2012年7月29日(日) AM8:00頃には先人達が創りあげていた生命の樹の慈悲の柱でもある第七の勝利のセフィラ、ネツァクにあたる天狗堂にほど近い秘密の在処へと案内されていました。朝が早いので前日から南彦根駅の近くに泊り、ホテルまでKさんが迎えに来てくれて、その会談は実現し、それが終わってKさんが私を駅まで車で送ってくれましたが、そこは近江八幡の駅でした。
「八幡」・・、どうして近江八幡の駅なんだろう? どうして・・・! 私としては、どうしても近江八幡に何か呼ばれている気がしたので、タクシーに乗って「八幡山に神社はありますか? 八幡神社が・・」と言うと、「八幡宮があります。日牟禮(ひむれ)八幡宮と言います」と案内してもらいました。途中、近江八幡の歴史の話を聞きながらタクシーを下りてはカメラにその情景をおさめていました。それからロープウェーで八幡山に登り、琵琶湖や近江八幡の水郷と町並みを眺めて帰ってきましたが、高野山で自害した豊臣秀次の御霊やこの山からの情景を観たであろう空海様も同行しているような不思議な感覚で感傷的にも浸った旅でした。
そして、今も動かされ続けているとの実感と、 間違いなく私を呼んだ誰かと行動を共にしていたようでした。 どうしても滋賀県のその地に、その日に私が行く必要があったようでした。それは次のステージの扉を開くために・・・、どうしても・・。