ブログ65号原稿早苗とる
早苗とる手もとや昔しのぶ摺(ずり) 芭蕉
句郎 「しのぶもみ摺(ず)り石」は歌枕になっているんだ。
華女 石自体が歌枕になっているの。
句郎 その「もみ摺(ず)り石」のある信夫の里が歌枕になっているようだよ。
華女 どうして「しのぶもみ摺(ず)り石」が歌枕になったのかしら。
句郎 藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだ小倉百人一首に「しのぶもみ摺(ず)り石」を詠んだ歌があるんだ。
華女 知っているわよ。「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れ初めにし我ならなくに」でしよう。誰が詠んだ歌だっ たかしら。
句郎 源融(みなもとのとおる)だ。古今集にもう一首、源融(みなもとのとおる)の歌が入集している。「ぬしやたれ問へどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれと思はむ」。圧倒的に「陸奥のしのぶもぢずり」の歌の方が有名になった。「陸奥のしのぶもぢずり」の歌によって「もみ摺(ず)り石」のある「しのぶの里」は歌枕になったと言っていいと思う。
華女 多くの人に慕われた歌には不思議な力が宿るのね。
句郎 確かにそうだ。源融(みなもとのとおる)が詠んだ「もみ摺(ず)り石」のある「信夫の里」が歌枕になるんだからね。「しのぶもみ摺(ず)り石」は芭蕉を引き付ける不思議な力、呪力を持っている。
華女 芭蕉は「「しのぶもみ摺(ず)り石」を見て、「早苗とる手もとや昔しのぶ摺(ずり)」と詠んだのね。
句郎 芭蕉は「早苗とる手もと」に目を集中している。その手は若い女性の手でなくちゃならない。若い男の手では句にならないよね。
華女 私は何も女の子の手でなくてもいいと思うけど。
句郎 信夫もみ摺り石でずっと昔の女性が布を染めていたんだから、早苗とる手は若い女性だよ。
華女 「もみ摺(ず)り石」というのは布を染める石だったのね。
句郎 土がなくても木の幹に生えるシダを忍ぶ草と言ったらしい。そのシダを石で押しつぶし、出て来る草の露で布を染めると色が乱れて染まる。「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れ初めにし」という歌が生まれた。恋をした男が美しいあなたのせいで私の心が乱れてしまったと嘆いている。
華女 平安時代に生きた男はよくも恥ずかしげもなくこんな歌を詠んだものね。
句郎 もともと男はナイーブで繊細なんじゃないかね。
華女 当時の女はもっとナイーブで繊細で、生きる哀しみを背負っていたようにも思うけどね。
句郎 「早苗とる」だから苗代から早苗を取っているのかな。田植えの準備をしている健気な女性に芭蕉は思いを寄せている。
華女 芭蕉は女性に優しい男だったのかもしれないわね。
句郎 そうなんじゃないかな。昔、信夫の里の女性たちは「もみ摺(ず)り石」の上でシダの草をすり潰し、石の上に布を乗せ、力を込めて布を染めた。そんな働き者の女性の手を想像していたのじゃないかと思う。
華女 「しのぶ」は「信夫の里」と昔を「偲ぶ」の掛詞になっているのね。
句郎 そうだ。だから「早苗とる」今の女性の手に昔、もじ摺り石で布を染めている女性の手が元気よく動いている姿を偲んでいる。
華女 芭蕉は働いている女性、それも農民の働く姿を詠んでいるのね。
句郎 そうなんだ。古今集の作者たちが詠んだ世界に田で働く農民を詠んだ歌はない。士農工商といった厳しい身分制の社会の中で農民が田で働く姿を芭蕉は詠んでいる。ここに新しい時代の到来を告げる兆しがあるように思うんだ。
華女 読む対象が変わると文芸のあり方も変わっていくのかもしれないわね。