夏草や兵(つはもの)どもの夢の跡 芭蕉
句郎 平泉に行ったことある。
華女 もちろん、行ったことあるわよ。
句郎 印象に残っている所はどこ。
華女 そうね。毛越寺(もうつうじ)の浄土庭園が印象に残っているわ。
句郎 毛越寺には芭蕉自筆だという「夏草や兵(つはもの)どもの夢の跡」の句碑があったことを覚えているな。
華女 奈良・斑鳩にいるような景色だったような気がするわ。
句郎 僕もそんな気がしたことを覚えている。特に平泉駅のホームから眺めた景色が奈良に来たという感じがしたこ とを覚えている。
華女 盆地のような印象よね。
句郎 そうなのかな。僕は毛越寺で思い切り梵鐘を搗いたことがあるよ。気持ちがすっきりした。
華女 へぇー、そんなことをしたの。周りにいた拝観者は迷惑したんじゃないかしら。
句郎 そんなことないと思うよ。拝観者は今、毛越寺にいると実感したんじゃないかと思うよ。
華女 芭蕉が「夏草や兵(つはもの)どもの夢の跡」と詠んだ気持ちが伝わってきるような景色を実感したわ。
句郎 芭蕉がこの句を詠んだ背景を何も知らなくとも誰でもが読んですぐ伝わる句だね。
華女 そう私も思うわ。でも平泉に来て、あゝここで義経軍が追討軍と戦ったところなんだと思うと芭蕉の思い入れが分かるような気もしてくるということかしらね。
句郎 いつだったか、テレビの俳句番組を見ていたら、金子兜太さんが出てきて、「夏草や兵(つはもの)どもの夢の跡」を挙げ「この句は有名な句だけれども私は良くないと思う」。このようなことを言っていたのを覚えている。
華女 何が良くないの。
句郎 金子兜太さんは「夢の跡」が良くないと言っていた。
華女 どうしてなのかしら。
句郎 「夢の跡」という言葉が醸すイメージが良くないということんじゃないかとおもうけど。
華女 あゝなるほどね。でも私は義経軍の敗北に涙した芭蕉の気持ちも分かるわ。
句郎 芭蕉は大変な義経ファンだったから、夏草だけが生茂る野原を見て、ここが古戦場だったのかという感慨があったんだろうね。
華女 そうなんじゃないかしらね。金子兜太さんはどのように添削するのかしらね。
句郎 「夏草」と「兵どもの夢の跡」は動かないと思うけど。
華女 源義経は映画や小説にはなっても高校の日本史の授業なんかではほとんど取り上げられることはないわね。
句郎 そうなんだ。講談のヒーローではあっても歴史上大きな役割を果たしたとは言えないようだ。
華女 そうなの。頼朝の方が大きな歴史的仕事をしたのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。日本の封建社会の政治の仕組みを作り上げた人が頼朝らしいからね。
華女 芭蕉は読み物、講談の世界に生きた人なのね。
句郎 いや、文学の世界に生きた人なんじゃないかな。
華女 文学の世界に生きた人とは、どういうことなの。
句郎 談林派という笑いの俳諧から出発した芭蕉は俳諧を文学にしたということだよ。