「花」を小品で描き始めると、同じ花ばかりを書いてしまう。
とはいうものの、意外に気にも入っているのです。 単純な作業を続ける中にも、その日その日の、「線」。「色合い」。 それでも、小生の匂いは、微妙に変化して行っている。
掌庭の「タカサゴユリ」は、今年は、私有篇のお宅でも、露地でも咲き切っています。
かって「せいたかあわだちそう」が、道路沿いに咲き乱れた時期があったことを想い起します。
機構の所為なのか、時代ごとに「自然」は忠実に変化して行っているのですね。 そういえば、生活形態に関係なく、街の四囲を取り巻いている山並みも、いつの間にか、昔の印象とは、すっかり異なって終って居ますもの。
私自身がそれ以上に「変化」して終って居るのですから…。「時間」が変えていく、手に負えない自然こそ、自然なのでしょうね。
関わりを30年も持っていた「西脇市岡之山美術館」 へ出かけて見ました。 距離を持って何年か成るうちに、同じ展示の様子が、想いもしない感じに変わっていることにも気付きます。 勿論寝懐かしくも思いますし、館員たちには、優しく対応して頂いています。
時々は、立ち寄らなければいけないなとも。
何時もお願いしているシルバーさんを交えて、清掃片付けに出掛けていました。
そこへ、本当に久しぶりに「健太君」がやって来てくれたのです。 お母さんも一緒でした。
こんなにきれいになったのです。 でも、制作にまで「勢い」が生まれません。
「泰美さん無も久々。」だってもので、 かっての教室生の[健太君]歓迎、と言う感じで、 清掃もそっちのけで、
展示個所を案内したり…。 静岡大学」に進学したばかりです。 atelierが、どんな感じに映ったでしょうかね。
午後に成って、それでも少し手を入れに彩度atelierに出掛けたのです。
「ミドリさんの作品」も少し進んでいます。 インドのアンティックのベルも、窓辺で鎮座しています。 いろんなものが一杯、atelierのあちこちに置いてあって、人のいる場所すらなくなって仕舞っています。 時間とは、これだけの変化を生んでいくのですね。 午後も、Kさんが、立ち寄って激励してくれたのです。
この齢の中で、精一杯の生活が出来ていることに「感謝意外のもの」はありません。
「子供のアトリエ」では、この展覧会に出品することで、子どもたちの「心の切」を根付ける機会にしています。
ご両親ばかりではなく、、家族や、ご有事まで動員してご覧になりにおこしです。
入選、入賞は、30%ぐらいだそうです。
2-3年前からすると、少し「入選しやすく」なったことでしょうが、 作品の質は、随分安定して来たようでした。
表彰式は、殆ど、ご出席のようでも毎年、私たち指導者も、拍手を送りに出掛けます。 その中で「入選」した子供は、今年の生活の仕方が、順調であることの、 証でもあると思います。 賞状を受け取るまでの間も「そわそわ」しながら、大舞台の席で待っている間にも、いろんな表情を見せて呉れています。
何しろ、当日の主人公なのですから…。 でも、「入選率も高い、水準の高い作品ばかり」が、選りすぐられた中から応募されてきています。 「乳清」もちょっとやそっとでは出来ないものですので、「家族みんなで」大騒ぎでお油ワイをしてやって頂きますし、子どもに自信も生まれます。 そんな機会として大切にして頂きたいとは思いますが、選外に成ったからって、心配しないで下さい。
と言いますのも、大人の絵と違って、子どもの絵は、描いた日に、描きたいものを描いている訳ですが、「その時の心意気」が高まっている時には、いい作品が出来上がります。 つまり、その日の調子を反映するのです。でも、展示された絵は、どれも素敵でした。
逆に、子どもの安定した「モチベーション」が反映されているから、「誰もがチャンス」を持っているということです。
私の考えでは、「絵は個性ではなく生活だ」といつも考えています。 来年は、「やる気で、本気でね何処までも描くことに拘りながら」描いて見ましょう。