友人の話を聞いて別れた後、ある日の夜を思い出した。
二度と繰り返したくない恐れであったり、鞭打たれる気持ちであったり…
胸が重い。
聞くより話したい。吐露したい。
こんな気持ちになったのは何年ぶりなんだろうか。
二度と繰り返したくない恐れであったり、鞭打たれる気持ちであったり…
胸が重い。
聞くより話したい。吐露したい。
こんな気持ちになったのは何年ぶりなんだろうか。
受付を済ませ入り口で渡される小冊子。多くの場合、当日パンフという名の、キャスティングや演出からのコメントなどを記したものと他劇団の公演チラシの束をもらうのだけど、まぁ、手にした時はそう思い込んでいて席について初めて気がついた、その表紙には「抹消される薬害」。過去の薬害に関するレポートだった。
講演という設定。
白衣着た医師が話し始めると客席から声を上げる黒いスーツ着た爆弾。
シロとクロで表された医師と製薬会社の対立は命と金を象徴しているようで面白かった。そんなシロクロも早々に崩れていくのだが。
2003年のSARSとウイルス製剤を問題にしながらも一人間の欲望や嫉妬を深く掘り下げ、薬害=人災を浮彫りにしたパワーゲームはとても観ごたえがあった。
講演という設定。
白衣着た医師が話し始めると客席から声を上げる黒いスーツ着た爆弾。
シロとクロで表された医師と製薬会社の対立は命と金を象徴しているようで面白かった。そんなシロクロも早々に崩れていくのだが。
2003年のSARSとウイルス製剤を問題にしながらも一人間の欲望や嫉妬を深く掘り下げ、薬害=人災を浮彫りにしたパワーゲームはとても観ごたえがあった。
「西瓜糖の日々」(リチャード・ブローティガン作)の物語と、バイト先から逃避している男の話が絡み合っていて、それはどんどん溶け合っていき、まぁなんとも特異な世界観でした。
前半は探りながら観ていて、ちょっとオチそうになってしまったけど、混沌具合がエスカレートしてくると引き込まれて楽しめた。
ここ盛り上げどこだろう、ってシーンをあからさまに強調しない感じがとても好き。
ちゃんと気持ちに残る。
「西瓜糖の日々」を読んでもう一度芝居を思い返したいと思います。
前半は探りながら観ていて、ちょっとオチそうになってしまったけど、混沌具合がエスカレートしてくると引き込まれて楽しめた。
ここ盛り上げどこだろう、ってシーンをあからさまに強調しない感じがとても好き。
ちゃんと気持ちに残る。
「西瓜糖の日々」を読んでもう一度芝居を思い返したいと思います。
今日は
吉○家牛丼解禁の日。一店舗1000食限定。半日を費やし独り並ぶ東大院生。
かの男児が生まれた時もそう、ハンカチを騒いでるのもそう。
他に報じる事はないのかあんたら。想像を垂れ流すのなら、フィクションと示せよ、一切関係ないと断われよ。
だからTVにバット振り下ろして火花散らした。
誰かのPVだ。
フィクションだ。
テレビ壊すわけにはいかない。
だってDVDが観られなくなるから。
ご飯食べる時静かになっちゃうから。
卑下する人たちを失ってしまうから。
今日は
敬老の日。珍しく電話をしたくなる日。
吉○家牛丼解禁の日。一店舗1000食限定。半日を費やし独り並ぶ東大院生。
かの男児が生まれた時もそう、ハンカチを騒いでるのもそう。
他に報じる事はないのかあんたら。想像を垂れ流すのなら、フィクションと示せよ、一切関係ないと断われよ。
だからTVにバット振り下ろして火花散らした。
誰かのPVだ。
フィクションだ。
テレビ壊すわけにはいかない。
だってDVDが観られなくなるから。
ご飯食べる時静かになっちゃうから。
卑下する人たちを失ってしまうから。
今日は
敬老の日。珍しく電話をしたくなる日。
目の前にあったのはジャズが混同した手術風景。演劇というよりはインスタレーション。
中毒性高し。
ただ、目をひん剥いている人もいれば、時折うなだれる人もいる。物語を理解していくのではなく、状況を感じるような空間だったので好みは分かれるのかも。私は(前の客の頭ジャマだなぁ)と思いつつ見入った。
それにしてもマメ山田氏の存在感は凄い!詩的なシーンに多彩な想いを感じさせてくれる。
中毒性高し。
ただ、目をひん剥いている人もいれば、時折うなだれる人もいる。物語を理解していくのではなく、状況を感じるような空間だったので好みは分かれるのかも。私は(前の客の頭ジャマだなぁ)と思いつつ見入った。
それにしてもマメ山田氏の存在感は凄い!詩的なシーンに多彩な想いを感じさせてくれる。
映画「X-MEN」の3作目であり完結編。
なんか久しぶりにハリウッド的な作品を映画館で観た。そして思ったのは、
「やっぱ映画館はいい!!」
これを観る前に「X-MENⅡ」をウチの14型テレビで観てたんだけど…なんか悲しいね。んや、もったいない。こういった作品は大きなスクリーンとしっかりした音響を備えた空間で観るべきだ。
内容はけっこう大味。とても分かりやすく葛藤や対立が描かれていてストレスを感じない。スピーディだし派手さも十分。毎度の事ながら、どうしても人権・宗教問題がオーバーラップするのはアメリカらしいなと思う。“CURE”というミュータントを人間に戻す(変える?)薬の登場でそんな問題が特に色濃く出ていた。単作で観るよりは前作、前々作を観ておいたほうがよろしいかと。続きモノなので。
最後の方はなんでもアリになっちゃうけど、きっとこういうのを望んでるんだろうな。ラストにはちょっと驚きも。最後の最後まで目は離さないほうが…。
なんか久しぶりにハリウッド的な作品を映画館で観た。そして思ったのは、
「やっぱ映画館はいい!!」
これを観る前に「X-MENⅡ」をウチの14型テレビで観てたんだけど…なんか悲しいね。んや、もったいない。こういった作品は大きなスクリーンとしっかりした音響を備えた空間で観るべきだ。
内容はけっこう大味。とても分かりやすく葛藤や対立が描かれていてストレスを感じない。スピーディだし派手さも十分。毎度の事ながら、どうしても人権・宗教問題がオーバーラップするのはアメリカらしいなと思う。“CURE”というミュータントを人間に戻す(変える?)薬の登場でそんな問題が特に色濃く出ていた。単作で観るよりは前作、前々作を観ておいたほうがよろしいかと。続きモノなので。
最後の方はなんでもアリになっちゃうけど、きっとこういうのを望んでるんだろうな。ラストにはちょっと驚きも。最後の最後まで目は離さないほうが…。
“光の魔術師”、“光の詩人”といわれるドイツの照明デザイナー、インゴ・マウラー。
想像していたより小ぶりな空間だったけど、とても興味深く見て回れた。日頃、照明で気にすることといえば、光の強弱だったり、色や角度…、舞台をよく観るせいか、そんなことが多い。だからか今回の照明器具自体をアートにしている事に強く惹かれたわけ。特に目を奪われたのが…、
裸電球に羽が生えている「ルーチェリーノ」。
光が命の輝きにも見え力強くもかわいい。それらの集合体のシャンデリアなんか、小鳥たちが一斉に飛び立ったようでお見事。今にも羽ばたきそうで幻想的だった。
食器や陶器が爆発した瞬間を形にしてしまったような「ポルカ・ミゼリア!」。
タイトルの意味は、イタリア語で驚いたり落胆したり怒ったりしたときに出る感嘆符らしいです。さしづめ日本語なら「なんじゃこりゃ!」といったとこ?光って波状的なイメージがあるけどそれを具体化しちゃってるから驚く。ちょっと盲点を突かれた感じ。
一度出て常設展も見て、再び「インゴ・マウラー展」を一周し堪能。こりゃ、確実に照明の価値観が広がったよ。
想像していたより小ぶりな空間だったけど、とても興味深く見て回れた。日頃、照明で気にすることといえば、光の強弱だったり、色や角度…、舞台をよく観るせいか、そんなことが多い。だからか今回の照明器具自体をアートにしている事に強く惹かれたわけ。特に目を奪われたのが…、
裸電球に羽が生えている「ルーチェリーノ」。
光が命の輝きにも見え力強くもかわいい。それらの集合体のシャンデリアなんか、小鳥たちが一斉に飛び立ったようでお見事。今にも羽ばたきそうで幻想的だった。
食器や陶器が爆発した瞬間を形にしてしまったような「ポルカ・ミゼリア!」。
タイトルの意味は、イタリア語で驚いたり落胆したり怒ったりしたときに出る感嘆符らしいです。さしづめ日本語なら「なんじゃこりゃ!」といったとこ?光って波状的なイメージがあるけどそれを具体化しちゃってるから驚く。ちょっと盲点を突かれた感じ。
一度出て常設展も見て、再び「インゴ・マウラー展」を一周し堪能。こりゃ、確実に照明の価値観が広がったよ。
うん、“不思議”な面白さでしたね。
どうやらこの作品は10話からなる「妖怪」と、それに関わる「おじさん」の物語がベースになっているらしい。妖怪といってもゲゲゲ的な感じではなく、もう少し歪んでいるようなノスタルジックなような。
ノスタルジックという言葉だと陳腐すぎるけど、町の移り変わりの狭間を味わいさせられる背景が良かった。
異種との共存の困難さ。その原因なんてホントに原因になり得るのかよ、とか思ったり。
ところで今回初めて見たんですが、「ISIS(自立不能舞台装置システム)」!
桃唄さんが編み出したもので、要するに役者が装置を支えるわけ、手で。
今回登場していたのもは、「電柱」や「鳥居」、「壁」や「扉」もそう。必要な場面に飛び出してきて、堂々とバッチリと役者が支えてた。上手く説明できないけど、これによって存在感、躍動感が劇的に表されていてとても面白く不思議だった。
また一つ舞台の可能性を気づかせていただきました。
どうやらこの作品は10話からなる「妖怪」と、それに関わる「おじさん」の物語がベースになっているらしい。妖怪といってもゲゲゲ的な感じではなく、もう少し歪んでいるようなノスタルジックなような。
ノスタルジックという言葉だと陳腐すぎるけど、町の移り変わりの狭間を味わいさせられる背景が良かった。
異種との共存の困難さ。その原因なんてホントに原因になり得るのかよ、とか思ったり。
ところで今回初めて見たんですが、「ISIS(自立不能舞台装置システム)」!
桃唄さんが編み出したもので、要するに役者が装置を支えるわけ、手で。
今回登場していたのもは、「電柱」や「鳥居」、「壁」や「扉」もそう。必要な場面に飛び出してきて、堂々とバッチリと役者が支えてた。上手く説明できないけど、これによって存在感、躍動感が劇的に表されていてとても面白く不思議だった。
また一つ舞台の可能性を気づかせていただきました。