はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

ひまわり。

2013年08月28日 15時01分01秒 | ほのぼの日記シリーズ
朝からいきなりセミを蹴ってしまった。
いやまさか歩く足の歩先にセミがいるなんてわからないもの。
つま先にコツーンと何かがあたった感触があった。
踏まなかっただけでも良かった。
踏んだら足裏に嫌~な感触感じそうだしセミもかわいそう。
コツーンと、結果蹴られたセミは驚いたのかブビビと言い放って飛んだ。
歩道わきにかけられたネットをくぐり抜け、どこかへといなくなった。
安眠していたセミさんを蹴り起こしちゃったかな。
悪いことしたなぁ。
いやいやセミはアスファルトの上で寝ていたわけではないだろう。
命をまっとうし、永眠の手前で微睡んでいたのだと思う。
熱しられたフライパンみたいなアスファルトでジジジ…と焼かれて
まさに人生(セミ生)の走馬灯を観ていた最中だったのだ。
そこへ僕の足がコツーン。
慌てたセミの霊が三途の川からたちまち戻ってきたってわけ。
なんだか分からず飛び立つ。ブビビー!

生き物の霊にはちゃんと“次の行き場”があるものとするならば
このセミには既に来世が決まっていたとなる。
もしもその次の行き場が人間だったとしたら
僕に邪魔されて生まれ変わりが狂ったわけで。
セミからすれば「なんてこった!」な延命だろう。
セミの霊が宿るはずだった人間のかわいい赤ちゃんは
ママのお腹で他の霊を受け入れた。

ちょいちょい、ちょいとまちなよ、おっさん。
その人間様々な考え、なんとおこがましい事か。
人間が思う、人間が一番だという勘違いのおぞましさ丸出しだ。
わたしセミはね、来世もまたセミがいいのよ。
セミにもストレスがあるのを知ってるかい?
セミストレス、それはあんたら人間から受けるものなんだよ。
わたしたちは土壌汚染、空気汚染
土の生活と地上の生活共にあんたら人間がもたらした自然への仕打ちにより
多大なストレスを感じさせられている。
近頃誕生の数や寿命にブレが生じているのもそのためだ。
わたしはね、わたしたちセミに害しか及ばさない人間になんて死んでもなりたくない。
あ、いや、死んだらなってしまうなら
せめてわたしの来世はセミを大切に生きる人間であり続けてみせる。
セミの一生はいいよ。じつにいいんだ。

なんてことを
どこかへ飛び去っていったセミがわざわざ戻ってきて僕に言ってきた
わけもなく、これはあくまで想像で終わる。

そうそう、今朝とあるテレビを観ていて思った事。
「きみは決してひとりじゃない。
なにかあったら僕がいるから。
そばにいるから、かならずいるから。
大丈夫、きみはひとりじゃない。」
なんてことをよく聞くが
じゃあ実際何かあって、助けてくれ!とすがっても
人には人それぞれの人生があるわけなので
いついかなるときも全力で助けてあげられるわけではないよな~という事。
いやいや、この場合はそういう意味じゃなくて
「人はひとりじゃ生きられない。助けあって人生を乗り越えてゆくものだ。
大切な人がいつでもそばにいてくれる喜びや
自分が大切に思う歌や文やがいつも心の支えになってくれる。
くじけそうな時には、誰かが必ず見ていてくれている。
ほら、きみはひとりじゃない」
て意味なんだと思う。
わかっちゃいるけど、ひねくれて考えてみちゃう癖があるのねん。

ただ実際僕は、会社の代表としてスタッフみんなのために
「大丈夫、いつでも僕はいるから」
というスタンスで立っていなければならないと思っている。
それは、出張が多すぎて「いつもいない」から。
だから会社にいるときはなるべく実際いるようにしているし
いるならみんなの為に時間を使えるように
すぐ手があけられるようなデスクワークしかしないようにもしている。
社長は暇だから、と、見ている人もいるだろうけど
まあ、そう見られていても敢えてそうしているからいいや、とも思っている。
スタッフみんなといつでも向き合えるようオープンにしていないと
仕事が止まって困ってしまうもの。

ああ、そうだ。
セミ蹴った道路の近くにひまわりが咲いていたっけ。
僕はひまわりが好き、黄色が好きだから。
セミ蹴ったあとに写メっていたんだ。
思い出したかのように今日の記事に添付。
太陽を向いて咲くひまわり。
まるで来世は太陽になりたいと想いを巡らせているようだ。
ひたむきさと貪欲さがあるような、そんな人に憧れるし
そんな人が、僕はすきである。
だからなに?そんな勝手なお話。

めけめけ~。

写真。ひまわり。


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