わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

離越・帰国 ベトナム便り 123

2006年11月07日 | 日本語教師
日本語教師の仕事から離れて20日が過ぎました。
そのうちの10日間はベトナムにいました。
そのベトナムでの最後の10日間。
日本語教師としての日課がなくなって、張り詰めていたものも消え、気力が萎え、当初は虚ろな2,3日を過ごしているという状況でした。エネルギーを出し切ったというか、その時は日本へ帰るのもおっくうなくらいでした。飯を食うのも面倒で、安宿の狭い空間で街の騒音をぼんやり聞きながら、真夏の葉裏のカタツムリのようにただじっと時間を費やしていました。
区切りの関係で、あるクラス(お坊さんのいるクラス)だけ、辞めてから3日目に最後の授業をしました。学生たちは半分で切り上げる事を提案して、私への謝恩会を開いてくれました。おいしいベトナム料理でたのしい時を過ごしました。(お坊さんは一切魚や肉を食べてはならないということで、別メニューでした)。カラオケへも行きました。
それでも、わたしの体にみなぎってくるものはありませんでした。
からっぽ になった自分を感じていました。
こんな状況になるとは予想だにしませんでしたので、翌日からの予定のカンボジアへの小旅行(アンコール・ワット周辺)は、『予約してしまったので行かなければならない』という消極的なものでした。

カンボジアのシェム・リアップの空港に着き、遺跡に向かいました。
そこで、雨季の豊富な水量をたたえた堀に囲まれ広漠とした林野を従えた泰然として荘厳な石積みの寺院を、熱帯の深青の空の下に見ました。
翌朝は5時に起床し、神々しいほどの旭光を仰ぎました。
砂岩に刻まれた衒いのないおびただしいレリーフを、息を呑んで見つめました。
ほんの3日の旅でしたが、ふたたびサイゴンに戻ったとき、私はこの体の全ての細胞が新たなエネルギーを得て動き出すのを感じていました。

それは、不思議な体験でした。
カンボジアの大地は遠く、夜空は星の輝きに満ちていました。
流れる星はテナーのアリアを聞くようでした。
喧騒の中で過ごし、常に緊張を強いられていたサイゴン。
それに比べ、自然に包まれ、ゆったりと昔を息づくシェム・リアップ。
私はここで日本へ帰る準備を整えさせてもらいました。


今、日本に戻っています。
先日奥日光を訪ねました。

季節と自然の美しさを感じました。
透明な空とそれを突かんとする山や林の裸の木々。
赤や黄の木の葉は、歓煕の抱擁。
それらを写し取り、流し去る清冽な水。
私の中にある日本を感じました。

これが、1年の成果といえるものなのかもしれません。

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