関光彦(2017/12/19 死刑執行) 19歳で一家4人を惨殺した男の「恐るべき素顔」と「誤算」 

2019-09-03 | 少年 社会

 2019.9.3
純粋な悪…19歳で一家4人を惨殺した男の「恐るべき素顔」と「誤算」  圧倒的な悪は、周囲をも染めていく
   永瀬 隼介

■拘置所に通いつめて聞いた「凶悪犯」の本音
 「とっととくたばりたいんですよ」
 金網入りのガラス板の向こう、男は顔を苦しげにゆがめ、ひび割れた声を絞った。 「許されるならこの場で切腹でもして、自分の手で責任を取って、潔く死んでしまいたい。死刑が決まった人間を無駄に長生きさせる必要はないと思います。ぼくは間違っていますか?」
 男の名前は関光彦(せき てるひこ)。一九九二年三月六日、一九歳時に千葉県市川市のマンションに押し入り、四歳の幼女と八三歳の老婆を含む一家四人を惨殺。地裁、高裁、共に死刑判決が下った後、二〇〇一年一二月三日、最高裁は上告を棄却し、死刑が確定している。
 死刑執行は一六年後の二〇一七年一二月一九日。関光彦は四四歳になっていた。一九歳で逮捕されて以来、東京拘置所に於ける獄中生活は実に二五年に及ぶ。
 犯行当時未成年の死刑執行は、一九九七年の永山則夫(死刑執行時四八歳 一九六八年、一九歳でピストル連続四人殺害事件を引き起こす)以来、二〇年ぶりであった。
 私は関光彦の死刑が確定するまでの三年余り、東京拘置所に通って面談を行ない、手紙を交わし、被害者遺族をはじめ多くの関係者から証言を得て、事件ノンフィクション『19歳 一家四人惨殺犯の告白(角川文庫)にまとめた。
 冒頭のセリフは、拘置所の面会室で光彦が私に対して発した言葉である。また、手紙にはこんな心境も綴ってきた。

《これから先何年も、死んでいく為だけにどうやって生きていけばいいのかもわかりません。外界から一切遮断されたコンクリートむきだしの監獄の中で、一年中誰とも会話もせず、希望を抱くことも許されず、何年も何十年も狂わずにやっていく自信も持てないのです。死ぬことが怖くない、と言えば嘘になりますが、それ以上に、先のない毎日におびえながら生きていかねばならないことの方が怖いです》
《ただオリの中で飼われただけの八年間。動物園にいる動物達より世の中の役に立ってもいないのです。そういうことを考えずにはいられなくなってきて、本当に惨めで情けなく、自分が生きている価値もない人間だということがよく分かりました》

■絞首刑回避のためにとった「手段」
 この殊勝な肉声、手紙とは裏腹に、光彦の生への執着は凄まじく、死刑決定後も再審請求を繰り返している。
 結果、死刑確定から執行まで、実に一六年もの歳月(永山則夫は七年)を要したわけだが、漏れ伝わる話によれば、弁護人のアドバイスで三度の食事と間食を詰め込むだけ詰め込み元々身長一八〇センチ近い骨太の大柄な身体はさらに大きくなり、体重一二〇キロ超に達したという。絞首刑の回避を狙った肥満化、とのことだが、もちろん無駄な努力に終わった。哀れ、としか言いようがない。
 関光彦が暮らした塀の外の一九年を追うと、尋常でない暴力と共にあったことがわかる。幼少時から父親の猛烈なDVに晒され、全身に生傷が絶えず、大好きなスイミング教室に通えないこともしばしば。
 超の付く遊び人でギャンブルと酒、女が三度のメシより好きな父親は高級外車を乗り回して愛人と遊び歩き、サラ金からカネを借りまくった。家庭はあっけなく崩壊し、光彦が小学四年のとき両親は離婚。父親がつくった借金は億単位にのぼったという。
 光彦は母親、五歳下の弟と共に下町の安アパートを転々とした。債鬼に追われ、夜逃げしたこともある。食べるものも満足にない極貧生活の中、小学校は転校を繰り返した。服は一着しかなく、ランドセルの代わりに風呂敷をぶら下げて通うと、クラスメートに「汚ない」「臭い」「貧乏人」と笑われ、イジメの標的となった。
 鰻店チェーンを経営する祖父の援助で母親はなんとか生活を立て直すも、光彦は小遣い銭欲しさに一人浅草の繁華街をうろつき、かっぱらい、置き引き、賽銭泥棒を繰り返した。
 中学に入るころは身体も大きくなり、口煩い母親を問答無用で殴り倒し、幼い弟に手酷い折檻を加えた。外ではワル仲間とつるんでケンカ、恐喝、窃盗の日々。中二で同い年の不良少女を相手にセックスを経験。以後、少女が住むアパートに入り浸り、盛りのついた猿のように腰を振り続けた。
 高校中退後は大恩人である祖父とも衝突。激昂した孫は祖父の左目を蹴り潰している。

■「犯行の最中だけは、無敵になれる」
 以後、光彦の凶暴性は堰を切って溢れ出し、一九歳になって一〇日余り後、酸鼻を極める強姦事件を引き起こす。犠牲者は深夜、帰宅途中の女性(二四歳)だった。手紙にこう綴る。

《いきなり後ろから髪の毛をわしづかみにしてひきずり倒し、顔から血がしたたり落ちるまでアスファルトに何度も頭を叩きつけるという、ただの性的暴力とは異なる、限りなく八つ当たりに近い、非道いものでした。それでも手は止まらなくて、さらに鼻の骨が折れたのを確認しながらも、鼻血まみれの顔を夢中で殴り続けるという徹底ぶりで、ひと頻り衝動が収まるまで力まかせに暴行を続けたのです》

 ぐったりした女性をクルマに乗せ、自宅アパートに連れ込みレイプ。光彦は暴力の持つ達成感、陶酔感を告白する。

《傷害にしろ、強姦にしろ、他人の血を見るということは興奮するものです。とくに、しだいに相手が弱ってきて自分に従うようになり、どうにでも好きなように動かせるようとなった時に見るそれは、僕の中では勝利の象徴として溜飲を下げるのに大いに役立ちました》

 この凄惨な強姦がきっかけになり、光彦の中にこれまで感じたことのない“自信”が生まれる。

《少なくとも犯行の最中だけは、いつもの自分とは違う無敵になれますから、次はもっとそれ以上のものをと、自分はどこまでできるのかを知りたいと際限なくエスカレートしていく欲求を抑えられなくなり、感覚も段々麻痺していきました》

 第二の強姦は翌日深夜、僅か二二時間後である。場所は千葉県市川市。コンビニで買い物を済ませ、自転車で帰宅途中の少女(一五歳 県立高校一年)に目を付け、背後からクルマで追突。自転車ごと転倒させた。
 光彦は怪我を負った少女に優しく声をかけ、救急病院へ同行した。治療が終わった後「自宅まで送ろう」とクルマに乗せるや、豹変。折りたたみ式ナイフを取り出し、刃を少女の指の間にこじ入れ、こね回し、ほおを切りつけ、「黙っておれの言うことを聞け」と脅した。
 突如、牙を剥いた暴力に恐怖し、震える少女を自宅アパートに連れ込み、二度強姦。欲望を満足させた光彦は少女の持ちモノを改め、現金を奪い、高校の生徒手帳から住所、氏名を控えている。
 その後、フィリピン人ホステスを拉致したかどでヤクザの集団に追われ、慰謝料として二百万円を請求される。弱者には滅法強い非情なワルも、暴力のプロであるヤクザには手も足も出ない。震え上がり、承諾するしかなかった。
 手っ取り早くまとまったカネを作ろうと、二度の恐喝を試みるが(いずれもクルマ絡みのトラブルに乗じたもの)、失敗。追い詰められた光彦は市川市の江戸川河口近くに建つ分譲マンションに押し入る。少女の自宅である。第二の強姦から二〇日後の凶行だった。

■そして、一家の自宅に押し入った
 雨の降る夕刻。部屋のドアは施錠されておらず、中には八三歳の祖母が一人。

 《年寄り一人くらいなら、まずどんなことがあったって、力で負けることがないはずといった過信と、ひどく短絡的思考から、その眠っていたオバアさんの足を蹴り上げ、無理やり起こしたのです》

 一家四人惨殺の詳細を綴った手紙は、それまで整然と並んでいた文字が崩れて細かくなり、とても同じ人物が書いたものとは思えない、俗に言うミミズがのたくったような筆跡である。実は光彦は一家の殺害場面を書くに当たり、幾度も断念し、それでもなんとか書き上げて送ってきた。
 惨殺現場の描写は、犯人でなければ書けない異様な迫力に満ちており、わたしは肉筆の、血臭が匂い立つような文面を幾度も読み込みながら、神経が削られていく感覚に襲われた。
 果敢に抵抗する祖母を電気コードで絞め殺し、次いで、帰宅した母親と少女に包丁を突き付け、床に這わせ、母親を刺殺している。
保育園の保母に連れられて妹(四歳)が帰宅すると、少女に命じて食事の準備をさせ、三人で夕食。食後、家族の惨殺体が横たわる傍らで「時間潰し、気分転換」と称して少女を強姦。その強姦の最中、帰宅した父親を背後から包丁でひと突き。最後、泣き喚く四歳の幼女にも手をかけている。
 一夜で一家四人の生命を、まるで虫を捻り潰すがごとく奪った光彦は、逮捕後もその冷酷ぶりを遺憾なく発揮した。被害者の遺族はベテラン刑事の、こんな悲鳴にも似た言葉を聞いている。
 「三度のメシを腹一杯食い、夜は大いびきをかいて熟睡している。あいつは人間じゃありませんよ」
 信じられないことに光彦は母親に頼み込み、高校時代に使っていた教科書、参考書、辞書を差し入れさせている。出所後に備えて資格の一つも取っておこう、と考えたのだ。当時の心境をこう書く。

■「未成年なら死刑とは無縁」と考えていた

《漠然と、20歳までの未成年者ならどんな事件を起こしても、それが窃盗だろうが傷害や殺人だろうが、全員が全員、少年鑑別所へ行って、そこから少年院てとこへ入れられるものだという程度の知識しか持ちあわせていなかったのです》

 死刑制度への、その楽観的認識には驚くべきものがある。

《死刑なんてものは自分とはおよそ縁遠いもので、一度殺人を犯しておきながら、刑期を終えてから、あるいは仮釈放中に懲りずにまた同じ過ちを犯すような、どうしようもない、見込みのない連中の受ける刑罰だと。五〇、六〇過ぎて人を殺すような奴らと一緒にされてたまるか、と》

 唾棄すべき愚か者の“誤算”である。では二〇歳なら犯行を思い留まっていたのか? 

《きっかけとなったその前の傷害事件や強姦事件さえ出来なくなっていたでしょうから、それ以降の雪ダルマ式に発生した殺人へも発展しなかったと思うのです》

 死刑廃止論者は「死刑制度は犯罪抑止力にならない」と声高に主張するが、果たしてそうだろうか。関光彦を取材し、被害者遺族の怒りと哀しみを知る私はとても首肯できない。

■著者を襲った異変
 取材が終盤にさしかかった二〇〇〇年夏、私は大怪我を負ってしまう。夜遅く、満員電車で帰宅途中、駅のホームで倒れ、歯を一〇本余り砕き、顎の骨を折ったのである。
 全身麻酔による手術(顎の骨折二箇所を金属プレートで固定)と三週間の入院生活は、家族を抱えるフリーにとって、かなり辛いものだった。しかし、このアクシデントは意外でもなんでもない。
 私は三年に及ぼうとする獄中取材のストレスから、体調の異変(パニック障害と自律神経失調症、不眠症)を抱え、電車に乗る度に吐き気に襲われ、激しい目眩に悩まされるなど、日常生活にも支障が出ていた。大怪我は、この溜め込んだストレスが爆発した当然の結果、いや当然の報いである。
 そもそも、第三者の立場、つまり安全地帯から他人の迷惑も顧みず強引な取材を繰り返す事件ライターが、関光彦のようなモンスターとかかわって無事で済むわけがない。生命まで取られなかった私はむしろ幸運といえるだろう。
 手術後、ワイヤーであごをがっちり固定された私は、病院のベッドでカテーテルと点滴のチューブに繋がれ、身動きもままならないまま、自問自答するはめになった。
 曰く、おまえが事件の当事者なら獄中の関光彦に冷静に取材できるのか? 所詮、無責任な安全地帯の第三者だろう。被害者とその家族への取材は傷口に塩を擦り込む行為にならないか? 一介のライターに彼ら彼女らの本当の苦しみ、絶望がわかるのか──?

■生き残った少女の証言を得て
 大怪我を負う前、私は関係者の証言を求めて、東京、千葉、神奈川を中心に、岩手、秋田から大阪、熊本を取材して回り、フィリピン・マニラのトンド地区(東南アジア最大のスラム街)まで出向いていた。
 光彦が、「この世でもっとも憎い人間。生まれつきの詐欺師。殺人鬼育成マシーン。叶うならぼくと一緒に死刑台に吊るしてやりたい」と呪う父親への接触も試みている。
 取材依頼の手紙を投函し、担当編集者と共に千葉県内の公営アパートの自室前で幾度も張り込みを行なった。が、長い準備と時間をかけたこの取材は失敗に終わった。他にも空振り取材は数え切れないほどある。
 その一方で、マスコミ取材を一切受け付けず、可能性はゼロに等しい、と覚悟していた光彦の祖父へのロングインタビューが実現し、母親と弟の言葉も断片ながら得ている。想像を絶する惨劇からただ一人生き残った少女への取材も、最後の最後、叶った。
 振り返れば、事件取材はイコール忍耐と執念、と痛感する日々だった。しかし、取材者の私はどこまで行っても安全地帯の第三者であり、もっと言えば、他人事である。
 病院のベッドの上でとりとめもない自問自答の末、安全地帯から飛び立てない己へのひとつの回答として、小説に軸足を移し、新たな物語に取り組むことにした。

■絶対的な悪を描くために、小説を書いた
 『19歳』で作家の重松清さんに寄せていただいた解説の一節〈永瀬隼介さんは(中略)落とし前をつけようとしたのではないか〉。落とし前。その通りである。
 面会室のガラス板の向こうに座る連続殺人犯が、突如、取材者の弱みを握り、大事な家族を破滅の淵に追い込んだら──。そんな発想から生まれたミステリー小説が『デッドウォーター』である。
 以下、ストーリーの概略を紹介すると、主人公は、ままならぬライター人生の一発大逆転を狙い、獄中取材を敢行する加瀬隆史。
 もう一人の主人公、穂積壱郎は一八歳の時、五人の女性をレイプし、殺害した猟奇殺人鬼であり、抜群の頭脳を持ち、死刑も恐れぬ一種の超人である。
 安全地帯の取材者、加瀬は妻の隠された過去を知ることで当事者となり、世界は一変してしまう。塀の中の殺人鬼に翻弄され、地獄に叩き落とされ、もがく貧乏ライター加瀬は、物語の後半、己のアイデンティティであった取材者の立場をかなぐり捨て、獄中の穂積への復讐を決意する。
 しかし、相手は国家の庇護の下、分厚いコンクリートと最新最強の警護システムに囲まれ、究極の罰である死刑も恐れぬ、悪魔のような猟奇殺人鬼である。果たして一介の事件ライターに復讐の手段はあるのか?
 『19歳 一家四人惨殺犯の告白』から派生したミステリー小説『デッドウォーター』が、今回、加筆修正を施した新装版文庫本として、同じ版元(角川文庫)に収められた。
 この機会に一人でも多くの方の手に取ってもらい、件の落とし前はついたのか、否か、厳しく判断していただけたら、と思う。 

永瀬隼介
 1960年、鹿児島県溝辺町(現霧島市)生まれ。週刊誌記者を経て1991年に独立。ノンフィクション作品は、『19歳 一家四人惨殺犯の告白』、『疑惑の真相 昭和8大事件を追う』(以上、角川文庫)など。2000年、『サイレント・ボーダー』(文春文庫)で小説家としてデビュー。他の作品に『閃光』(角川文庫)、『デッドウォーター』などがある。クライムノベル分野で現在は活躍中。

 ◎上記事は[現代ビジネス]からの転載・引用です
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 2017.12.20 14:48更新
一家4人殺害で死刑執行の関光彦死刑囚「4人が許せないと自分にくっついている」弁護士に心境
  19歳だった平成4年に千葉県市川市で一家4人を殺害し、19日に死刑が執行された関光彦死刑囚(44)は、面会した弁護士に「4人が、おまえを許せないと言っているようで苦しい」と話していた。
 弁護人を務めていた一場順子弁護士によると、最近は2カ月に1回ほど面会し、最後に会ったのは10月末。新聞をよく読んでいたといい、小説の「ハリー・ポッター」や雑誌を差し入れていた。
 面会時には気候や体調など、たわいもない話が多く、本人も落ち着いていた様子だったが、かつては「4人がいつも自分にくっついていて、おまえのことを許せないと言っているようで苦しい」と打ち明けたこともあった。
 関死刑囚は再審請求中だったが、刑が執行された。一場弁護士は「再審の判断を待ってほしかった。寝耳に水で残念だ」と話した。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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* 2人の死刑執行 関光彦死刑囚(=犯行当時19歳) 松井喜代司死刑囚 2017/12/19 上川陽子法相命令
<少年と罪>第9部 生と死の境界で(上)市川市「一家四人強盗殺人事件」 (中日新聞2018/3/4) 
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