2019年3月28日(木)
播磨国風土記に記された埴岡の里で、大国主命=イエス・キリストの墓に手を合わすようになっている神社は、神河町杉地区にある大年神社でした。
お寺も絶対にあるはずと思っていましたが、ありました在りました。
やっと出会いました。
神河町の南に位置する市川町に、大通寺さんが在りました。
ここのお寺でご本尊様に手を合わせると、なんと神河町南小田山頂に存在するイエス・キリストの墓に手を合わすようになっていました。
そしてここのお寺で、本堂に向かって左手に空海さまの像が立っていますが、ここで空海さまに手を合わせると、なんと!竜野市の亀山にある船形石積の磐座に手を合わせるようになっています。
もう見事!としか言いようがありません。
また、大通寺さんとイエス・キリストの墓のライン上に第四代懿徳天皇の陵墓も重なります。見事です!
そしてそして・・、神様に捧げる女神像が彫られた幻の亀ヶ壺が在りますが、この亀ヶ壺からイエス・キリストの墓までの距離と大通寺までは同距離で二等辺三角形を描きます。
もう、見事です!!
3月21日の春分の日に古代史研究家の市川慎さんに連れて行ってもらいました。
このことから隠されていた秘密の扉が開くなんて、思いもしませんでした・・、の発表は明日!