醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   53号   聖海

2015-01-07 10:03:48 | 随筆・小説

   暫時(しばらく)は滝に籠るや夏の初  芭蕉

句郎 日光と言えば華厳の滝だよね。芭蕉は華厳の滝ではなく裏見の滝を見に行った。
   今じゃ、華厳の滝を見ず、裏見の滝を見に行く観光客はいないよね。どうして
   芭蕉は華厳の滝を見に行かなかったのかな。
華女 どうしてなのかしらね。
句郎 どうしてなのかな。元禄時代にも華厳の滝を知る人はいたに違いないとは思う
   んだけどね。
華女 そうよね。
句郎 華厳の滝を見る意味を芭蕉は見いだせなかったのかもしれない。
華女 そうかしら。そんなことないと私は思うわ。中禅寺は八世紀末に建てれた古い
   お寺よね。日光山の開祖、勝道上人が二荒山神社の神宮寺として建てたお寺が
   中禅寺なのでしよ。
句郎 男体山を神として祀る神社が二荒山神社だよね。中禅寺湖の湖畔にある男体山
   登山口はまるで神社への門のような感じがするね。
華女 男体山の山開きはいつなのかしら。
句郎 例年五月五日のようだよ。今はそうでもないようだけれど、昔は皆白装束に斑
   (はん)蓋(がい)(桧笠)を被り、金剛杖を持った修験者になって上ったときく。
華女 神仏習合の古い歴史が中禅寺にはあるのでしよう。だからなぜ芭蕉は中禅寺に
   参らなかったのか、不思議なのよ。
句郎 大谷川(だいやがわ)を渡り、東照宮に参拝する。その後「廿余丁山を登つて滝
   有」と「おくのほそ道」にあるから更に山を登り、細い山道を辿って裏見の滝
   を見ると修験の山を満喫してしまったのかもしれない。
華女 華厳の滝は歌枕になっていなかったからじゃないかしら。ふっと、今思ったこ
   となんだけれど。
句郎 確かに、そうかもしれない。
華女 芭蕉は裏見の滝で一句詠んでいるのよね。
句郎 「しばらくは瀧にこもるや夏の初め」と芭蕉は詠んでいる。曾良旅日記によれ
   ば旧暦の四月二日、天気は快晴と書いている。この日に裏見の滝に行っている。
華女 それじゃ、汗だくになって裏見の滝に行ったのかもしれないわね。
句郎 しばらくは夏の初めの季節を涼んでいたいと思ったのかもしれない。
華女 この句は確かにそれだけの句なのかもしれないわね。そのように読めるもの。
句郎 「ほととぎす裏見の滝の裏表」という句も詠んでいる。表から滝を見ると時鳥
   の鳴き声が聞こえるが滝の裏側に回って滝を見るとホトトギスの鳴き声が滝の
   音にかき消されるが恨みだと。「裏見」と「恨み」を掛詞にして詠んでいる。
   ただそれだけの言葉遊びをしている句のようだ。「ほととぎす隔つか滝の裏表」
   という杉風宛に書いた曾良の書簡にある句もおなじような句だね。
華女 この三つの句の中では「しばらくは瀧にこもるや夏の初め」が一番気持ちが伝
   わるわ。
句郎 確かに僕もそう思うよ。だから「おくのほそ道」にはこの句を採用したんだろうね。
華女 いろいろ芭蕉さんも推敲しているのね。
句郎 この句を久富哲雄は「僧侶の夏行の初めのような気持ちになって滝に籠ることであ
   る」と読んでいるが、深読み過ぎないかな。しばらく滝を見て涼んでいたい。この
   解釈がすっきりしているように思うけどね。