⑨ フランク・チャンピオン(米人飛行家)
~⑨ フランク・チャンピオン(米人飛行家)~ | ||||||
飛行免許は、米国で86番目に取得。 | ||||||
飛行機の有効性を示すため、1917年(大正6年) | ||||||
米政府の派遣で来日、各地で飛行ショーを展開。 | ||||||
本県には、最後の飛行地として同年10月に来高。 | ||||||
朝倉練兵場を離陸した単葉機は7回宙返りなど高度 | ||||||
な飛行技術を披露、約10万人の大群集が見学する。 | ||||||
二回目の飛行中、神田の田んぼに墜落。34歳 | ||||||
翌年7年、柳原に遺骨の一部を納めた記念碑が建立。 | ||||||
79年後の平成8年、一人娘のジーン・マスキュリン | ||||||
(当時86歳)が高知新聞社の招きで、米ワシントン州 | ||||||
から念願の来高を果たした。 | ||||||
来高をきっかけに墜落地点が神田683番地と判明、 | ||||||
ここに地元有志で記念碑が建てられた。 | ||||||
参考文献
鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
改訂版高知の城下町読本
龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)
情報がてんこもり 「高知ファンクラブ」パート2 記事一覧はこちらから 高知ファンクラブへ
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