風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

神戸から来客。 神戸行き。

2012年02月29日 | アート・文化

 先だって訪れた県芸術文化協会。    理事長に挨拶だけでもと出掛けて見ましたが、来客中で出会えませんでした。  そりゃーそうでしょう、スケジュール一杯の重職ですから。

 アポイントなしでは当然出会えないでしょうね。  ついでに立ち寄った非礼を想いました。

 その理事長が神戸へ出掛けようと云う時に、突然訪ねて下さったのです。

 神戸の「横尾美術館」の、運営・展開・現況を話題に、1時間ばかり話しあいました。

 もちろん私事に亘る話題を交えながら。

神戸へ出掛けようと、知友が遣って来ましたので、行き違いに神戸下山手のgalleryへ出掛けました。

 教室で制作を続けている神戸のMさんの作品を、ぜひ見てみたいと出掛けたのです。

 彼女は元気に会場を切りまわしています。  何10点もの作品がいろんなパターンで語りかけてきます。 「迷っている」とは言いながら、ごく初期の作品を除いて、使い慣れた油絵の具が馴染んでいて、静かに、しかも思いのほか「進化」していることに気付くのです。

     時間をかけて現地を踏む。  自分の身体を運ぶことから始まる「意を尽くす」ことの大切さは、日本人の信条なのだなと思ったのです。    事の大小に関係なく・・。

   今日もエスキースのみの掲載です。

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      移動ばかりに時間を費やした1日。  焦点を合わさないとと、自分を叱咤しています。  


積み上げて行く話は楽しいですよね。

2012年02月28日 | アート・文化

一人で進める作業が多いのに、いつも誰かと一緒というのが好きなのは何故でしょうね。

昨日も積雪こそなかったものの、雪がちらつくatelierで、「テラドーム」の次回企画展のposterをデザインしていました。

 隣町の図書館長と、地方紙のリポーターが、ふらりやって来て戴きました。

 珍しい建物なのでしょう。気が付いて見ますと、屋根裏へ妙齢の館長が備え付けの梯子を使って登っています。Dsc_0010   滅多に上ることのない場所から声が聞こえます。

    幼児の頃の気持ちが蘇ったのです。

   リポーターもそれに気づいてシャッターを切っていました。

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             俯瞰の位置から見たatelierは、幼児期のような「心の冒険」には打って付けの小景を造るのでしょうね。

             そのあとは、つい、いつものも「饒舌」が出てしまって、脈絡もなく語り合ったのです。   街中までの数㎞を執って返して、軽いランチの後、私はatelierへ戻りました。

         「poster」の構想だけが固まりました。  いつものようにコラージュとしてのラフな割り付けょして、色指定だけがまだ、と言うところへ、古くから頼りにしているN君が2人で仕事のついでにと立ち寄って呉れました。   懐かしいと云うよりも、何か同じ思いを持っている旧友に出会った想いで話し込んでしまったのです。

       イーゼルで、黙々と描き続けているとSちゃんも、個展が近づいていると筆を進めています。  SMが1点出来上がったようです。

  私も帰宅の後、何枚かエスキースを・・。

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     子供の落書きのように、一気に何枚か描き続けました。


クロッキーブックのエスキース3点。

2012年02月27日 | アート・文化

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   依然としていつものパターンです。

   辟易するほど「美感」が変わりません。

   現在のパターンに往きついた、私のスタイルかも知れません。

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   「寡黙」が、伝えたい「詩情」=「伝えたい自分の潜在的な、説明のつかない私の思い」との考えが、頑固なまでに私の中に黙座てしまったのかも知れませんね。

       そんな美感に到る経過が、背景にはある筈なのですが、どうも納得がいかないのです。

   自己正当化しないで、まだまだ攻めの姿勢を持ち続けないと・・・。

  昨日は、美術館講座の「モノプリント技法で作品を造る」を、お手伝いしました。

  サンテレビの取材もあったりして、美術館は賑わいました。

Dsc_0009    出来上った作品や、作業の状況は、「西脇市岡之山美術館」HPをアクセスして、「美術館日記」をクリックして頂くと、素敵な作品が出てきます。

     プレス機の見当紙が、これだけで美しいと思ってしまったのです。Dsc_0008                        

    愚息の記事が読売新聞に出ていました。  遠慮がちに掲載します。

    何人かから問い合わせを戴きましたが、私は気付かないでいました。Dsc_0007


この単純な形と無機的な文字。

2012年02月26日 | アート・文化

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  かって、「単調なリズム」「没個性」などをテーマに描き続けた頃を想い起します。

  有機的な形を極力排除して、直線やごくノーマルな曲線の一部だけを使った「退屈な」形だけで構成した画面が、自分の気付かない潜在的な想いを教えてくれる、と思ったのでした。

  平行に、単調に並べた長方形を、止め処なく描き続けると、それでも表情だけでなく、静かで清楚な、しかも強固な姿勢が静かに醸し出された思い出があります。

  当然絵は「説明」するものではありませんが、「感じること」が出来る主張が、「伝わらなければ」とも同時に想うのです。

  この作品を「これで筆を止めよう」と思ったときに、同じような思いを強くしたのです。

  30年ぐらい前の自作を思い浮かべました。  

  エスキースを2点。

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        20号もエスキースも今出来上がったばかりの作品です。


20号がようやく出来ました。

2012年02月25日 | アート・文化

Dsc_0016_2   重ね描きしてきた画面を、消したり描き起したり。

  日常として筆を持って来た毎日。

   もう、テーマを定めて描く必要?もなくなったような、ごく普通の日常の作業になっています。

   潜在的な思考も含めて、「自然」に、表現として残るもの。  それが「作品」なのかも知れませんね。

       描き込んで来たものを消しとっているうちに残ったパターン。

   納得して消しきれなかったものだけが残ったのでしょうか。

       心持秩序だったアクセントでも・・、というところで筆を止めたのです。

   「2012年の寓話」の1点です。

 エスキースも沢山できました。 何点かアップして見ます。

      エスキースも、1点ごとに完結した作品と言うことになりそうです。

      どこかに埋め込まれてしまうような・・。

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