2022年6月6日(月)
博士学位論文
百済王氏の成立と動向に関する研究
A Study on the Formation and Historical Trend of Kudaranokonikishiuji
滋賀県立大学大学院
人間文化学研究科 地域文化学専攻
崔 恩永
2017年 8月
乙巳の変から壬申の乱、そして平安京遷都の深層を探るには、百済の最後の王、義慈王と百済王氏の動向を知る必要があると思い、ネットで調べると一つの研究論文が見つかりました。
今の世の中、調べ物をするには大変便利な時代ですね。
220ページの内容をやっと読み終えました。
そこには全く知らなかった世界を見ることができました。
そして、交野市の歴史を知ることも出来ました。
桓武天皇がどうして交野に10回も行幸したのかの確たる答えはありませんでしたが、先に私は答えは持っていましたから、その情景が浮かび上がるようでした。
それは、百済王氏である善光こと藤原鎌足の墓(鎌足公古廟)を交野に移し替えて大々的に鎌足の墓を造営していることが証明される日が来ることでしょう。
今、「不死鳥のあしあと」のパート2を一枚一枚矢野さんが纏めていますが、その本が出たらそこにビックリする隠された歴史の真実が飛び出すことでしょう。