醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   77号   聖海

2015-01-31 10:15:47 | 随筆・小説

   寄り道した芭蕉  「閑さや岩にしみ入蝉の声」   文学とは

華女 尾花沢から日本海に出るには大石田に出て最上川を下ればいいいわけよね。
句郎 そうだね。尾花沢から最上川の船着き場、大石田は近いよね。
華女 尾花沢から山寺までは歩くと一日くらいかかるわよ。
句郎 「尾花沢よりとって返し、其の間七里ばかり也」と「おくのほそ道」に書いている。曾良旅日記によれば今の暦の七月十九日、午前八時四十分ごろ尾花沢を出発し、午後三時二十分ごろ山寺に着いている。天気は良かったみたいだ。芭蕉は馬に乗っている。
華女 「「とって返し」ということは戻ったということなのかしら。
句郎 芭蕉にとっては同じ道を「とって返し」て戻ったということではなかったが、気持ち的には戻るような気分になったということではないかと思う。大石田に出る道とは反対の道に歩を進めることになったのだからね。
華女 日本海にでる方向ではなく、山の中に入り込んで行ったということかしら。
句郎 そうだと思う。山寺は山の中にあったんだ。
華女 山寺は行脚の予定に入っていたのかしら。
句郎 山寺はもともと予定には入っていなかったのではないかと思う。
華女 どうしてそんなことが分かるの。
句郎 「おくのほそ道」に「一見すべきよし、人々のすゝむるに依りて」とあるから尾花沢の清風さん初め、俳席を同じくした人々に一見する価値あるところですよと勧められて芭蕉は山寺に行った。
華女 山寺は歌枕ではなかったの。
句郎 旅の予定に入っていなかったことを思うと芭蕉としては古人を偲ぶ場所としては思っていなかったのではないかと思う。
華女 皮肉なものね。歌枕とはいえないところに芭蕉の有名な句があるなんて。
句郎 そうだよね。「閑さや岩にしみ入蝉の声」はまさに文学だよね。
華女 「閑さや岩にしみ入蝉の声」。この句が文学、文学とは何なの。
句郎 金子兜太は中学生の頃、この句を読み、ダメだと思ったと言っているのを聞いた。理由は岩に蝉の声がしみいることはないと思ったからだと説明していた。
華女 そりゃ、そうね。岩には絶対に蝉の声がしみ込むはずがないわ。
句郎 「岩にしみ入蝉の声」は嘘だよね。現実にはあり得ない話だ。しかし主観的には蝉の声は岩に染み入るんだと思う。心の中に想像する岩には蝉の声は染み入るよ。「岩にしみ入蝉の声」とは心の世界のことを表現しているんだ。心の世界をリアルに表現したものを文学というんだと思う。
華女 この句は心の世界の何が表現されたというの。
句郎 「閑(しずか)さや」と読者に語りかけているでしょ。「しずかさ」というものをリアルに表現しているということじゃないかと思う。
華女 山寺の森の中は蝉の声がうるさいわけよね。実際は。しかしその蝉の声が岩に沁み込んでしまうから静かになるっていうことなんでしょ。
句郎 現実にはあり得ないことを言って、現実の真実、それは静かだということ。山寺の森の中の静かさが表現それている。ここが文学になっているということなんじゃないかと思う。
華女 表現された句を読むと現実の世界がより深く新しい世界のように思うわ。