☆自然石には耳がある
昨日は私にとって、哀しい「みどりの日」でした。
お世話になった大工の棟梁さん(Dさん。享年八十三歳でした)の御弔いの日だったのです。
実は先月末、近くの病院内で偶然に御姿を拝見したのです。御顔全体が異様に浮腫んでいてらして、可笑しいなと感じました。
生粋の大工さんでしたから、高所での御仕事が多いです。
昨日、耳にしたのは高い所から落ちて頭を強く打たれた、とのことでした。
考えましたら御会いした時は、病院に診察に見えたのでした。
いつものように笑顔の絶えない柔和な表情でしたので、さほど心配をしませんでした。
ところが一昨日の町会の至急回覧板で、亡くなられたことを知り愕然としました。
故人の御意志で御宅での告別式が行われました。
五月晴れの爽やかな日でした。私は朝一番に駆けつけて焼香させて頂きました。
御宅の御門入り口から祭壇までの空間は緑の木々と花々で覆われています。
若い僧侶の心の籠った読経と、御香の芳香と、爽やかな空気に包まれた一隅に居て私は果てしない追憶に浸りました。
四十数年前の私の父親の我が家での弔いが想い起こされて感慨無量でした。
遺された奥方と二人の娘さんと二十代近い御二人の御孫さん達の心中がヒシヒシと伝わってきました。
ご遺体を乗せた黒塗りの車が御門を去る時、
「ああ~、棟梁の肉体は二度と御宅に戻られないのだ」、という現実を嫌が上にも知らされて頭を垂れ続けました。
* * * * *
お一人で地方から上京され、裸一貫で建設業に従事された棟梁の人生は、波乱に満ちたものでした。
その一端を伺った私に、忘れられない印象的な話があります。
幼くして(十代初めのことでしょう)石屋さんに奉公された時代のことです。
約七十年前、昭和一桁の時代ですから便利な運搬道具(台車とか)は皆無の時代です。
様々な自然石を移動する作業を親方から命じられた時のことです。
重い石を移動させる難儀にぶつかった時、親方は不意に少年の片耳を強く掴んで引っ張りました。
とうぜん引っ張られた方向に彼の体全体が動かざるを得ませんでした。
透かさず親方は「石にも耳がある。石の耳を探せ」と宣託したそうです。
資材置き場がある棟梁の別宅の入り口脇に、趣のある巨石が置かれていますが娘さん二人とで移動させた巨石とか。
巨石の耳を探し当てられたからなのでしょう。
石の耳の話は、私にとりまして前代未聞の摩訶不思議な話です。石を長く観察していると、見えない筈の石の耳が見えて来るのかも知れません。
「人生に於いても其のように在りたいものだ」、と私は大きな感銘を受けたのを昨日のことのように想い出しています。