こちらk-603. 海をみていると落ち着くという人がいる。
その詩人は、
海を目の前にしてじっとしていると妙に人間としての濃度が薄まってくる、という。
わかるような気がする。
山に入って谷を隔てた向こうの山のうねりを眺めていると、
いのちを奮い立たせるものを感じる。
深く緑に覆われた木々、岩肌にやどるしずかな<時>。
あしたは海にいこう。
そして
山にむかおう。
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こちらk-603. 日本語教育能力検定試験があった。
『カイ二乗検定』:
母集団から採取した標本データから観測される度数分布が理論的な分布に当てはまるかどうかを検定するもの。
『因子分析』:
多変量データから潜在的ないくつかの 共通因子 を推定する手法。
『t検定』:
2集団間に差があるかないかを統計的に調べる方法(平均値の差の検定)。
『クラスター分析』:
対象物(デー . . . 本文を読む
こちら k-603. 運命は来る。
川にいる魚をのぞいていると、頭を上流に向けている。下流に向けていたらいつかは海に流されてしまうし、餌も取れない。
枝に止まっている鳥を見上げていると、風上に頭を向けている。風下に向けていたら高く飛び上がれないし、コントロールができない。
運命も、その流れの中に飛び出ていくときは、向かい風の方がいい。追い風では自分を見失うだろうし、上昇することは難しい。
だから . . . 本文を読む
こちらk-603. 運命について思っていた。
考えていたほどではないから、思っていた。従兄弟が径管栄養をとるようになり、やせてしまった頬を見ながら、運命について思っていた。運命を自分で切り開くなどと言うが、そんなことは無いのではないかと思い始めた。運命は向こうからやってくるんじゃないかと・・・。
そう思いながら、庭の金柑の木を見て、ずいぶん枝が伸びていると思い、みかんの収穫用の鋏を持ち出して上に伸 . . . 本文を読む
こちらk-603. 硬い話 Ⅱ
先月まで私は日本語教師養成所の生徒だった。
歴とした教育産業ではあろうが、ここも硬い業界だった。
確かに教師の個性はあるかもしれない、でも専任の教師は、とにかく決められた内容を、決められた時間内に、決められた文言で教えなければならない。それは見事なものだった。どの課で何を教えるのかが全員わかっているので、その課を欠席した生徒は何が未修かがわかる。たとえば、ある講義 . . . 本文を読む
こちらk-603. スヴァーバル諸島 でのんびり暮らしませんか?
日本人なら、ビザ不要で、いつでもこの島に渡って暮らすことができるようです。
諸島全体では東西200km、南北200kmはありますから、かなり広い。
ただ、一年中凍っている土地が2/3はあるそうですから、しっかり地面の上に家は建てたほうがいいですね。でも、10月の平均気温がマイナス3℃ぐらいですからそんなに寒くないでしょう。そうそう . . . 本文を読む
こちらk-603. 今田の仙人の事を話そう。
仙人は福島県S市のJRの駅から自転車で一時間程の、今田という山あいの集落の養鶏場に住んでいた。
娘夫婦がS市に住んでいて、下りて来い、下りて来いといくら言っても、街に下りようとしなかった。鶏舎の南の端に六畳ほどの部屋をつくって、そこで寝泊りをしていた。
鶏の番と、鶏舎の掃除が仕事だった。喜寿をすぎていたが、いたって健康、空き地に野菜を作り、米だけは . . . 本文を読む
こちらk-603。 連句をご存知でしょうか?
ここに 一冊の本があります。東 明雅 著 「夏の日」、30年も前に著者からいただいた大切な一冊です。この題は 芭蕉の 「冬の日」 から とられました。
連句には 型 があります。
今はその型は横において、次の句の連なりを味わってください。
ヘアピース取れば若妻少女めき 玄一郎
滝にかかりし円光の虹 明 雅
連句は詩のオ . . . 本文を読む
こちらk-603. 人間の間引き。
ここまで書いてくると、次はどうしても人間の間引きに移行します。(今回は丁寧体)
茨城県のある博物館で、母親が生んだばかりの我が子を殺している絵を見たことがあります。江戸時代の絵です。手前に灯明、そのむこうに横たえられたあかご、その顔に濡れた布をかぶせる髪を乱した母親、その向こうの衝立に映っているのは母親の影、その影の髪の間から突き出る二本の角(ツノ)。陰惨な絵で . . . 本文を読む
こちらK-603. 一ヶ月ほど前、畑に大根や京菜(水菜)の種をまいた。
野菜を作っていていつも感じる事だが、間引きをするのがつらい。
せっかく出てきた芽をつまみ取ってしまうのは、気が引ける。
しかし、そのままにしておけば、決していい作物はできない。というより、作物にとっても、人の手によって播かれた種は、人の手によって間引かれるのを待っているように思える。
間引きではこんな経験がある。
このあたり . . . 本文を読む
こちらk-603。ベトナム戦争が終結して、ちょうど30年がたつ。
ベトナム戦争は、人が人と戦う生の戦争だった。その戦争の時を生きていながら私は何も考えなかった。30年前私は信州の片隅で、芭蕉の連句がどうのとか、バッハの無伴奏がどうだとか、児童文学の感性を磨こうとか、用の美こそ健康であるとか、そんなことを頭の中の耳の後ろあたりでこねくっていた。今でもそんな事を言っている。
あほだな。
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こちらk-603。 六百山ができた176万年前というと、猿人が地球上に登場した頃になる。
それに比べたらつい3万年前、日本列島はユーラシア大陸につながっていて、今の日本海は、日本湖とでも呼ぼうか、巨大な湖だった。しばらくして(といっても1万年から2万年たってから)、アイヌの人々の祖先や琉球の人々の祖先が日本にやって来たようだ。
そして、縄文時代になる。今から1万年ぐらい前の事だ。
1万年と簡単に書 . . . 本文を読む
こちらK-603。3000mも地面が陥没したら、どうなると思う?
およそ176万年前、一周すると40km以上になるだろうか、地面にすき間ができて、そこから1000℃以上のマグマが吹き出た。そして、あたりに1500mもの高さの噴出物の堆積を積み上げながら、地下が空っぽになったため、東西6km、南北16kmの周囲がどすんと3000mも陥没した。その時の堆積物の名残が槍ヶ岳や穂高だ。このときの火山灰は、 . . . 本文を読む
こちら、K-603。六百山は上高地にある。
六百山は、北アルプス上高地にある標高2449.9m(あと10cmぐらいおまけしてあげてほしい)の山だ。
多くの人は、明神や穂高の雄姿に見とれ、時間つぶしに梓川の右岸に渡った時初めて、「ああ、こんなところにも山があった」と思うが、記憶には留めない。
もちろん、そんなことには頓着無く、六百山はそこにいる。
江戸時代、松本藩がこの山から木を伐りだし、その数が六 . . . 本文を読む