大叔父が105歳で亡くなりました。
急ぎ母と会いに行きました。
苦しまず、静かに亡くなったそうです。
亡くなった時の様子を聞かされたとき、「苦しまなかった」っていうのはほっとします。
終戦が昭和20年じゃないですか。
大叔父はソ連軍に抑留され、復員したのが23年だったんですって。
3年間も強制労働か・・・
しかも、その当時30歳後半じゃないかしら?
去年の暮に転んで口内を怪我して以来、外出していなかった母ですが、大叔父のことで久しぶりに電車に乗りました。
来月は女学校の同窓会があるし、少しは外出もできるようになればいいと思います。
急ぎ母と会いに行きました。
苦しまず、静かに亡くなったそうです。
亡くなった時の様子を聞かされたとき、「苦しまなかった」っていうのはほっとします。
終戦が昭和20年じゃないですか。
大叔父はソ連軍に抑留され、復員したのが23年だったんですって。
3年間も強制労働か・・・
しかも、その当時30歳後半じゃないかしら?
去年の暮に転んで口内を怪我して以来、外出していなかった母ですが、大叔父のことで久しぶりに電車に乗りました。
来月は女学校の同窓会があるし、少しは外出もできるようになればいいと思います。
申し上げます。105歳・・・とは。
カルメンさんも、もうお身体の方はすっかり
良くおなりになりまして? 私は相変わらずで
悪くはなっても良くはなりません(^^;)
仕方ないですね。もうあきらめの境地になりました。時々ふっと病院でのメールの事等を思い出しておりますの・・・私も歳をとりました。
大叔父様、ソ連に抑留されていらしたのですね。
凄いご苦労をなさった事と存じます。辛い抑留生活をなさったのですね。頭が下がります。
シベリア抑留中に70キロの体重が30キロ足らずまで落ちたそうです。
しかも、亡くなる直前には銃で撃たれる幻覚に怯えていたと聞きました。
車に轢かれたフラッシュバックでもつらいのに、戦争や捕虜の記憶って、どれほど過酷なんでしょう。
はなさん、お身体ツライですか?
お大事にささってくださいね。
初七日をお葬式と間違えて書いてしまいました。
どうぞお許し下さいね。
戦争と言うものは過酷なものですね。
あの当時の貴重な体験談も段々と亡くなられる方が多い為に記憶が薄れて行ってしまいます。
あの戦争でお亡くなられた方々に心よりご冥福を
お祈り申し上げます。(-人-)
きのうセレモニーホールで告別式があり、その後にお寺に移動して初七日でしたから、はなさん間違っていませんよ!
シベリア抑留は親戚で話題になり、何かそういう題材の本を読んでみたくなりました。
ソ連の捕虜の扱いってひどかったんですね。