☆昨日とうとう私の念願が叶いました
昨日の午後に、浅草の源空寺(げんくうじ)を訪ねました。
高橋至時先生と子弟であった伊能忠敬先生の墓参をしたいという長年の念願が、やっと叶いました。
戦争で焼失されたという源空寺ですが、今は建造物も御庭も立派です。
御本堂と庭園の上の、そこだけが天に向かって開かれているような感じの御寺です。
墓地は、道を隔てて違う地所に纏められています。
両先生の墓石は、墓地入り口用の階段を登って直ぐの左側に並んで建てられています。
周りに低木が植えられ、辺りは掃き清められてありました。
清々しい雰囲気がする一角にあり、情報誌の写真で見るより遥かに明るく静謐な風情があります。
暖かい小春日和の日だった所為か、陰鬱な感じが全くありません。
両先生の墓前に御線香と、高橋先生には加えてシキビを手向けました。
伊能先生には既に季節の花々がいっぱい供えられてありました。
「高橋先生の隣に葬られたい」と遺言された伊能氏の想いが其の辺りに漂っているような空気を、五感で感じました。
麗しい子弟関係に思いを馳せながら、刻字書体が美しい墓石前の水差しを念入りに洗い浄めました。
14年も経って、彼岸で再会された御二人の胸中やいかに......。
若くして(時に41歳)逝った20歳も年下の師の埋葬地方角に向かって事あるごとに手を合わせていた、という伊能先生のひたむきな師弟愛に私は胸を打たれます。
浅草雷門前で落ち合う予定のカエル好き同志に会う前のひとときを、歴史的な場所で過ごせた幸運を噛み締めた一日でした。
昨日の午後に、浅草の源空寺(げんくうじ)を訪ねました。
高橋至時先生と子弟であった伊能忠敬先生の墓参をしたいという長年の念願が、やっと叶いました。
戦争で焼失されたという源空寺ですが、今は建造物も御庭も立派です。
御本堂と庭園の上の、そこだけが天に向かって開かれているような感じの御寺です。
墓地は、道を隔てて違う地所に纏められています。
両先生の墓石は、墓地入り口用の階段を登って直ぐの左側に並んで建てられています。
周りに低木が植えられ、辺りは掃き清められてありました。
清々しい雰囲気がする一角にあり、情報誌の写真で見るより遥かに明るく静謐な風情があります。
暖かい小春日和の日だった所為か、陰鬱な感じが全くありません。
両先生の墓前に御線香と、高橋先生には加えてシキビを手向けました。
伊能先生には既に季節の花々がいっぱい供えられてありました。
「高橋先生の隣に葬られたい」と遺言された伊能氏の想いが其の辺りに漂っているような空気を、五感で感じました。
麗しい子弟関係に思いを馳せながら、刻字書体が美しい墓石前の水差しを念入りに洗い浄めました。
14年も経って、彼岸で再会された御二人の胸中やいかに......。
若くして(時に41歳)逝った20歳も年下の師の埋葬地方角に向かって事あるごとに手を合わせていた、という伊能先生のひたむきな師弟愛に私は胸を打たれます。
浅草雷門前で落ち合う予定のカエル好き同志に会う前のひとときを、歴史的な場所で過ごせた幸運を噛み締めた一日でした。