はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

空っぽカプセル。

2012年03月20日 17時55分46秒 | 出張中の日常シリーズ
名古屋出張はカプセルホテル泊が毎度のお決まりコースだった。
しかし今回は違う。
僕にとっての愛知の常宿は
前回1月の名古屋出張時を最後に
その直後、閉館となった。

僕が今の会社に営業として入社したおよそ15年弱ほど前
営業がまだ数人いた当時から東海地区を担当し
出張でこの地を訪れる度に宿泊していたカプセルホテル。
格安で、しかも大好きなサウナ大浴場つき。
それにここのカプセルは、レストランやなんやの“プラスな設備”や
食べ物の持ち込みNGやなんやのうるさい決まり事が無いので
自由きままに過ごせてとても良かった。

前回の出張時に無くなると聞いた時は非常に寂しい思いをした。
まるで愛知の自分ちが無くなっちまうようなやるせなさである。

大した設備も無い、最低限のボロ施設。
料理に例えりゃまるで精進料理みたいなゴリゴリの施設。
だけれどもそこは
サウナ大好き汗かきじじいが働いて眠るだけの
そう、僕にとったらある意味最低限度の極楽だったのだ。

人は、大切なものを、無くしてからはじめて
あぁ大切だったんだなぁと気付くようなたわけた生き物である。
満たされているときは、裏側に潜む不遇さが見えず
いくらだって調子にのれちゃえるのだ。
備わっている事、スムーズさが当たり前になり
それはいつしか永遠に続くものという錯覚に陥る。
悪いことじゃない。
みな、そんな理想を掲げて日々突進しているのだ。
だから、健康な時、人はいくらだってノリノリで
病気になると助け合う、優しさを知る。

当たり前だった宿が無くなった。
単純に不景気に潰された感は否めない。
今回の出張前、予定を組んでいる最中
カプセルホテルが無くなっている事をすっかり忘れ
「ホテルはいつものあそこでよし」
とか思わずつぶやき
「あ!もう無かったんだ!危ねぇ~…」
と気付くなんて失態をしてしまった。
慣れって怖い。
そのまま、ボケたままでいたら
誰もいないゴースト化した
空っぽのカプセルにチェックインしちまう所だった。

閉館したはずのホテルが何故か営業しており
無いはずのカプセルがあって
僕はそこにもぐり込んでしまう。
つまり、カプセルのお化けに喰われてしまうのだ。

虚構の中にハマる現実。
今見ている世の中が、夢の中の世界とごっちゃになり
夢と現実どっちがどっちか分からなくなってゆく。
そのうち僕は、僕自身をも見失い
まるで赤子の様にカプセルの腹ん中で
指をくわえて眠るのだ。
気持ちの中で“名古屋ではここ”と依存しすぎて
思い出と化した、今は無きものに意識が吸収されてゆく。
そして、小さくなった僕は思う。

コレハ、生キテナイ。

まやかしに喰われ、大切な何かと共に自分自身をも失う所だった。
慌ててはい出し、気がつくと
僕は廃虚と化したカプセルホテルの目の前に立っていた。
使われなくなった建物は、完全に生気を失ったただの箱に見えた。
まるで棺桶だ。

危なかった。

便利が生まれ、不便が死に絶え
生まれた便利はまた不便となってゆく。
僕らの今は、すこし前の未来。
すこし先の世界では、今はもはや新しくはない。
どこの時点で価値を見出だすかは
人それぞれの尺度があるが
その時々の執着は大切にしてもいいもんじゃないかと思う。

僕の執着は、くつろぎと安さとサウナ大浴場とざっくばらんな面白さか。
「そうだ!」
常宿のカプセルホテルを経て
今の僕は
当ブログでもおなじみの
大好きなドー○ーイン名古屋に泊まっているというわけだ。

愛知三河の鐘の声
諸行無常の響きあり。

今の極楽は
これからの極楽となるだろう。

めけめけ~。

写真。昨晩撮った、閉館したカプセル。


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