かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

最澄と三郎と天台

2024-04-10 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2024年4月10日(水)

最澄の墓と三郎岳が急に気になって、なかなか寝付けません。そうなれば、必ず起きてパソコンを立ち上げて地理院地図とニラメッコです。

フェニックスコードで関係性を調べてみると・・。

最澄の墓と三郎岳と京都府舞鶴市に天台という地名があり、その3点は、2:1:√3の直角三角形を画きます。

そしてそこに天台寺が存在しています。

そして東北には、東北最古刹、八葉山 天台寺があって、二つの天台寺の等距離に位置する場所に鹿島神宮が存在します。

このことは偶然ではなく、導き出されたものですから、それぞれに意味が存在していることを教えてきます。先人の思いを私は汲み取らなければなりません。


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阿弖流為(悪路王)の首を手厚く葬った盥が峯山頂には小さな祠が在る

2024-03-27 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2024年3月27日(水)

3月17日(日)私は、水戸を発って常陸大宮駅からタクシーで鹿嶋太神宮へと行って、そこから遠くに見える「盥が峯」を場所を移動しながらコアロッドで金の反応を見たり、幾度となくその峯の全景をカメラに収めて帰った。

・・なんとその日、「女性二人で盥が峯の山頂に行ってきました」と、メールをもらいました。

そこには小さな祠が在りました、と写真が添付されていました。安らぎとドラマを感じる写真です。

 

昨日、天才武田さんとともに、急遽、盥が峯を含めた旅程に切り替えて、まず鹿島神宮

にお参りし、本殿は第二代秀忠さまのデザインであることに仰天し、要石をチェックして

そそくさと鹿島神社へ。本堂の表のこわーい顔のイラスト?をじっと見て、対照的な

裏手のお堂のあるすばらしい彫刻にびっくりしました。まだ色彩も残り、どこか

先ほど見た、秀忠さまデザインの鹿島神宮のきらびやかさを思わせるあたたかい作り。

鶴も掘られていて、イエスさまを感じました。

そのあと、メインの盥が峯へ。武田さんの助けなしには無理でした。まず他の方の

登山レポートを検索し、登山口を探し当て、ぎりぎりまで車で入り、そのあと

空海様のお墓にくらべるとずっと立派?な登山道を通り、グーグルマップを

極限まで使いこなし、なるべく上森ポイントに近づくという離れ業をこなした

武田さんです。私はすずしい顔でずんずん先を行く武田さんに、ただついて行くだけ。

盥(たらい)におしるし(阿弖流為さまの御首)を入れて運ばれたみなさまのあたたかい

思いを感じながら。 

 

私はメールを読んで、感動しました! 有難うございました!!

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鹿島神宮奥宮の御神体は鹿嶋太神宮を見つめ見守っている

2024-03-26 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2024年3月26日(火)

鹿島神宮奥宮の御神体は、鹿嶋太神宮を見つめ見守っている。
阿弥神社と鹿島神宮奥宮と鹿嶋太神宮は直角三角形を画き、阿弥神社と鹿嶋太神宮と下野薬師寺跡六角堂は二等辺三角形を画いている。

これらのフェニックスコードが教える意味は重大である。

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善光寺の善光は、中臣鎌足(藤原鎌足)の名前である

2022-04-15 05:44:28 | かごめかごめの真実とは

2022年4月15日(金)

乙巳の変の謎を追いかけて10年を過ぎたであろうか・・。

前触れもなく突然、蘇我入鹿(皇極天皇)に切りつけた中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)の出自がつかめなかった。

それが昨日、百済の最後の王ウィジャ(義慈王)とその息子、孝、泰、隆、演、豊(豊璋)、勇(百済王善光)の6人の王子の名を見ていて・・!

勇(百済王善光)の善光の文字が妙に気にかかった。 どこかで聞き覚えのあるよな・・・と。

私に浮かんできたのは善光寺の善光であった。それで地理院地図を開いて『善光寺』にポイントを打った。

そして私に浮かんできた名前は、なぜか「藤原鎌足」であった。 それで、鎌足公古廟から藤原直系である第50代桓武天皇が移し替えたと教えられた藤原鎌足のお墓にポイントを打って、タレスの定理で浮かび上がった駿府城にポイントを打って出来上がった図形を見ると、辺の長さが3:4:5の直角三角形『大矩になっていることが分かった。以前から私の謎の一つに、「どうして家康は、秀忠に江戸城を譲ったあとに駿府城に固執したのか」が謎だった。

その謎が一気に解けたようだった。

そしてまた、藤原鎌足(614-669)の伝記をまとめた多武峯談山神社の縁起絵巻のデジタルデータの最初に『鹿島』の文字も出てくるのですが、出自をあいまいな言い回しで書いているのもスッキリしない部分でした。それで、それから鹿島神宮にポイントを打ってみると、鹿島神宮から善光寺までと駿府城までが同距離で二等辺三角形を描くのです。偶然でしょうか・・。いえいえこれは偶然ではありませんよ。間違いなく藤原鎌足の出自は、百済の31代、最後の王、ウィジャ(義慈王)であり、その子である豊(豊璋)の弟、勇(百済王善光 くだらのこにきしぜんこう)であると教えています。

・・ということは、中大兄皇子(天智天皇)が鎌足の兄、豊(豊璋)と響いてきました。 これが真実だということのようです。中大兄皇子と鎌足は兄弟でしたね。 謎が解けました!!このことを証明する空海コードはもう書き終わっています。


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8月10日(土) 東京セミナーです!

2019-06-30 06:28:08 | かごめかごめの真実とは

2019年6月30日(日)

8月10日(土)東京元気アップショップセミナールームで、14:00~16:30です。

今から楽しみにしています。


昨日からテラファイトアンバサダーが行われていまが、やはりメッセンジャーの方々が来て居られますねぇ。

遠くは岩手県や東京などから来られてはいますが、わざわざメッセージを届けに来られたようです。

「鹿島神宮、香取神宮へは行かれましたか」と。

実は今、次の本を出版すべく構想を練り、章立てなどを終わらす日を今日と決めていましたが、出版するにあたりどうしてもその二社に行かなくてはならないようです。

不比等君が、ルーツへ行きたいと言っているようですねぇ。

 


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足利氏は知っていた! マリア様のお墓と、真理谷と言う地名の関係

2016-09-22 09:23:00 | かごめかごめの真実とは

2016年9月22日(木・秋分の日)

「千葉の木更津市に真理谷(まりあつ)と言う地名の場所があります。
 そこに真理谷城と言うお城があります。
 1400年頃に足利氏の命を受けて、武田信長と言う方が建てられたそうです。
 岡山にある、マリア様のお墓と何か関係があるのでしょうか?」

・・・

と、私がマリア様の生誕(9月20日)の日の前日に阿吽山房へと行くその前の日に、上記のような文章を、亀さんの会員交流ページに見つけました。

「これは何かあるに違いない」と国土地理院地図で調べてみると・・。

なんと!! 凄い発見です。

それで下記のように書き込みました。

 

Re:木更津に真理谷(まりやつ)と言う地名が

 

日付: 2016年09月18日 | 投稿者: 重大な発見です!

 

川辺さん重大な発見のようです。
先ず日本海側で大事なベンチマークマウンテンの宝達山と岡山のマリアの墓と、真理谷城が二等辺三角形を描きます。
そして、日本建国のカバラ図と重ね合わせると重要な一致が、鹿島神宮と王冠にあたる竪破山との関係が見事に浮かび上がり、

日本建国のカバラで大事な大事な11番目のダートに位置する足利の文字がそこには在ります。
偶然ではなく、行基・足利氏たちは、日本の本当の歴史をよ~~く知っていたとしか思えません。
素晴らしい発見です。
亀さんのブログの方に図を乗せますので確認してください。

 

 
・・・
    
 
 
 
 
 

 


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共に旅をされた東宮司さんからのお便り

2012-11-06 21:22:54 | かごめかごめの真実とは
陰陽師・東豊榮のつぶやきから占い・人生相談(四柱推命・気学・易学・神法)オフィシャルブログを一挙に公開!

2012年11月アーカイブ

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神様の写真展の会場探しがうまくいかなかったので、一様それを取りやめ、11月3・4日の旅(上森三郎さんと共に)に行く。

神はかりであった。詳しいことは、陰陽師塾で語るかもしれない。

今は、簡単に書いておこう。

3日(土)

六甲白山神社にて。

山頂に立ち、25年前に近畿地方の白山神行を行った関係で、ここ白山の一つの秘め事を教えられる。結論は、ここから、富山に行かれたことが解る。即ち、ククリヒメからキクリヒメへの移動である。こう書けば、解る人はわかるはずだ。奈良の三輪山も実は、白山であった。どちらも詳しく語る時期ではない。今は。

再度山太龍寺

ここでは、神秘体験をした。亀が指し示す方向が、伊島であるという。伊島は阿波橘湾の椿泊にあり、椿泊まりは実父の産れた場所だ。

空海上人が彫られた亀石の上で上森さんに教えて頂いた。それで、再度山の隠された意味が分かった。

その場所である女性が火の鳥を見て、写真に撮り、神託を降ろされた。火の鳥大神からである。素晴らしかった。自感法の神憑りであると後からその女性に伝えた。今は亡くなり、私と共に20年も共に神行を励んだ女性の事を思い出した。彼女も自感法の神憑りが出来た人だ。火の鳥大神にもヒエラルキーがある。そのバックにはある神様が働き、これは、現天皇家にも関係がある。

石の宝殿・生石(牡牛子)神社

物部氏の神社。隠されていた古代史の重要拠点なり。私も今まで知らなかった。凄い石の技術である。ここから、瀬戸内を統括していたのか。実父の御先祖の村上水軍・阿波水軍の前の時代だ。この神社をほっておいて、いかなる人も日本古代史は語れない。ここでも、神様の写真が写る。その意味は???

懇親会

楽しかった。上森氏の話を深夜まで聞くことが出来た。

4日(日)

天気は上々である。天の力だ。

八幡神社

素晴らしき彫刻のあるユダヤの神社だ。若し頃よりよく神社詣りをしてきたが、これほどの彫刻の、意味深い神社は始めてである。

ここでも、神様の写真が映る。オーブではない。ここで、私にとっては、重大な事を知ることになる。

重要拠点詣り。

三十八神社の磐座にも匹敵する磐座に行く。

上森さんが、その前に立ち説明をされた。向かって左側から太陽光線が差し込んできたので、私が始めにシャッターを切る。

神様の円盤が次から次からと映るので、そばにいた人に語る。5人ぐらいか、シャッターをきる。全て、神霊の坐である円盤が映った。感動した。みんなが下山しかけた時、フト思い、すぐ前の秋葉神社の祠で天津祝詞のフト祝詞を、2母音・3母音で奏上したので、時間がかかった。後ろを見ると誰もいないので下山にかかったが、道を間違えた。立脇さんの声で引き返した。何という磐座であろうか。

今は昔の物語。

35年ほど前に、京都四条河原町の北・東側にあったカメラのムツミ堂にて、4日間の神霊写真展を開催したことがある。日本で初めての神霊写真展となる。4日間で230名ほどの人が来られた。特に、鹿島神宮御手洗の池で、同友が寫した私の写真に写った幽体・霊体・神体の三重構造写真には仰天されていた。その中に、芦屋小雁さんがいた。思いで深い写真展だった。

その写真展よりも素晴らしい写真が何枚も写ったのでびっくりした。特に、上森さんを取り巻く水色の大きな光の環はすばらしい。

後から調べると、ある意味が理解できた。

生野姫宮神社・龍上山延応寺

ここでも、意味深重な体験をした。

空海上人の血統もユダヤ系であろうか。

三宮での直会(10人)

その時、それぞれが寫した不思議写真を上森さんに見て頂いた。

本物の神様の光の写真、太陽光線の反射いたずらでできた写真様々である。

詳しくは語れないが、上森さんに3回以上も言われた。

「東さん、自覚してください・・・・・・」と。

そして、私のミッションの底が見えだした。

楽しく、意味深く、また、古代日本文化の神能に触れた2日間の旅だった。

・・・

 東宮司さんが撮られた写真は、全てがレンズのいたずらではないものばかりでしたので、データをいただけるようですから非常に楽しみです。 11日の三重県でのイベントで皆さんに見ていただきたいと思っています。(うえもり)


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