依然としていつものパターンです。
辟易するほど「美感」が変わりません。
現在のパターンに往きついた、私のスタイルかも知れません。
「寡黙」が、伝えたい「詩情」=「伝えたい自分の潜在的な、説明のつかない私の思い」との考えが、頑固なまでに私の中に黙座てしまったのかも知れませんね。
そんな美感に到る経過が、背景にはある筈なのですが、どうも納得がいかないのです。
自己正当化しないで、まだまだ攻めの姿勢を持ち続けないと・・・。
昨日は、美術館講座の「モノプリント技法で作品を造る」を、お手伝いしました。
サンテレビの取材もあったりして、美術館は賑わいました。
出来上った作品や、作業の状況は、「西脇市岡之山美術館」HPをアクセスして、「美術館日記」をクリックして頂くと、素敵な作品が出てきます。
プレス機の見当紙が、これだけで美しいと思ってしまったのです。
愚息の記事が読売新聞に出ていました。 遠慮がちに掲載します。