強での偏差値は高くても、他人の痛みを理解することができないまま成長してしまったのだろうか。
*反省はぴんとこない
本人の中でも何らかの葛藤が起きているようにも感じた。自分がしたことについて「早く反省しなきゃいけない気持ちはあるんですけど、心がついてこない。反省はぴんとこない、もどかしい気持ちです」と答えていたからだ。
高校二年の時、隣の席で長女にタリウムをペットボトルに混入され、ほぼ失明状態になった同級生が出廷し、こう証言した。
「思い描いていた目標とか夢とかを台無しにされ、自由を奪われ、許せない気持ちでいっぱい。一生刑務所に入ってもらって罪を償ってほしい」。同級生の父親は「同じ目にあわせてやりたい。極刑を望みます。家内の方が私より被告に対しての思いは強い」と被害者感情をぶつけた。
印象を問われた長女は「ちょっと恐怖感を感じた」と答えた。何に対する恐怖かは「わかりません」。彼女をどう理解すればいいのかという私の問いも、その言葉とともに宙に浮き、行き場を失った。
もし、事件が生来の障害に起因するとしても、「殺人願望」を持つ彼女が人生の方向を自ら、あるいは周囲の助けで変えることはできたのか。また、今後、更生の道を歩んで社会復帰する道筋を示すことはできるのか。重い「問い」が法廷にのしかかっているように感じた。
2017年7月2日 朝刊
元名大生事件(4)法廷の怒号 天田優里(名古屋社会部)
法廷は有罪か無罪かを判断し、罪に応じた刑期を決める場とはいえ、この事件の特異性を思うと、それだけでは不十分だと感じた。
社会としてどう対応すべきか。司法がその道筋を示すすべての責任を負っているわけではなくとも、今後、彼女にあるような障害が事件に発展しないよう、糸口が示されると多くの人が期待したかもしれない。残念ながら、今回の裁判で示すことはできなかった。
法廷には珍しく、怒号に近い声が飛び交った。
元名大生の法廷証言は、あまりに常識とかけ離れ、なおかつ、自分に不利な質問は巧みにかわしており、裁判官からは病気のふりをする「詐病の可能性はないのか」という質問が出た。
*詐病否定する鑑定人
出廷した三人の鑑定人(精神科医。検察側一人、弁護側二人)はいずれも「疑っていない」と答えたが、「その根拠は」と突っ込まれた弁護側の鑑定人は「全体的に判断する。詐病ならわかる。病気を演じていればわかる。専門家三人が見て、詐病じゃないと言っているんだから!」といら立ちをあらわにし、声を荒らげた。
被告の責任能力は「ない」と主張する別の弁護側鑑定人は「よく考えないと、判断を間違えますよ。僕の鑑定書をよくよく読めば、彼女が心神喪失だってわかりますよ。みなさん、僕の鑑定書をよく読んでください!」と大声で訴え、法廷が静まり返った。
障害への理解が公正な裁判には欠かせないのは当然のことだ。とはいえ、「発達障害」「双極性障害(そううつ病)」という障害について、予備知識が必ずしも十分ではない裁判員たちが、専門家との法廷の質疑だけですべてを理解するのには無理がある。また現実問題として、裁判官や裁判員は限られた時間内に有罪か無罪かを判断し、刑期を決めなければならない。鑑定人と裁判官、裁判員との間に横たわる断絶が、次第に広がり、法廷内のいら立ちを高めていったように思う。
弁護側の鑑定人が「英国では限定的な責任能力でも医療を受けるため、病院に移る。日本は最初にまず有罪無罪を決めるのがおかしい」と司法制度に批判の矛先を向けると、業を煮やしたように裁判長が一喝した。
「あのね、そんな日本の司法がどうとか文句言われても困るんですよ! さっきの『鑑定書読んで決めろ』とかいう文句言われても!」
法廷はこの瞬間、静まり返り、フリーズしてしまったように感じた。
法廷には限界がある。そう痛感したのが、選ばれた六人の裁判員たちではなかったか。被告にさまざまな質問をぶつけ、理解しようと努めながら、結局、割り切れない思いを残したまま結論を下さざるを得なかった難しさを口々に語った。
*理解に苦しむ裁判員
「『被害者のことがわからない』というが、自分がされたらどう思うのか。理解できない」(三十代男性)「犯罪をするタイプに見えない。『弁護士と話ができたのが楽しかった』と言ったが、話し相手がほしかったのかと思った」(五十代男性)「母や妹には『殺したい衝動があった』が、反発した父親には『殺す候補じゃない』と言ったことに強いギャップがあった」(四十代男性)
彼女の印象をそれぞれ「見た目は普通の子」「質問に即答。はっきり答える頭の切れる人」「質問の切り返しが素早く、頭の回転が速い」「何を質問しても答えるが、無表情な子」「淡々とした話し方が印象に残る」と語る中で、二人の裁判員があるシーンに着目していた。検察官から無期懲役を求刑されたときの彼女の表情だった。
「顔を真っ赤にして震えていた」
罪の軽い“未成年”のうちに殺人を決行した彼女にとって、重い求刑が想定外だったのか。その心の内を知ることはできなかった。理解されないまま、孤立した被告を裁判員の一人は「かわいそうに思えた」とさえ振り返った。
責任能力が認められ、無期懲役となった一審の判決後、弁護側は控訴し、最終的な裁判の行方はまだ先になる。このまま刑が確定しても、あるいは無罪になっても、衝撃的な今回の事件を受けて、社会が何かを解決した、とは到底言えないだろう。
彼女にあるような障害とどう向き合うか。障害をめぐり、法廷で浮き彫りになった専門家と法律家、一般市民との間に横たわる“溝”を埋める作業を今後、医療や福祉、教育の現場で連携して進めていくべきではないか。
次の「元名大生」が現れたとき、再び「闇」として向き合うのではなく、光へと前進する道筋を一日も早く見つけなければならないと思う。
=終わり
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2019.10.18. 20:50〉
大変申し訳ないことをしでかしてしまいました。戴いたコメント、間違えてコメント欄から消去してしまいました。お詫びとともにこちらへ転載(転写)させていただきます。
Unknown (いち小児科医) 2019-10-18 15:19:48
発達障害の診察を日々行なっていますが、行政や教育現場の体制は日本では極めて貧弱です。
このような大きな犯罪だけでなく、様々な軽犯罪のベースに発達障害がある事は最近話題にはなってきていますが、まだまだ対策が制度設計される気配はありません。
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上記事へ転写掲載させていただきました。お詫びします。