醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  309号  白井一道

2017-01-31 12:36:41 | 随筆・小説

 アメリカの中国観

侘輔 中国の政治情勢を世界中で一番研究しているところと言えば、どこだと思う。
呑助 ロシアとか、東南アジアの国々じゃないのかな。
侘助 どうして?
呑助 ロシアは中国と国境紛争をしていたし、東南アジアの国々は南シナ海の島々の領有権をめぐって対立があるんじゃないのかな。だからね。
侘助 確かに紛争はあったけれども、ロシアとの国境紛争は解決しているらしいよ。それから南シナ海の島々をめぐっては、フィリピンのドゥテルテ大統領が中国と交渉し、二国間で話し合いによる解決の道を探るという点で合意しているみたいだよ。だから、中国の台頭が脅威だと感じている国というと、それはアメリカのようなんだ。
呑助 あっ、そうか。アメリカですね。米ソ冷戦にアメリカは勝利し、世界に君臨する超大国として振る舞っているわけですからね。中国の台頭をアメリカは快く思っていないわけですよね。
侘助 きっと、そうだと思うよ。だからアメリカの国防総省は毎年、議会に「中国の脅威」中国の軍事力に関する「年次報告書」を提出しているようだ。この報告書は世界のどの国の研究書より、精度が高く、どのような批判にも耐えうる分析だと孫崎享さんは著書『21世紀の戦争と平和』の中で述べている。
呑助 高校生が読んでもよく分かる本だと聞きましたよ。
侘助 そう、本当にそうだよ。小説家の井上ひさしの座右の銘は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめにかく」であったという。まさに井上ひさしさんが目指したような本だよ。
呑助 アメリカ国防省は中国のことを何といっているんですか。
侘助 中国共産党を体制として存続させ、永久化すること。ここに中国指導者の根幹がある。戦略の選択はこの根幹に導かれているとね。
呑助 中国共産党独裁体制を存続させることだいうことですか。
侘助 そのようだ。そのためには経済的成果を出し、国民生活を向上させること。国民生活を豊かに安定させることが中国共産党の支配体制を安定させると考えている。このようにアメリカ国防省は中国の政治情勢を分析している。
呑助 それはどこの国にあっても同じゃないですかね。生活が貧しくなり、いつ生活が行き詰まるのかを心配するような政府を支持する国民はいないんじゃないですかね。
侘助 例えば、朝鮮民主主義人民共和国のような国にあっては、いつまで待っても貧しく、辛い日常生活であっても政府を支持する国民がいる国もあるからねー。
呑助 まったく閉鎖的な国でなければ実現しないんじゃないかと思いますよ。
侘助 そうなのかもしれない。だから冷戦時代のアメリカの対日政策は自民党一党独裁体制を維持することだった。そのためには日本国民の生活向上、生活の安定を図ることによって、自民党支持態勢をつくったんじゃないのかなと思うんだけどね。
呑助 そこに結論がいくわけですか。

醸楽庵だより  308号  白井一道

2017-01-30 11:08:40 | 随筆・小説

 山形の酒「秀鳳」を楽しむ

侘輔 今日のお酒はお馴染みの「秀鳳」ですよ。
呑助 山形のお酒でしたっけ。
侘助 そうそう、山形の名酒の一つであることは間違いないと思う。
呑助 今まで何回も「秀鳳」さんのお酒は飲んできましたよね。
侘助 やわらかで味に厚みがあって、口に含んだ時のふくらみが豊かなお酒なのかな。
呑助 これが山形のお酒なんですかね。
侘助 山形には美味しいお酒がたくさんあるからね。
呑助 「十四代」も山形でしたっけ。
侘助 山形県村山市にある高木酒造のお酒かな。
呑助 「十四代」は一番人気のお酒なんじゃないですか。
侘助 そうかもしれないな。マスコミに載ったからね。もともとは「朝日鷹」という銘柄で出荷していたお酒なんだ。売れ行きが低迷していた時に十四代目の跡継ぎが醸した酒が「十四代」だった。このメーミングがヒットしたんだ。
呑助 銘柄のマスコミ受けが良かったんですかね。
侘助 お酒はイメージ商品ですからね。
呑助 味もイメージに左右されるんですかね。
侘助 そうなんじゃないかな。山形というと茨城と同じでなんとなくダサイイメージがあったから、この山形というイメージを払拭したのが、「十四代」のお酒だったのかもしれない。
呑助 新潟の酒というと美味しそうなイメージが確かにありますね。
侘助 そうだよね。今や、山形の酒は美味しい酒というイメージがあるよ。
呑助 「秀鳳」さんのお酒には美味しいというイメージがありますね。
侘助 今日、楽しむ酒は酒販店限定出荷のお酒なんだ。今年の新酒、酒造米「出羽燦々(でわさんさん)100%で醸したお酒、一升瓶で7000本造ったお酒、精米歩合、33%。販売価格が三千三百三十三円。燦々(さんさん)にこだわった酒らしいよ。
呑助 へぇー、面白いことにこだわった酒なんですね。
侘助 「出羽燦々」という酒造米は山形県農業試験場が十一年間かけてついに作り出した酒造好適米のようだ。この米は山田錦などと比べるとやや小ぶりで柔らかいので精米が特に難しい。
呑助 ゆっくり時間をかけて精米するということですか。
侘助 美味しいお酒を造るには時間がかかる。手間がかかる。精米や洗米などの原料処理が一番大切な工程だと聞いているよ。
呑助 飯米は米を研ぐと言いますよね。酒造りの場合は洗うんですか。
侘助 洗うようだよ。木綿の布地にお米を入れて二人して洗うようだ。山形の冷たい水に手を入れて洗うようだよ。本当に冷たい。真冬の米洗いだからね。吟醸酒用の米を洗う場合、米を洗う時間、浸漬する時間をストップウォッチで計っているようだからね。
呑助 どうしてそんなにまでしてやるんですかね。
侘助 浸漬というのは米に水を吸わせる工程なんだ。米の吸水率が多いか、少ないかでお酒の出来具合が違うようだ。
呑助 酒造りは大変なんですね。
侘助 「出羽燦々」という米は難しいらしい。

醸楽庵だより  307号  白井一道

2017-01-29 14:06:33 | 随筆・小説

 野火新年句会の特選句

華女 野火句会の新年会は楽しかった?
侘助 うん、主宰者の孝夫さんは「行きも帰りも羽子板市の中通る」という句を特選に選んだ。
華女 何でもないただ事のような句ね。
句郎 一見するとそんな感じを受けるよね。でもそうじゃないようなんだ。
華女 年の瀬の羽子板市が表現されているのかしらね。
句郎 そうなんだ。「行きずりの人とも会話初参り」という句を詠んだ人がいた。この句は報告になっている。句になっていないというような説明をしていた。この説明に納得したな。
華女 そういうことなのね。
句郎 羽子板市が行われる近所に住む住人が用足しに「行きも帰りも羽子板市の中を通」って帰ってきた。その羽子板市では羽子板の人形を眺めて通ったに違いない。賑わいや知り合いに出会い、挨拶をかわしたかもしれない。そのようなことがすべて省略されている。ただ事実だけを述べ、羽子板市を表現した。だから俳句になっていると孝夫さんは主張していたのだと思ったんだ。
華女 どうしても余計なものを言いたくなってしまうのよね。
句郎 「行きずりの人とも会話」。これは確かに報告というか、説明になってしまっているのかな。説明では俳句にならないということのようだ。
華女 説明でなく表現をしなくちゃ俳句にはならないのね。
句郎 そうなんだろうな。NHK俳句を見ていたら、俳人の正木ゆう子さんが「すなどりの孤舟の上に寒昴」という投稿俳句を「すなどりの孤舟の上の寒昴」と添削していた。「に」という助詞は使い方によって説明的になってしまうという話をした上で「上に」を「上の」に添削した。
華女 何となく「上に」の方が分かりやすいかなと思ちゃうのよね。言われると確かに、「上に」だと説明のようにも思うわね。
句郎 そうでしょ。「雲雀より空にやすらふ峠哉」という芭蕉の句があるんだ。この句は「雲雀より上にやすらふ峠哉」という句を推敲した結果、「雲雀より空にやすらふ峠哉」としたと言われている。
華女 「上に」を「空に」にと推敲したのね。
句郎 そうなんだ。どうして芭蕉は「上に」を「空に」にと推敲したんだろうか。
華女 「雲雀より上にやすらふ峠哉」の方が分かりやすいようにも思うわ。
句郎 「上に」だと説明になってしまうなと芭蕉は気づいて「空に」にしたんじゃないかと思うんだけれどね。
華女 「上」だと説明になって「空」だと表現になるということなのね。
句郎 そうなんじゃないの。空高く舞い上がり鳴く雲雀より高い空に一服している。これは表現なんじゃないのかな。
華女 そうね。「上」じゃ、やはり説明ね。「空」でこそ表現ね。
句郎 説明と表現。同じようでも違っている。そこに気づくことが俳句を詠むという営みなのかもね。
華女 うっかりしているとすぐ説明になっちゃいそうだもの。
句郎 そうなんだ。表現してこそ、感動とか、余韻とかが響いて、隣の人にも伝わるということなのかもしれない。
 

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2017-01-28 10:50:02 | 随筆・小説

 句集『蜻蛉の空』を読む 

句郎 先月、野火の主宰者、孝夫さんから頂いた神戸みち子さんの句集『蜻蛉の空』を華女さん、読んだ?
華女 もちろん、読んだわよ。句郎君はどうだった
侘助 最後に載っていた「八十年生きて爽やか庭を掃く」を読み、突然、涙が出てきてビックリしちゃった。
華女 へぇー、句郎君は感激家なのねぇー。
句郎 そうなのかもなぁー。平凡に生きて平凡に死んでいく。これが普通の人なんだろうなぁーと思ったら、涙が出てきたのかな、と思ったんだけどね。
華女 句集の題にもなったのかしら。「雨やみて蜻蛉の空となりにけり」。静かな句ね、この句は。
侘助 そうだね。確かに静かな句だね。読者の気持ちを静かにする句は。良い句なんじゃないかな。
華女 名画の前に立つと心が静まると映画「泥の川」の監督、小栗康平が言っていたわよ。
句郎 最近、映画「フジタ」を撮った監督かな。
華女 そうよ。藤田嗣二の伝記ドラマの監督よ。彼が嗣二の絵の前に立つと静かさがあると言っているのよ。
句郎 そんな気もするな。「閑かや岩にしみ入蝉の声」。芭蕉の有名な句にも確かに静かさがあるように感じるね。
華女「八十年生きて」のみち子さんの句にも静かさがあるように感じるわ。
句郎 「静かさ」とは、何なのかな。
華女 小栗監督は藤田の絵の前に立った時の「静かさ」を表現したかったと言っていたわ。
句郎 「古池や蛙飛込む水の音」。この有名な芭蕉の句にも静かさが表現されているよね。
華女 十七文字で静かさを表現する文芸が俳句なのかもしれないわよ。
句郎 そうなのかもしれないな。「山路来て何やらゆかし菫草」。この芭蕉の句にも静かさがあるねぇー。
華女 俳句は芭蕉に始まるんでしょ。
句郎 芭蕉がうるさい俳諧を静かな俳句に作り替えたのかもしれないなぁー。
華女 うるさい俳諧とは何なの。
句郎 芭蕉十九歳の時の句に二十九日立春なればと前書きし「春やこし年は行けん小晦日(こつごもり)」という句を詠んでいる。寛文二年1662は十二月二九日が立春だった。江戸時代は旧暦だったからね。この句にはどこにも静かさはない。ただ面白味のようなものを狙っただけの句のようだ。このような句は名句とは大きく隔たった句なんじゃないのかな。
華女 みち子さんの句に静かさが表現されているということは立派な俳句になっているということなんじゃないのかしら。
句郎 そうだと思うけど。「終戦日夢に見る兄茶碗酒」。この句にも静かさがあるよね。
華女 そうね。年老いて静かにお兄さんを偲ぶ気持ちが表現されていると思うわ。
句郎 俳句は笑いだけれども、その底に静かさがなければただうるさいだけの句になってしまうのかなぁー。
華女 理屈や説明は、ただうるさいだけなのね。静かさを表現するのね。それが難しいのよね。
句郎 そうなんだろうね。静かさが表現できない。修行が必要なんでしようね。少しでもみち子さんのような句を詠めるよう修行、少し辛いけどね。

醸楽庵だより  305号  白井一道

2017-01-27 12:47:22 | 随筆・小説

 起あがる菊ほのか也水のあと  芭蕉44歳

句郎 「起あがる菊ほのか也水のあと」。芭蕉、四十四歳、深川芭蕉庵で詠んだ句のようだ。
華女 「水のあと」とは、何なのかしら。
句郎 深川と言えば江東の零メートル地帯にある所だから、秋、台風が来ると大水になり、床下浸水は始終あったんじゃないかな。
華女 三百年前から深川は低地だったのね。
句郎 当時の深川では井戸を掘ることができなかったみたいだよ。
華女 じゃー、飲み水はどうしていたのかしら。
句郎 買い水をして甕にいれていたようだ。
華女 生活は大変だったでしょうね。
句郎 だからほとんど人の住まない所だったんじゃないかな。
華女 へぇー、じゃーどうして芭蕉はそんな辺鄙なところに住んだのかしら。
句郎 、伊賀上野に生まれ育った芭蕉は紹介を受けた人を頼って江戸は日本橋小田原町の長屋に住んだ。そこで俳諧師の宗匠として立机した。その同じ町に住み、「鯉屋」の屋号で幕府御用の魚問屋を営み豊かな経済力を持つ杉山杉風氏の後援を芭蕉は得ることができた。その杉風さんの生け簀のあったところが深川だった。生け簀の番小屋が芭蕉庵だったんじゃないかと思うんだ。
華女 収入の乏しい芭蕉に住まいを杉風さんは提供してくれたのね。
句郎 杉風さんは芭蕉より三歳年下、俳諧宗匠としての芭蕉を尊敬していた。杉風さんは生涯芭蕉に経済援助をしたようだ。
華女 人の情けにすがって芭蕉は生きた人だったのね。俳諧はなにも生産的な経済活動をするものじゃないからね。一種の遊びだからね。
句郎 買い水しなければ生活ができないようなところに住み、その住まいに充足していた。その充足感を表現している句が「起あがる菊ほのか也水のあと」だと思うんだ。
華女 三百年前の句だと思えないような平易な句ね。
句郎 強い言葉が一つもないにもかかわらず菊の生命力のようなものが表現されているよね。
華女 菊は水びたしになっても、水が引けば、背筋を伸ばすのね。
句郎 きっと家の中まで水が入り込み、ゴミが一面に散乱した状況を見て、やれやれという気持ちになっていた時に、庭先で菊の花が頭をもたげ始めていた。この菊を見て、元気づけられたのじゃないかと思うんだ。野に生きる花のなんと健気なことかとじっと芭蕉は菊をながめていたのじゃないかなぁー。
華女 私もそんな気がするわ。
句郎 「起きあがる菊ほのかなり水のあと」。この句も名句の一つだとおもうんだけどね。どうかな。
華女 私もそう思うわ。ちっとも古びていないものね。
句郎 永遠に新しいよ。松浦寿輝という作家がこの句を芭蕉百句の一つしてあげていた。
華女 そうなの。やはり名句なんでしようね。どこがいいと言っていたの。
句郎 残念ながら忘れちゃったんだ。「ほのかなり」という言葉に説得性があるというなんじゃないかと思っているんだけどね。少し、ちょっと、「ほのかなり」とはこんな意味だよね。この「ほのかなり」という言葉に力がある。

醸楽庵だより  304号  白井一道

2017-01-26 11:06:39 | 随筆・小説

 ごを焚いて手拭あぶる寒さかな

句郎 「ごを焚いて手拭あぶる寒さ哉」。芭蕉四十四歳の時のもの。とてもいい句だと思うんだ。
華女 そうね。「ご」とは何なの。
句郎 枯松葉のことを三河地方では「ご」と言うそうだ。尾張・伊勢・三河・美濃地方では朝、出がけに枯松葉を焚いて温まり出かけていく習慣があったそうなんだ。
華女 まぁー、一種の朝焚火ね。昔よく大工さんたちが仕事前、木くずを燃やし、仕事の打ち合わせをしている風景を見たことがあるわ。
句郎 芭蕉は三河保美に蟄居させられていた杜国を訪ねる途中で詠んだ句が「ごを焚いて手拭あぶる寒さ哉」という句のようだ。
華女 枯松葉はパチパチと燃え、すぐ消えてしまうのよね。昔、竈の焚きつけに枯松葉を燃やしたことがあったわ。
句郎 枯松葉の燃える匂いが楽しかった。
華女 竈の前の冬の匂いね。竈の番は暖かで楽しかった思い出があるわ。
句郎 冬の風呂焚きも暖かで良かったかな。
華女 何となく、昔の生活は、今思うと厳しかったように思うけれど、なにか生活に情緒のようなものがあったようにも思うわ。
句郎 そうだよね。そうした生活の情緒のようなものがあったからこそ、「ごを焚いて手拭あぶる寒さ哉」のような句が生まれたのかもしれないなぁー。
華女 芭蕉はそうした庶民の日常生活の機微を詠んでいるのね。
句郎 庶民の生活の中にあるちょっとした喜びや悲しみを詠み、その世界が中世以来の風雅なものに劣らないことを見出したんじゃないかと思うんだ。
華女 確かに庶民の生活の中には下品なものが満ちているかもしれないけれどその中に上品なものを芭蕉さんは発見したのね。
句郎 まさにその通りなんだと思う。庶民の日常生活の中にある真実を詠んでいると俳諧というものが連歌に匹敵する風雅なものになっていることに芭蕉は気づいたんじゃないかと思うんだ。
華女 庶民の生活の真実を詠んだ結果が俳諧の風雅になったということなの。
句郎 「ごを焚いて手拭あぶる寒さ哉」。この句はとても上品な句だと思う。芭蕉は初め「ごを焚いて手拭あぶる氷哉」と詠んだようだ。きっと手拭が氷っていたんじゃないかと思うんだ。氷った手拭を炙り、乾かした。手拭が乾いた出かけようということになった。
華女 なるほどね。
句郎 「ごを焚いて手拭あぶる氷哉」では、伝わりづらいかなと思って、「氷」を「寒さ」に変えたのではないかと思う。
華女 私もそう思うわ。
句郎 芭蕉は凄いと思う。今から三百年も前に今でも十二分に通じる平凡な言葉で句を詠んでいる。これって、凄くない。
華女 ちっとも古びていないものね。
句郎 永遠に新しい。これから三百年たっても芭蕉の句は新しさにみちているのかもしれないな。
華女 きっと、名句というのは、そうなんじゃないのかしら。
句郎 枯松葉はブォッと燃えてすぐ消えてしまうから寒さが身に凍みいるのかもしれないなぁー。暖まった手拭を首に巻き、早足で歩きだしたんじゃないかな。きっとそうだ。

醸楽庵だより  303号  白井一道

2017-01-25 11:14:10 | 随筆・小説

 博打の自由はあるのかーカジノ解禁について

侘輔 いよいよカジノが解禁されることになったね。
呑助 どこにカジノができるんですかね。方々で誘致しようとしている自治体があるそうじゃないですか。
侘助 地方都市は難しいんじゃないのかな。
呑助 それはどうしてですか。
侘助 東アジア近辺の大金持ちは飛行機でやって来るんじゃないの。
呑助 あっ、そうですね。交通の便の良い所じゃないとダメなんですね。
侘助 だから、大阪とか、和歌山、横浜が候補に挙がっているらしい。
呑助 大阪ね。大阪維新、橋下のお膝元ですね。横浜、菅官房長官の選挙区ですよ。和歌山は二階自民党幹事長の選挙区ですね。そうか。
侘助 権力を食い物にしていると言っていた人がいたよ。
呑助 土地、建物、その他いろいろカジノを作るには大きなお金が動くことが予想できますね。
侘助 問題はそれよりさらに大きな問題があるようにも思うんだ。カジノというのは、賭博だからね。共産党の清水忠史衆院議員は、「統合型リゾート(IR)整備推進法案」(カジノ法案)を審議した衆院内閣委員会で「とばく禁止は持統天皇以来、689年のすごろく禁止令に始まる。近代法にも受け継がれている」と指摘して自民党を批判していた。
呑助 奈良時代の天皇が賭博を禁止していたんですか。
侘助 そうらしい。ここで考えなければならないことは、金があるなら博打をしたっていいじゃないかという主張がある。
呑助 そうですね。若い女の子が体を売ったえぇいいじゃないか、自分の体なんだからという話がありますね。
侘助 同じような主張だな。
呑助 博打する自由、売春の自由という問題ですね。
侘助 自分の金で博打して遊ぶ。自分の体を売って金を得る。私は人を殺してみたかったと言って殺人をした人がいたな。ここに自由について考える大きな問題があるように思うんだ。
呑助 とても難しい問題があるように思いますね。
侘助 殺人の自由を認めたら社会は成り立たなくなってしまう。人は人に対して狼である。このような社会では社会が存続していくことが難しいよね。他者の存在を認めることによって自己の存在が認められる。これが社会でしょ。
呑助 そうなんでしようね。
侘助 だから、殺人の自由は存在しようがない。殺人の自由はない。それと同じように賭博の自由は存在しないんだ。
呑助 ちょっと違うなという感じがしますよ。
侘助 考えてほしいんだ。賭博という行為は他人の所有物を奪う行為なんだ。だから奈良時代以来禁止されてきたんだ。
呑助 賭博は殺人と同じような行為だから賭博の自由はないということですか。
侘助 うん。だから売春も同じだと思うんだけれどね。
呑助 売春は自殺行為だということですか。
侘助 自殺は殺人だからね。だから自殺の自由はないと思うんだ。
呑助 意思の自由というものも制約されているんですね。
侘助 いや、制約ではなく、制約そのものが自由なんだ。

醸楽庵だより  302号  白井一道

2017-01-24 11:14:27 | 随筆・小説

 草臥れて宿かる比や藤の花 芭蕉

句郎 「草臥れて宿かる比や藤の花」。この芭蕉の句、いまいちピンとこない。こんな感じがするよね。でも、名句だと多くの俳人が言っているようだ。
華女 そうなのかしらね。「草臥(くたび)れて」が良くないように思うのよ。
句郎 『三冊子』の中に「此句、始は「ほとゝぎすやどかる比や」と有。後直る也」とあるから初案は「ほととぎす宿かる比や藤の花」を推敲し「草臥れて宿かる比や藤の花」にしたようだ。
華女 「ほととぎす」の句だったら夏の句になるわね。
句郎 そうなんだ。『笈の小文』の中では「草臥れて」の句の後ろに「春の夜や籠リ人ゆかし堂の隅」の句が置かれているからチグハグになってしまう。
華女 それが理由で「ほととぎす」を「草臥れて」に変えてしまったの。納得ではないわね。
句郎 逆じゃないかと思うんだけれどね。「ほととぎす」を「草臥れて」に推敲した結果、「春の世や」の前に「草臥れて」の句を置いたのではないかと思うんだけどね。
華女 「ほととぎす」じゃ、句になりないと芭蕉は感じたのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。「大和行脚のときに丹波市とかやいふ處にて日の暮かゝりけるを藤の覺束(おぼつか)なく咲こほれけるを」と前書きして「草臥れて宿かる比や藤の花」と『泊船集』にあるそうなんだ。
華女 春の夕暮れ覺束なく藤の花が咲きこぼれている。この姿がまるで春の日中を歩き疲れてへたっている自分のようだと思ったということなのかしら。、
句郎 風に揺られる藤の花が春の夕暮れ、頼りなく咲きこぼれている。この藤の花に芭蕉は癒されている。そのホッと一息ついた、その刹那を詠んだ句なのじゃないかな。
華女 「草臥れて」という言葉が芭蕉じゃないように思ったんだけれど。
句郎 そうだね。芭蕉は泣き言を言ったり、ぼやいたりしないよね。
華女 泣き言など、句にはならないわ。
句郎 芭蕉は自分の体が弱ってきていることを実感し始めていたんじゃないのかな。そのおぼつかなさのようなものを表現しようと思ったのかもしれないなぁー。
華女 私、江戸川の土手を宝珠花橋から関宿まで歩いたことがあるのよ。往復よ。歩き疲れて終わった時の晴れがましい気持ち、分かるのよ。
句郎 山登りで頂上を極めたときの気持ちのようなものかな。
華女 草臥れそのものが癒しなのよね。こぼしじゃないのよ。充実感なのよ。
句郎 きっと、芭蕉もそうだったんじゃないのかな。だから「ほととぎす」じゃ、歩き疲れた充実感や癒し感のようなものが表現できないと感じたんじゃないのかな。
華女 そうなのかもしれないわ。夕暮れの藤の花、春の夕暮れ、体を動かした快い疲労感、いいんじゃないの。
句郎 今日は歩き疲れたとこぼしているように読んでしまうとこの句の良さが分からないのかもしれないなぁー。
華女 そうかもしれないわ。歩いて道々楽しかった。歩くことがこんなに自分の命が輝くことはないとということよね。
句郎 きっとね。

醸楽庵だより  301号  白井一道

2017-01-23 11:04:47 | 随筆・小説

 モディアーニとその妻・肖像画が秘めるもの

 ハイビジョン特集 「生きた、描いた、愛した モディリアーニとその恋人の物語 天才画家モディリアーニと、後追い自殺をした恋人の愛の軌跡を作品世界からたどる」を見た。初回放送を去年見た。再度、今年になって再放送を見た。一時間四十分飽きることなく画面に引き込まれていた。
 モディリアーニが愛した女性とはどのような女性だったのか。モディリアーニが描いた妻の肖像画を見て、興味が湧いてきていた。ちょうど視聴者の気持ちを推し量るように妻ジャンヌ・エビュテルヌの写真が写された。肖像画から想像することのできない美貌の女性だった。澄んだ瞳が輝く女性だった。生き生きと静かにじっとこの女性に見つめられた男は有頂天になったに違いない。モディリアーニの気持ちが分かる。おしゃべりする必要が二人の間になかった。絵筆を取ることが二人にとっては愛の時間であった。そのように感じた。
 ジャンヌはモディリアーニが病死した二日後にベランダに出て、飛び降り自殺した。ジャンヌにとってモディリアーニの死は同時に自分自身の死を意味していた。妻ジャンヌは夫モディリアーニと一心同体の存在だった。それほど深く深く愛した夫モディリアーニが描いた妻ジャンヌの像画はちっとも綺麗には描かれていない。普通の女性だったら、怒り出すかもしれないような絵に仕上がっている。しかしジャンヌはモディリアーニの肖像画に自分への愛を感じ取っていたのだ。嬉しい、私をこのように見てくれているのを受け入れている。あぁー、ここには第三者は入り込むことができない二人の世界が横たわっていた。
 モディリアーニはジャンヌを見てみてジャンヌの真実を表現した。その真実がジャンヌの肖像画だった。モディリアーニが発見したジャンヌの真実が肖像画として具体的な作品として現実のものになった。
 「生きた、描いた、愛した」の番組を見て現代俳句に通じるものを感じた。手元にあった本をペラペラめくったら飯田龍太の句がでてきた。「父母の亡き裏口開いて枯木山」。山国の家を継いだ感慨が詠われている。1945年の敗戦後の世界が表現されているのかなぁーと、読んで思う。ここに一つの真実がある。絵も文学も同じものを求めている。私たちは絵や文学を通して自分を他者を世界を知っていくのかなぁー。

醸楽庵だより  300号  白井一道

2017-01-22 12:26:49 | 随筆・小説

 故郷とは親がいてこそのもの

句郎 芭蕉は旅に生き、旅に死んだ詩人のように言われているけれども、故郷を捨てきることできなかった。
華女 漂泊者というのは故郷を捨てた人のことを言うのかしら。
句郎 中世の隠遁者、西行は故郷を捨てた漂泊者だったようだ。
華女 芭蕉は帰る家を持っていた旅人だったのね。
句郎 そうなんだ。帰る家を持つ旅の詩人だった。
華女 酒と旅と自然を愛した詩人、若山牧水に通じるものが芭蕉にもあったということのようね。
句郎 牧水の歌の原点は故郷宮崎日向にあるといわれているからね。
華女 じゃー、芭蕉の場合は伊賀上野藤堂藩に句の原点があるのかしらね。
句郎 故郷を詠んだ有名な句が芭蕉にはあるからね。
華女 「旧里や臍の緒に泣くとしの暮」ね。
句郎 その他にも「手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜」と『野ざらし紀行』の中で母の法事を兼ねて故郷伊賀上野に帰り、母を偲び詠んでいるからね。
華女 「ちゝはゝのしきりに恋し雉の聲」とも詠んでいるわね。
句郎 そうだね。でも、この句は故郷を恋う句と言えるのかどうかね。
華女 都に出た子が父母を恋うのが郷愁というものじゃないの。
句郎 そうだよね。確かに父や母が存命であるからこそ、帰郷するということかもしれないな。
華女 親がいてこその故郷なんじゃないかしら。
句郎 郷土の山や川、田畑は二次的なものなのかもしれないなぁー。
華女 それは思い出にあるものね。
句郎 芭蕉は農民の出だったから、土地に対する愛着はことのほか強いものがあったと思うんだ。
華女 確かに町人に比べれば土地に対する気持ちが農民とは違うように思うわ。
句郎 武士とも違うんじゃないかな。武士にとっては徴税の対象としての土地だったからね。
華女 そうかもしれないわ。私にとって卒業した学校は母校という気持ちがあるけれども、教師として勤務した学校を母校という話は聞いたことないもの。そう思わない。
句郎 江戸時代はお殿様が転封になり、国替えになるとお殿様に従って移住していったからね。
華女 武士にとって、生まれ育った土地は勤務地なのね。
句郎 それに対して農民は一所懸命、一所に命を懸けて生きているわけだからね。
華女 一生懸命でなく、一所懸命なのね。農民を表現した言葉なのね。
句郎 そうだと思う。だから農民の血が芭蕉には流れているのだから、故郷を捨てることはできなかった。故郷あっての芭蕉だった。農民に出自を持つ芭蕉は故郷を捨てようにも捨てられなかった。また藤堂藩が藩内の農民が無宿人になることを許さなかったという事情があったのかもしれないしね。藩内の農民人口の減少は藩の徴税額の減収になるからそう簡単に藩から抜け出ることは難しかったんじゃないかな。
華女 武士の出であった西行とは身分が違っていたのね。
句郎 武士には隠遁の道があったけれども、農民にはそのような自由は許されなかった。