醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1288号   白井一道

2019-12-30 10:57:53 | 随筆・小説



  徒然草114段『今出川の大殿』



原文
 今出川(いまでがわ)の大殿(おおいとの)、嵯峨へおはしけるに、有栖川(ありすがわ)のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までさゝとかゝりけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。

現代語訳
 今出川(いまでがわ)の大殿(おおいとの)と呼ばれた太政大臣西園寺公相(だじょうだいじんさいおんじきんすけ)が嵯峨へおいでになられた時、有栖川のわたり辺りの水の流れている所で、牛飼いの賽王丸(さいわうまる)が牛を追っていたので、牛の跳ね飛ばした水が前板にまでざざーっとかかったのを従者の為則は牛車の後ろについていたので「珍しい小僧だ。そのような所で牛を追うのか」と言ったので大殿(おおいとの)は気分を害して「おまえ、牛車の御し方、賽王丸より勝っているとでも思っているのか。珍しい男だ」と、車に頭を大殿(おおいとの)は打ち付けてしまわれた。この名だたる賽王丸は太秦殿の下男、後嵯峨院の牛飼いだ。

原文
 この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

現代語訳
 太秦殿に仕えた女房の名前、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられていた。

 人間が人間でなかった時代と社会   白井一道
 兼好法師が生きた社会では牛飼いは牛飼い以外の何ものでもなかった。一年中どこに行っても牛飼いは牛飼いでしかなかった。その姿・格好によって当時の、その地域に暮らす人であれば、誰でもが牛飼いは牛飼いだと分かった。人間が姿・格好によって身分や職業が明確に明らかになっている社会であった。そういう点においては日本の中世社会もヨーロッパの中世社会も変わることはない。
 ホイジンガの著書『中世の秋』第一章は次のような言葉で始まっている。「はげしい生活の基調」
「世界がまだ若く、五世紀ほどもまえのころには、人生の出来事は、いまよりももっとくっきりとしたかたちをみせていた。悲しみと喜びのあいだの、幸と不幸のあいだのへだたりは、わたしたちの場合よりも大きかったようだ。すべて、ひとの体験には、喜び悲しむ子供の心にいまなおうかがえる、あの直接性、絶対性が、まだ失われてはいなかった。」
「すべてが、多彩なかたちをとり、たえまない対照をみせて、ひとの心にのしかかる。それゆえに、日常生活はちくちくさすような情熱の暗示に満たされ、心の動きは、あるいは野放図な喜び、むごい残忍さ、また静かな心のなごみへと移り変わる。このような不安定な気分のうちに、中世都市の生活はゆれうごいていたのである。」堀越孝一訳より 中央公論社
 子供に見られる単純さ、残酷さ、明暗の明確さのようなものが赤裸々に表現される社会であった。日本の中世社会も同じような社会であった。太政大臣になる貴族と言われる人々と牛飼いをする人々は生まれが違っていた。この違いに疑問を抱く人間が一人もいないのが当然である社会であった。
 貴族に仕える女房たちも貴族に生まれた女性とは差別された存在であった。そのようなことに疑問を抱くことはなかった。そのような社会の一面を兼好法師はこの段で書いている。

醸楽庵だより   1287号   白井一道

2019-12-29 12:16:33 | 随筆・小説



    立場主義ということ    白井一道



 民主党政権で首相になった鳩山由紀夫氏は退陣後五年を経て一枚の文書を明らかにした。その文書とは、衆議院選挙前、沖縄県辺野古に普天間米軍基地を「最低でも県外」に移設すると公約し、選挙後に「学べば学ぶ ほど(抑止力が必要との思いに至った)」と辺野古移設に舵を切った事情を明らかにしたものだった。その文書を公開し、講演会をした。それが次のものである。
「鳩山友紀夫元首相による講演会「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」が、2016.2、4、午後1時半から、日本記者クラブ10階ホールにて行われた。
 「(2010年)4月19日か20日だったかと思いますが、3枚の紙切れを持った外務省の役人がやってまいりまして、『大使館と交渉した結果こういうことになりました』と、その紙を見せられました」
 沖縄米軍の陸上部隊と海上部隊は、一緒に北部訓練場で訓練を行なう。その訓練の一体性を考えると、普天間基地がどこか遠くに移設され、そこまでの距離があまりにも長いと、移動等に時間がかかりすぎて訓練が十分にできない。その距離は65海里(約120km)以内であるべきだ、という基準が米軍のマニュアルにも明記されていると、その紙には書かれていたとのこと。
 当時、移設の候補地として鳩山氏が名前を上げていた徳之島までは、200kmをはるかに超える。
 「すなわち、これは徳之島をあきらめなさいというペーパーでございました」
 これが決定打となり県外移設を断念したと鳩山氏は当時を振り返る。
 その後、2ヶ月にも満たない6月8日、鳩山氏は首相を辞任した。
その後、「65海里」基準、米軍マニュアルには表記なし。外務省「いや、そんな紙はありません」
 鳩山氏によれば、「普天間移設問題に関する米側からの説明」と書かれたこの書類は、2015年4月まで極秘文書扱いだったとのこと。極秘期間が解けた後、琉球新報などに調査を依頼したところ、「アメリカ軍がマニュアルに明記してある」というのは事実ではなかったことが明らかになった。
 「今担当者に聞こうとしても、皆さん口をつぐんでだれも答えない。『こんなペーパー知らないよ』みたいな話になっておりまして」と、鳩山氏はいぶかしかった。
 鳩山氏に協力して、この件の調査を行っているという元衆議院議員の川内博史氏は、
 「自民党政権になってから、佐賀に普天間のヘリコプター部隊を移してはいかがというようなことが、安倍政権から発議をされた。『120キロ以内じゃないとだめ』と米軍のマニュアルに書いているのに、なぜ、500キロから600キロは離れている佐賀に移せるのかと、鳩山先生は不思議に思われていた」と補足した。
 そして、極秘指定の期間が終わり、あらためて外務省に、このペーパーについて、もう一度説明を求めた所、外務省の担当局は、時の総理の公約を撤回させた、極めて重要な文書でありながら、「いや、そんな紙はありません」と「知りません」と応えたとのこと。
 「では、この紙は、いったいどういう位置付けになるのか!? 再度外務省に今お聞きしているところでありますけど、今のところ『調査します』『少し待ってください』ということで、返事をお待ちしている状況」と、説明した。
外務省「公文書ではない」「外務省が作成したものかどうかわからない」と二転三転し、現在「調査中」。虚偽文書作成の疑いも!?
 講演会の司会を勤めた、元日本ジャーナリスト会議代表委員の桂敬一氏は、「これは首相を騙すための謀略じゃないかと言う気がするんですよ」との見方を示した。」      Iwj 岩上安身より
 鳩山由紀夫氏は偽の極秘文書の極秘期間五年間を経て公表した。鳩山由紀夫氏は偽の極秘文書により政権から葬られた。山本太郎氏は街頭記者会見で鳩山由紀夫氏が偽極秘文書に騙されたことに触れ、「私だったら、その極秘文書を直ちに公表しすると発言していた。外務官僚の立場など考慮することなく、自分の政治的生命を賭け、主張を実現するために極秘文書も公表するのが山本太郎氏のようだ。
 レーニンはロマノフ王朝を打倒した後、外交機密文書を全世界に公表した。この結果、英国はパレスチナにユダヤ人の国ができることを約束したバルフォア宣言をし、他方アラブ人にはアラブ人の独立を認める約束をしたフセイン=マクマホン協定を秘密に結んだ。更に英国は仏、露とサイクス=ピコ協定を結び中東を分割することを約束していた。

醸楽庵だより   1286号   白井一道

2019-12-28 11:46:40 | 随筆・小説



   徒然草第112段『明日は遠き国へ赴くべしと』



原文
 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑(しづ)かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。俄(には)かの大事をも営み、切に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌(た)け、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらん人、また、これに同じかるべし。

現代語訳
 明日は遠い国へと旅立つことになるだろうと言う人に心静かに取り組まねばならないような事などを頼む人がいるであろうか。突然の大事を処理し、切に嘆き悲しむ事を抱える人は、何を言われても聞く耳を持たず、人の不幸や祝い事をも見舞わない。見舞わなくとも恨む人はいないであろう。だから年齢も徐々に盛りを過ぎ、病にとり付かれ、言うまでもなく遁世者もまた同じようなことである。

原文
 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇(いとま)もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生(しやう)既に蹉蛇(さだ)たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀(そし)るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。

現代語訳
 人間の通過儀礼はすべて避けがたい。世俗の慣習を黙って無視するわけにもいかないので、その慣習をすべて必ず受け入れようとするなら、要請も多く、体もきつく、神経が休むこともなく、人間の一生は雑事に追われ、空しく暮れていくことだろう。日は暮れていくのに、道は遠い。私の人生はすでに不遇のうちにある。世の柵からもう解放されるべき時だ。もう信義も守らない。礼儀をも考慮しない。この心を分かってもらえない人は、私を狂人とでも、正気でないとも、情けなしとでも言うがよい。悪く言われても苦しむことはあるまい。褒められても聞き入れることはあるまい。


 わたしは私である。   白井一道
 私の隣には人がいる。病を得れば、医者がいる。空腹になれば、腹を満たしてくれる食堂がある。仕事を与えてくれる人がいる。仕事に応じてくれる人がいる。人間は一人では生きていくことができない。多くの人に囲まれているからこそ人は生きていくことができる。私が今ここに生存できるのは私の隣に人がいるからなのである。
 「人間は類的存在である」と『経済学・哲学手稿』の中でマルクスは述べている。最近、マルクスの言葉など耳にすることはなくなったが、マルクスの言葉には人間の本質が解明されていると未だに私は考えている。人間は類的存在であるが故に、私は私であり得ていると考えている。私の隣に人がいるから私は私であり得ていると実感している。
 私が類的存在である以上、私がすることは私のためのものであると同時に他者のためのものなのだ。人は人のために存在すると同時に自分のために存在している。だから人間は社会的存在なのであろう。類的存在としての人間は社会的存在になる。社会的存在としての人間は社会的約束事に縛られた存在である。社会的約束事に縛られることを人間は自分の意志にする。社会の成員の一人として人間は生きている。だから人間は社会慣習を自らの意志として実行する。社会慣習を守り、実行することが自らを社会の一員として自覚すると同時に身のまわりにいる人びとから受け入れられていくことでもある。
 遠い国、黄泉の国へと旅立つということはこの世の柵から解放されることだ。私という存在が私でなくなるということを意味している。社会的存在であり得なくなる。類的存在でもあり得なくなる。死とは、そのようなものなのであろう。私が私であると自覚できることが生きていると言う事であり、私は類的存在であると同時に社会的存在でもあると自覚できることが生きているということなのであろう。私が私で亡くなった時が死ぬということだ。

醸楽庵だより   1285号   白井一道

2019-12-26 11:07:22 | 随筆・小説



   徒然草第111段『囲碁・双六好みて明かし暮らす人は』



原文
 「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく覚え侍り。

現代語訳
 「囲碁・双六に夢中になって顧みることなく暮らす人は、仏教でいう四重罪、四種の重罪、すなわち、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう、盗むこと)・邪淫(じゃいん、姦淫すること)・妄語(もうご、悟りを開いたと嘘を言うこと)・五逆、五種の最も重い罪、父母を殺すこと、阿羅漢(あらかん=佛または佛の位に達した悟りを開いた聖者を殺すこと、僧の和合(和合僧)を破ること、仏身を傷つけることにも勝る悪事だと思うと、或る僧侶が話していることが心に響き大切なことだと思った。

 銀が泣いている   白井一道
 「銀が泣いている」は北条秀司原作、新国劇『王将』、村田英雄の歌「王将」のモデルになった人物、坂田三吉が吐いた名言として知られている。大阪の貧民街に生まれ育った文盲の棋士坂田三吉は将棋に秀でた才能の持ち主だった。その栄光の物語が『王将』である。
 1913年(大正2年)、将棋界の名人、関根金次郎と対戦した坂田三吉が吐いた言葉が「銀が泣いている」であった。その時の気持ちを坂田三吉は朝日新聞に書いてもらっている。
 「(あの銀は)ただの銀じゃない。それは坂田がうつむいて泣いている銀だ。それは駒と違う、坂田三吉が銀になっているのだ。その銀という駒に坂田の魂がぶち込まれているのだ。その駒が泣いている。涙を流して泣いている。今まで私は悪うございました。強情過ぎました。あまり勝負に焦りすぎました。これから決して強情はいたしません、無理はいたしません、といって坂田が銀になって泣いているのだ」
 坂田三吉にとって将棋を指すことが人生であった。将棋そのものが坂田三吉の人生であり、生活であった。それほど将棋の勝負というものは人を夢中にさせるものなのだ。だからそれほど勝負事というものは恐ろしいものなのだ。恐ろしいものであるが故に人を夢中にさせるものなのかもしれない。だから兼好法師は囲碁・双六などの勝負事は四重・五逆の悪事だと断罪しているのであろう。

醸楽庵だより   1284号   白井一道

2019-12-25 11:02:16 | 随筆・小説



   徒然草第110段『双六の上手といひし人に』



原文
 双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾(と)く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。

現代語訳
 双六が上手だと言われている人にその指し手を聞いたところ、「勝とうと思って打ってはならない。負けない手を打つべきだ。どの手が早く負けてしまうのかを考え、その手を使うのは止め、一目でも負けが遅くなるような手を考え尽くすべきだ」と言う。

原文
 道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

現代語訳
 それぞれの分野の事についてわきまえることが身体の健康を保ち、国の平和を保つこともまた同じことであろう。

 将棋が強くなるには  白井一道
 将棋指師を勝負師と言う。将棋は勝負なのだ。指し手は無限大である。その中から有効な手を探し出すゲームなのだ。相手側により大きな打撃をどけだけ与えることができるかを競う遊びなのだ。隙がある。この隙を付けば、相手は一網打尽に滅びてしまうに違いない。そう思って指した手にほくそ笑んでいると突然、自分の玉がカラ空きなってしまっていることに気付き、顔が青ざめていく。相手の顔を見る。相手は微笑んでゆっくりと駒を取り上げ、玉の頭に金を打ち下ろしてくる。あー、この隙は毒饅頭だった。自分だけの勝手読みにがっくりも、勝負はついてしまった。と、同時に相手の読みの深さに脱帽する。そうだ。相手を敬う気持ちがなければ、指し手を深く読むことはできないなとも考える。
 指し手をどれだけ深く読むことができるかを競うゲームが将棋や囲碁なのではないか。
 

醸楽庵だより   1283号   白井一道

2019-12-23 12:13:52 | 随筆・小説



   徒然草第109段 『高名の木登りといひし男』



原文
 高名(かうみよう)の木登りといひし男、人を掟(おき)てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕(つかまつ)る事に候ふ」と言ふ。

現代語訳
 名高い木登り名人と言われた男は人を指図して高い木に登らせ、梢を切らせた折、特に危なく見えるところでは何も言うことなく、降りてくるとき、軒の高さまでになったとき、「間違えるなよ。気を付けて降りろ」と言葉をかけた。「このような所になって飛び降りようと思えば飛び降りられる。どうしてこの段になって注意されたんですか」と聞いてみたところ、「そのことについて申し上げれば、目の眩むような枝先の危ないところでは、自分自身が恐れ、注意しているので注意しない。過ちは安全な所に来て、必ず事故が起きがちである」と言う。

原文
 あやしき下臈(げらふ)なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠(まり)も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。

現代語訳
 身分の低い庶民ではあるが、聖人の戒めともいえるような話だ。蹴鞠の鞠も、難しいところに蹴り出して後、容易いと思うと必ず鞠をおとしてしまうようだ。


 危険は安心に潜む   白井一道
 
 『徒然草109段』を読み、安心感には危険が潜んでいる。この事は普遍的な真実なのだと改めて感じた。昔、イブ・モンタンが主演した映画『恐怖の報酬(1952)』を思い出した。あらすじは次のようなものだ。
「中央アメリカのラス・ピエドラスという町は世界各国の食いつめ者が集るところだ。コルシカ人マリオ(イヴ・モンタン)もその例外ではなかったが、彼には酒場の看板娘リンダ(ヴェラ・クルーゾー)という恋人がいた。そんな町へ、パリで食いつめた札つき男ジョー(シャルル・ヴァネル)が流れてきてマリオと親しくなった。ある日町から五〇〇キロ先の山の上の油井が火事になり、多くの犠牲者が出た。石油会社では緊急会議の結果、山上までニトログリセリンを運び上げ、それによって鎮火することにした。危険なニトログリセリン運搬の運転手は賞金つきで募集され、多く集った希望のない浮浪者の中からマリオ、ビンバ、ルイジ、スメルロフの四人が選ばれた。選に洩れたジョーは大いに不服だった。翌朝三時、マリオとルイジとビンバは約束通りやって来たがスメルロフは姿を見せず、ジョーが現れた。何故スメルロフが来ないのか、そんな詮索をする暇はない、ジョーが代りに加ってマリオとジョーの組が先発、三十分遅れてルイジとビンバの組が出発した。マリオの組は、ジョーが意外に意気地がなくて二人の協力がうまく行かず、後から来たビンバ組に追いこされてしまった。崖の中腹に突き出た吊棚の上を危うく通りぬけたのち、車は道路をふさいでいる大石のためストップしてしまった。しかし、沈着なビンバは少量のニトログリセリンを使用して大石を爆破し、無事に通りぬけることができた。そのあとは坦々とした行進がつづき、一同もほっとしたとき、突如ビンバの車が大爆発を起し、跡かたもなくけし飛んだ。爆発のあとは送油管が切れて石油がたまりかけていた。早くここを通りぬけないと油に車をとられて二進も三進も行かなくなる。マリオは思いきって車を油の中にのり入れた。そのとき、ジョーが油に足をとられて倒れたが、車を止めることができないばかりに、マリオは倒れたジョーの脚の上を通りぬけなければならなかった。そしてジョーを助け上げ、介抱しながらようやく目的地につくことができたが、そのとき、ジョーは既に息絶えていた。ニトログリセリンのおかげで火事は消しとめられ、マリオは賞金四千ドルをもらった。重責を果して空車を運転しながら帰途につくマリオの心は軽かった。しかし、リンダとの幸福な生活を眼前にしてはずむ彼の心を魔が捉えたのか、僅かのカーヴを切りそこねたトラックは、希望に開けたマリオをのせてもんどりうって崖下に転落した」。「Movie Walker」より

醸楽庵だより   1282号   白井一道

2019-12-22 13:09:38 | 随筆・小説



   徒然草第108段『寸陰惜しむ人なし』



原文
 寸陰惜(すんいんを)しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。

現代語訳
 わずかな時間を無駄にしたと惜しむ人はいない。このことは良く分かっているためなのか、それとも人は愚かで分からないからなのか。愚かにして怠る人のために言っておくと、一銭は僅かな額ではあるが、これを集めれば貧しい人を豊かな人にすることができる。だから商人にとって一銭を惜しむ心は大事なことだ。一瞬が大事な時間だと自覚できないからといって、このままでいると命の絶える時がたちまちやって来ることになる。

原文
 されば、道人(だうにん)は、遠く日月(にちぐわつ)を惜しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩(ぎょうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。

現代語訳
 だから仏道修行者はこれから先の長い月日を惜しむような心であってはならない。ただ今の一念を空しく過ごすことを惜しむべきだ。もし人が訪ねて来て私の命は明日、必ず尽きるであろうと告げ知らせられたら、今日の日が暮れ行くまでの間に何事かを頼み、何事かをするであろう。私たちが生きる今日という日は何であろうか、この日はいつもの年のいつもの季節の日となんら変わることはない。一日のうちに飲食・便利・睡眠・言語・行歩など普段と何も変わることないことをしているうちにこれらの事を止めることができずに多くの時間を失ってしまう。その間の幾ばくもない暇に無駄なをことをしてしまい、無駄なことを言い、無駄なことを考え、時間を潰すだけではなく、日を失い、そんな日が一月続き、一生を送る、最も愚かなことだ。

原文
 謝霊運(しやれいうん)は、法華(ほっけ)の筆受(ひつじゅ)なりしかども、心、常に風雲の思(おもひ)を観ぜしかば、恵遠(けいゑん)、白蓮(びやくれん)の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。

現代語訳
 中国六朝時代の代表的な詩人の謝霊運(しやれいうん)は、サンスクリット語の法華経を中国語に翻訳する人であったけれども、心は常に風や雲の色、形に奪われ、考えることを楽しすんでいたので、中国浄土教の創唱者、恵遠(けいゑん)は念仏修行の集団、白蓮社との交わりを許さなかった。しばらくの間、このような状態にあった謝霊運(しやれいうん)はまるで死人と変わることはなかった。時間を何のために惜しむのかというと、雑念に心がまどわされることなく、世俗の雑事に心を使うことなく、悪事を止めようとする者は止め、修行しようとする者は修行せよと、いうからである。

 濃縮された時間  白井一道
 『徒然草108段』を読み、加賀乙彦の小説『宣告』を思い出した。死刑囚は「濃縮された時間」を生きている。
 「刑の執行は午前十時頃で、その直前に、予告がおこなわれる。……刑の執行がおこなわれる可能性は、その日の朝、おむかえがなければ、週日なら二十四時間後、土曜日や祭日の前なら四十八時間後にあるということになる。
 未来が、二十四時間から四十八時間に限定されている。ごく短時間後に生の終りを想定して日に日に生きねばならぬのが死刑囚の状況である」。
    加賀乙彦『死刑囚の記録』より

醸楽庵だより   1281号   白井一道

2019-12-21 15:31:55 | 随筆・小説



   徒然草第107段『女の物言ひかけたる返事』



原文
 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。

現代語訳
 「女に言葉をかけられた時の返事を当意即妙に上手に受け応えできる男はすくないようだ」ということで、亀山天皇のときに悪ふざけをした女どもが若い男たちが宮中に来られる度毎に「ホトトギスが鳴かれるのをお聞きになりまして」と聞いて男たちの心を推し量ったところ、某大納言とかは「私のような取るに足らない者は聞いておりません」と答えられた。

原文
 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿(やましなのさだいじんどの)は、「あやしの下女(しもおんな)の 見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かむり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

現代語訳
 一般的に男とは、女に笑われることがないように養い育てるべきものだ。「浄土寺前関白殿は、後堀河天皇の皇后、安喜門院様に良く教えられているので女性との会話は上手だ」と、人々がおっしゃっているとか。「山階左大臣殿(やましなのさだいじんどの)は、身分の賤しい召使の女に見られることもとても恥ずかしがり、心遣いをしておられる」と言われている。女性のいない世の中になったとしたら、装束の着け方も、冠の被り方もきちんと正装する人はおられまい。

原文
 かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(しょう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相深く、貪欲(とんよく)甚だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡より顕はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

現代語訳
 このように人の気の置ける女性はどんなにか大事な存在だと思うのに、女の性(さが)はすべていじけている。人と自分は違うという気持ちが強く、欲張りでものの道理が分かっていない。ただ迷いだす気持ちが強くなり、言葉も巧みに、簡単なことを聞いても答えない。答えの用意があると思えば、今度はまた取るに足りない事まで聞いてもいないのに語り出す。深く考えをめぐらし、うわべを飾っている点は、男性の分別する心の働きよりも勝っているかと思うとその飾っていたことが後にバレることが分かっていない。素直でなく見苦しいものが女だ。その女の気持ちに寄り添い良く思われようとすることは、情けないことであろう。どうして、女に気をつかう必要があろうか。もし賢い女がいるなら、その女には親しみが持てず、興ざめであろう。ただ女の魅力に迷い込み、ふらふらと従う時は優しくも面白くも感じることがあるのだ。

 厳しい男女差別の中に生きた兼好法師 白井一道
 男女差別が当然のこととして認められていた社会にあっては、女性に対する正当な見方ができないということを兼好法師の文章を通して理解することができる。制度としての男女差別は男と女に対する偏見が生じる。

醸楽庵だより   1280号   白井一道

2019-12-20 11:03:57 | 随筆・小説



   徒然草第106段『高野証空上人、京へ上りけるに』



原文
 高野証空上人(かうやのしようくうしやうにん)、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖の馬を堀へ落してンげり。

現代語訳
 高野山金剛峰寺の証空上人(しようくうしやうにん)が京都に向かう細い道で馬に乗った女と行き会ったおり、女の乗っていた馬の口を引いていた男の引き方が悪かったため上人の乗った馬を堀に落としてしまった。

原文
 聖、いと腹悪しくとがめて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼に劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

現代語訳
 上人はかんかんに怒り非難して「これは類稀な乱暴だ。仏の弟子には㈣部の衆がいるのだ。男の僧侶より尼僧は劣り、尼僧より世俗の男の信者は劣り、世俗の男の信者より世俗の女の信者は劣っている。かくのごとき最低の身分の者が比丘という身分の上人を堀に蹴落とす前代未聞の悪事だ」と言われたので、馬の口を引いていた男は「何を言われているのか、皆目分かりません」と言っているのに、上人はなお息巻いて「何を言うか。無学文盲の男」と荒々しく言うと、とんでもないことを言ってしまったかという顔つきになり、馬を道に戻して上人は逃げるように帰られた。

原文
 尊かりけるいさかひなるべし。

原文
 尊い口論であったのであろう。


  感情が理性を失わせることがある  白井一道
 国会の委員会審理で野次を安倍総理が飛ばす。総理にあるまじき行為である。安倍総理は一国の総理である以上、自民党の議員である前に一国の総理であるという自覚があれば、野党議員の質問に聞くに耐えない野次など飛ばすことはないであろう。

醸楽庵だより   1279号   白井一道

2019-12-19 10:48:28 | 随筆・小説



   徒然草第105段『北の屋蔭に消え残りたる雪の』



原文
 北の屋蔭(やかげ)に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊(ろう)に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事かあらん、尽(つ)きすまじけれ。

現代語訳
 北側の家の影に消え残った雪の堅く凍っているところにさし寄せてある牛車の柄には霜がぎっしり輝き、夜明けの月がくっきりと照ってはいるものの隈なくというわけでもない所に、誰もいない廊下に尋常ではないように見える男と女が長押(なげし)に尻かけて話しているのは何事なのだろうといろいろ想像してしまう。

原文
 かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫りたるこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれはつれ聞こえたるも、ゆかし。

現代語訳
 頭つきや容貌などがとても立派に見えて、はっと驚くような匂いの薫っていることほどに心惹かれる。会話の断片が少しづつ聞こえるのにも興味惹かれる。