2016年12月6日(火)
姫路城から東へチョット行った所に「播磨国総社 射楯兵主神社」があります。
んん~~ん、立派な神社ですよぉ、この神社は・・!
射楯兵主神社(いだてひょうずじんじゃ)で手を合わせると、キッチリとイエス・キリストの墓に向かって手を合わせるようになっています。
偶然でしょうか・・。 偶然ではないでしょう。
そしてこの神社では、兵庫県指定重要無形民俗文化財になっている「一ツ山大祭・三ツ山大祭」という祭りがあるとのことです。
一ツ山大祭は、平安中期に起きた藤原純友の乱を鎮定する為、天慶二年(939)に執り行われた「天神地祇祭」が始まりと伝えられています。・・とありますが、
藤原純友の乱と言えば・・・
藤原純友の乱
藤原純友の乱で、最後に海賊の残党が捕えられた地に備前、播磨、但馬が注目されます。
但馬の赤い斜めのライン部分が、現在の生野、神河町のあたりです。
この乱は単なる乱ではなく、何か根深いものを感じざるを得ません。
純友を支持する部族たちが捕えられた地こそ、この我が国の礎を築かれた王家の人達が親しんだ地域でしょう。
王家とそれを支えた部族は、いつの間にか「鬼」や「海賊」と呼ばれる立場に追いやられたというように私には聞こえてきます。