田一枚植えて立去る柳かな 芭蕉
句郎 芭蕉と曾良は殺生石を見物した後、遊行柳を見に行く。
華女 「殺生石」が史跡になって行ったのは分かるわ。人や虫、蝶がその石に近寄ると
死ぬことがあった。その石には霊が宿っているという噂が広まり、物語ができた。
その物語によって殺生石は史跡になったのよね。「遊行柳」といってもどこにでも
ある普通の柳なんでしょ。その柳の木が「遊行柳」といわれる名所になったのは
なぜなのかしら。
句郎 それは何と言っても芭蕉がその柳の木陰で句を詠んだからだと思う。
華女 「田一枚植えて立去る柳かな」。この句のことを言っているの。
句郎 そうだ。ここで詠まれている柳が遊行柳といわれているものだ。
華女 どうして、遊行柳になったのかしら。
句郎 「田一枚 」の句の前に「清水ながるゝの柳」は、蘆野(あしの)の里にありて、
田の畔(くろ)に残る」という文がある。「清水ながるゝの柳」とは西行の歌のこと
を意味しているんだ。
華女 どんな歌なの。
句郎 「道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」。新古今集にある西
行の歌なんだ。
華女 西行が柳の木陰で一休みしたというだけでその柳が名所になったの。
句郎 西行は12世紀に生きた人ではあるが、西行の歌はずっと伝えられてきていた。
芭蕉が生きた元禄時代も現代にあっても有名な歌人なんだ。諸国遊行の僧、
西行が一休みした柳の木陰が謡の作者・観世小次郎信光の想像を刺激した。
ここに謡「遊行柳」が生まれた。この謡が上演されるようになるといつしか西行
が一休みした柳は遊行柳と云われるようになった。
華女 西行が歌を詠んだ柳の木陰が観世小次郎信光の謡となった。芭蕉が陸奥(み
ちのく)の旅の途中、芦野の柳の木陰で西行を偲び、句を詠む。その句が「おく
のほそ道」にある。何でもない場所がこうして史跡になっていくのね。
句郎 人の歴史が刻まれた場所が名所とか、史跡と云われる場所なんだろうね。さら
にこれからその場所が多くの人の歴史が刻みこまれていく場所が名所や史跡と
して人々に膾炙されていくのだろう。
華女 「田一枚植えて立去る柳かな」。この句は歴史を背負っているのね。ここで「田一
枚植えて立去る」のは誰なのかしらね。
句郎 農民が田を一枚植えて立去ったのを見た柳の木陰だと、いうのが自然だと句郎
は思っているんだけれどね。
華女 農民が田を一枚植えるのを見て、芭蕉は柳の木陰を立ち去ったのかなと思ったわ。
句郎 いろいろな解釈があるようだよ。早乙女が田を一枚植えるのを見たんだということ
を言う芭蕉学者もいるようだよ。
華女 早乙女とした方が情緒があるように感じるわ。
句郎 そうかもしれないね。でもこの句には何も書いていないからね。勝手な解釈かもし
れないな。
華女 それにしても、田を一枚植えるのは容易なことじゃないと思うわ。今と違って機械
で植えるわけじゃないでしよ。
句郎 そうだよね。かなりの時間、うっとりと疲れた体を休めるために転寝(うたたね)をし
ていたのかもしれないな。
華女 私もそんなように思うわ。