カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>江戸時代の偉人を墓地に訪ねてー日本地図を完成された江戸時代の天文学者さん御二人</big>

2014-03-17 15:57:04 | 魂 (seoul)
☆昨日とうとう私の念願が叶いました



Dsc_3302_3Dsc_3300_5昨日の午後に、浅草の源空寺(げんくうじ)を訪ねました。

高橋至時先生と子弟であった伊能忠敬先生の墓参をしたいという長年の念願が、やっと叶いました。

戦争で焼失されたという源空寺ですが、今は建造物も御庭も立派です。

御本堂と庭園の上の、そこだけが天に向かって開かれているような感じの御寺です。

墓地は、道を隔てて違う地所に纏められています。

両先生の墓石は、墓地入り口用の階段を登って直ぐの左側に並んで建てられています。

周りに低木が植えられ、辺りは掃き清められてありました。

清々しい雰囲気がする一角にあり、情報誌の写真で見るより遥かに明るく静謐な風情があります。

暖かい小春日和の日だった所為か、陰鬱な感じが全くありません。

両先生の墓前に御線香と、高橋先生には加えてシキビを手向けました。

伊能先生には既に季節の花々がいっぱい供えられてありました。

「高橋先生の隣に葬られたい」と遺言された伊能氏の想いが其の辺りに漂っているような空気を、五感で感じました。

麗しい子弟関係に思いを馳せながら、刻字書体が美しい墓石前の水差しを念入りに洗い浄めました。

14年も経って、彼岸で再会された御二人の胸中やいかに......。

若くして(時に41歳)逝った20歳も年下の師の埋葬地方角に向かって事あるごとに手を合わせていた、という伊能先生のひたむきな師弟愛に私は胸を打たれます。

浅草雷門前で落ち合う予定のカエル好き同志に会う前のひとときを、歴史的な場所で過ごせた幸運を噛み締めた一日でした。





<big>笑む庭のカエルさん達よ、暫くでした</big>

2014-03-15 10:47:15 | 「カエル笑む庭」
☆気温が10℃近くなって春雨が降ると






Dsc_3263_3Dsc_3264Dsc_3268_5Dsc_3265_5Dsc_3272*            *      
暖かい雨が降り出して手狭な私庭はカエルさん達の独占場になりました。

紐状の卵嚢が既に産み落とされている睡蓮鉢にも、未練いっぱいな♂が控えていました。

諦めて水場を出る彼の背中が、何とも傷ましそう。

古い鬼瓦の下にも隠れている一匹♂がいまた。

カエルさんの姿に目ざとい私は、通り縋りに見掛けた雑司ヶ谷ちかくの酒場右前に置かれている蛙の木製品にも無関心でいられません。



<big>三年まえの私の3・11</big>

2014-03-13 15:40:00 | インポート


☆三年も経ったのに、あの時の地震の恐怖は忘れられません。

東京でも振度5弱だったとか。

過剰に揺れる乗り物や揺れる設定場所が大の苦手の私は、地震が大嫌いです。

地震を好む人は居ないでしょうが、私は度を越した臆病者でして10階以上の会合には決して参加しません。

三年前の大地震は、私が生涯のうちで経験した最大のものでした。

想像を絶する大きな横揺れに家を飛び出した私は、船酔いになりそうでした。

遠くに見える高層住宅の揺れを確認しようとしました。

が、同時に揺れているので、震動を裸眼で確認することは不可能でした。





★家の一部屋を宛てがっているネコ三匹の姿は、地震が収まったあと数時間も見当たりませんでした。

ネコの勘で、身の安全を図って物陰に隠れたと思われます。

怪我もせずホットしました。

実は、受信機変更ご私はテレビを持っていません。

ラジオからだけの報道に限られている私は、数ヶ月してテレビで観た被災地の惨状は非常に大きなものでした。

三年目に報道される傷ましい新聞記事に、今でも涙することがあります。

第一の悲惨さは失われた掛け買いのない命。次に住まい、思いでの品々、職場、そして金銭。





★日本列島は地震と津波の自然災害から逃れることは出来ません。

海岸沿いの小学校が津波対策を怠っていたこと知って、私でさえ御両親の嘆き悲しみに同情以上のものがあります。

気の毒すぎる幼い人々。同情は憤りとなって私を更に悲しませます。

自然災害を甘く見くびっていた愚かな大人たち。

犠牲になるのは決まって弱者達です。

自然を侮ってはならないのですね。


























<big>とても野性的なノラネコ兄弟</big>

2014-03-02 18:24:09 | 都会に棲む猫
☆人間を威嚇するような表情をします

Dsc_2987_2Dsc_2985_4Dsc_2990_13約1ヶ月ぐらいの知り合い野良ネコ兄弟です。

青年兄弟の一匹は尻尾が長く、もう一匹は丸まった短い尻尾をしています。

私が時たま美味しい餌を差し入れするからでしょうか、いつも興味津々な態度で対応してくれます。

満腹の時は餌に口を付けません。

ネコ族の感心することは、足ることを弁えていることです。

そして自分たちに関心を持って呉れる人間に対して、怖ず怖ずと好意的な素振りを示します。

愛情に飢えているせいでしょうか?

名前が未だないようです。

いずれにしましてもノラなので尻尾が長い方はナガノラ(体色が濃いめ)、短いほうはタンノラ(全体的に体色が薄め)かしら。

寒い時は、いつも仕方なく二匹で体を寄せ合っている仲好し兄弟です。

溶けない雪の向こうにみえるのは、葉にトゲトゲのあるカラタチのようです。











<big>生きる力</big>

2014-03-01 10:00:09 | 自然現象
☆若い時は苦悩でイッパイ、歳を取ると欲でイッパイ






「何で、あんなに苦しんだのかしら」と自分で訝しくなるほど、青春時代の一時期の生きる苦しさは大きなものでした。

寝つきも寝覚めも悪く、眠りは浅く悩みは深く、食べ物が容易に喉を通りませんでした。

高校2年生ごろには哲学書に読みふけって、自分の存在自体にさえ懐疑的になっていました。

死への誘惑にイザナワレ、死ぬ手段方法を詮索しました。

1 首吊りは?   苦しそう。結果的には舌が垂れ下がる、と聞いていましたからブザマこの上もない。
2 ガスは?    第一臭いし、周りに迷惑をかける。
3 飛び降りは?    五体メチャメチャになって醜い。
4 毒薬や睡眠薬は?  クスリは嫌い。
5 刃物は?       怖い。血を見るのはイヤ。
6 入水?       息が苦しくなるのに絶え切れないわ。


「自殺って、勇気が要ることなんだ」と気づきました。

「こんなに勇気が要ることなら、この勇気を生きるほうに使いましょう」と私は自殺することを取り止めました。

それからというもの、私の生きることへの情熱は凄まじいものでした。

ただ、おもしろおかしく生きるのではなく、賢く正しく生きるのですから大変です。

幼少の頃から私は並外れた正義漢で、よく兄弟と争ったものです。

考えますと、「よくもまあ今迄つっぱって生きて来られたものだ」と感じます。

でも、自分の力は少なくて、周りから支えられて来ました。

両親、親類縁者、兄弟姉妹、師、知人友人、地域社会の人々、などに。

自殺は良くないです。

死ぬ勇気を生きるほうに転換させましょう。

歳を取ると(50過ぎ?)欲の皮が突っ張って心が醜くなる人がいますが。

次に掲げる美しい言葉を座右の銘にしていますと、諦めもつきますし清らかな気分になれます。

東京の今日は寒く、また雪になりそうですね。






欲深き

人の心と降る雪は

積もるに連れて

道を忘るる


      


幕臣・高橋泥舟(幕末の三舟の一人)作

ー私利私欲でばかり動いていると、人の道を踏み外してしまう。まるで、雪が田畑と道を覆い隠していまうようにー





















<big>春が近い</big>

2014-02-28 06:00:12 | ネコ部屋とカエル笑む庭
☆今朝5時15分に雨に濡れた小ガエルを見付ました

暫く振りの雨♪

人間に雨は歓迎されませんが、春を待つ生物たちには恵みの雨♪

そぼ降る雨のなか、夕べは裏庭で鳴く二匹の♂ガエル達を見届けました。

今朝4時半に朝刊をポストに取りに行ったとき、植込みでジットしている小ガエルが目に入りました。

お早う、妖ちゃん!

暫く振りに友だちに出会った気分です。

そうっと掴まえられて、私の左手の掌の中に収まってくれました。

生物たちは温度に敏感。

ネコ部屋に住むネコ達は今朝は暖房具を離れた場所にいます。

ああ、春なのですね♪

大雪の御蔭で、不愉快な被害を受けたのが?のようです。




<big>願いと祈り</big>

2014-02-19 08:32:19 | 日本の美
☆願いと祈りは一生ついてまわるのですね






私の子供時代の願いは単純なものでした。

家の庭では、綺麗な花が咲くこと花に美しい蝶が来ること好きな昆虫に会えること。

家の外では、遠くへ行っても迷わずに家に帰ることができること。

学校では、絵が好きなように描けること作文が思うように書けること好きな男の子の姿が見られること、などでした。




小学6年生当時の或る日、バス停で和服姿の高齢女性を見掛けた時の衝撃は大きなものでした。

小柄でシャンとして、足袋下駄を履き大地にシッカリと立って、バスが来るのを静かに落ち着いて待っておられました。

その時の光景は今でも鮮明に私の脳裡に残っています。バス停の場所も覚えています。

初め、その婦人は私の目に異質な人間のように映りました。

そして次に、「歳を取ったら私も、あゝ成るんだ」と漠然と感じました。

その後で直ぐに、「そうだ、いつか私も歳を取ってオバアさんになる!」と気がついた時の驚きったらありませんでした。

「その時のために私がしなければならないことは?

......歳を取っても世のため人のために役立つオバアさん、世間から尊敬されるオバアさんになることだ」という啓示が閃きました。

それからというもの、私の生き方は此の時の決意が根底に在るようです。




ですけれど、意志だけで事は成就しません。

願いが大きいと自力だけでは間に合いません。

その時に役立つのは祈りなんですねぇ。

いつしか私は自分の能力の限界を知って、ひたすら祈ることにしました。

ですが、厳しい今年の寒さと同じように祈願成就も厳しいもんだ、と痛感しています。

私が酷寒の季節で祈るのは、野生生物たちの身の安全です。

カエルさん達もヤモリさん達も昆虫達も無事に冬を乗り切って欲しいと、切に願い祈るこの頃です。




















<big>気まぐれな猫たち</big>

2014-02-10 21:25:41 | 都会に棲む猫
☆我が儘で身勝手でも

我が家の「ネコ部屋」にネコ3匹が仲好く暮らしています。

飼い主(私)と同居している人間(私の親族)はネコ嫌いなので、人間の領域(家の他の部屋)には入れません。

唐紙一枚を隔ててネコの領域と人間の領域が区分されています。

ネコ部屋は4畳半の和室です。4畳半はネコでいえば7倍ぐらい広さに該当します。

此の部屋には、古い桐たんす2サオと木梯子2本、松の大株3本などが配置されています。

ネコ用の小さな電気敷布を純毛の毛布で包んだ寝床3箇所と他に色々。

外に出られない彼等ですが、南向きに腰窓・西向きに掃き出し窓と眺望完備で退屈することが無さそう。

でも飼い主の私は、彼等に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

























<big>大雪の功罪</big>

2014-02-09 13:23:46 | 東京都豊島区池袋
☆一戸建ての家にとって、積雪は厄介物です


Dsc_2969_4Dsc_2960_3Dsc_2971_4綿帽子を冠った低木や木塀には一種の興があります。

細かな雪の結晶が形作る自然景勝は見応えがあります。

ところが、積雪を目の仇にしているような女性が我が家の斜め先に住んでいます。

私にとっては、傍迷惑な存在です。

何を勘違いしているのでしょうか? 早く雪をどけろ、と自分の道路でもないのに私に指示したりします。

目を吊り上げて、汚い地方弁でまくしたてるのです。

こんな不愉快なオマケが付くようでは、雪は罪つくりとしか言い様がありません。

今回も一早く彼女は自分の店舗の前の雪を片ずけました。片付けられた雪は今は私の隣家の前にうずたかく積み上げられています。

以前は倍量の雪が我が家の木塀の前に積み上げられたのです。積雪の趣なんてなんのその。

我が家に一言の断りもなく、優雅な我が家の木塀は積雪の度に堆く積み上げられた汚れた雪で覆われていました。

思い余って区役所に訪ねましたところ、「道を半分にして、家に近い方の雪を役割分担が建前」と教えられました。

わが家は角に位置しています、道を隔てた一方の家は雪掻きなんぞ全くしていません。

私は咎めることもなく、自然に溶けるのを待って気楽なもんです。

平和が第一。目くじらたてて、自分の地所でもない道路の雪掻きを指示する権限が何処にあるのでしょうか?

了見が狭く愚かな日本女性の存在を知って落胆しています。

一種の病気としか思えません。強いて言えば「雪掻き病」とでも言いましょうか?







<big>雪国の人は偉い!</big>

2014-02-08 20:21:06 | インポート
☆私は雪国に生まれなくて良かった



Dsc_2953_4Dsc_2956_8外では、今も絶え間なく雪が降っています。

家の中に居て、gas stove(カタカナ表示より英語のほうが簡単です)なんぞ点けたりして、ヌクヌクとしている私です。

昔の雪国はどうだったのでしょうか? 大変だったことでしょう。

アカギレやシモヤケが出来たりして、さぞかし辛かったでしょうに。

現代の贅沢さは考えられなかったことでしょう。

東京で20年振りの大雪に、狼狽えている弱虫の私です。







<big>お江戸浅草今昔ものがたり</big>

2014-02-08 04:01:52 | 東京風物
☆まるで私は「お登りさん」になった気分でした


Dsc_2830sky_tree_2Dsc_2832_2Dsc_2836_7「浅草かえるアートの会」の会合が、2月2日(日)の午後2時から、浅草の文化観光センター(仲店通りの出発点にある、一見してゴミのようなbuilding )の4階で行われました。

新年会は場所を移動して、見晴らし場所と喫茶がある最上階で行われました。

最上階に着いて暫く、私は私の目を疑いました。

写真のような景色を目にしたからです。

オノボリサンもいいところ!!!

東京に生まれ、東京で育ち、今も東京に住んでいながら......。

ここを、今迄、知らなかったとは!!!



それにしましても、ここにも無味乾燥な箱型のビルが多いこと!

恐れ多い雷門を眼下に見下ろして善いものなのでしょうか?

写真を撮るのも、写真をweb-blog に載せるの、気が引けてなりません。

ビルに囲まれて窮屈そうな浅草寺と五重塔!

こんな眺望にしてしまった人間の強欲、俗悪性の固まり、美意識欠如を嘆いて余り有ります。

















<big>女性有名人と握手をしました</big>

2014-02-06 20:54:45 | 東京風物
☆デヴィ・スカルノ夫人とです

Dsc_2930_2Dsc_2933_3今日の午後、池袋駅から埼京線で二つ目、十条駅商店街にある小鳥屋さんへ行きました。スズメの餌を買いに行ったのです。

まさか、十条駅前広場で東京都知事候補者の選挙演説が行われていたのに出喰わすとは、予想になかったことです。

真面目人間そうな候補者の隣でマイクを手にしていたのは、紛れも無くデヴィ夫人でした。

演説が御上手なのに感心しました。押し付けがましくなくて好感が持てるものでした。

演説終了後に演台を降りて、商店街を歩きながらの握手交換時間になりました。

握手攻めの女性たちの間隙を縫って夫人に近着き、俗っぽく私も右手を差し出しました。

白い木綿の手袋を着用した夫人の指は、とても華奢な感じでした。

「演説が御上手ですね」と告げると、ビックリされた様子で目を大きく見開かれました。

握手をしたまま可成り長いあいだ無言でしたが、私をまじまじと見詰めておいででした。

悪い感じはされなかった、と確信しています。

賞賛の言葉を掛けられるとは予想外のことだった、と想像します。

スズメさん有り難う、今日の午後アナタ達の御蔭で絶世の美女と握手ができましたよ。







<big>石神井公園 (3)</big>

2014-02-05 23:47:05 | 美しい自然
☆水鳥は水面を泳ぎ、木は天に向かって伸びる


Dsc_2790_4Dsc_2824_4何も意図しない自然行動が様になっている水鳥たちの自然体。

いいなあ~。本当に、いいなあ~。

水鳥に魂を暫し奪われれた「ひととき」でした。

人間の、特に日本人の美意識は捨て難いなあ~。

此の建造物を作った御人は、後世の人間達の高い評価を計算に入れていたのかしら。

冬枯れ時期にも自然との係わりが、かくも美しく自然的であることを予測していたのかしら。



<big>石神井公園 (2)</big>

2014-02-04 22:45:13 | 美しい自然
☆冬枯れの野と池の水


Dsc_2778Dsc_2802萎びているけど何か妖しい雰囲気を持つ黒い実は、ヨウシュヤマゴボウという外来種です。よくブルーベリーの実と間違えられる、とか。

毒を持っていますから、口にすると大変なことになります。

根は、またまた悪いことにヤマゴボウに似ているのです。

枯野にあってもシャンとしているのは有毒植物だからでしょうか。

野の枯草色と川の水色との対比が冴えていますね。

冬枯れ時期でも捨て難い趣があるのが嬉しい広大な石神井公園です。



<big>2月1日は写真倶楽部の撮影会日でした。場所は石神井公園です。 (1)</big>

2014-02-03 21:59:51 | インポート
☆自然は美しい、水鳥も美しい





Dsc_2738_2Dsc_2741_2石神井公園は水が豊富なところです。

そのせいか、水鳥たちが仕合わせそうに泳いでいます。

幸福そうな生物を見るのは、とても嬉しいことです。

私も幸福な気分になります。

冷たい水を物ともせずに泳ぎ回る水鳥達の元気さに圧倒されました。

冬枯れの季節にも青々と茂る植物を見るのは愉しいことです。

植物からも生物からも、いっぱい元気を貰った日でした。