醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1042号   白井一道

2019-03-31 10:28:47 | 随筆・小説





   うらやましうき世の北の山櫻   芭蕉



句郎 この句の「うき世の北」が何を意味するのかが分からなければ、何を表現した句かが分からない。
華女 「うき世の北」は何を意味しているのかしらね。
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』にあるこの句の注釈には次のようある。「是ははせお庵の叟(おきな)、武の深川より越のしらねにおくり申されし奉納の句意」とある。芭蕉が江戸深川の芭蕉庵より金沢の門人句空宛に書いた書簡のことのようだ。
華女 「うき世の北」とは、北国金沢のことを意味しているということなのね。金沢の隠喩ね。隠喩というのは伝わりにくいのよね。句空さんには伝わったかもしれないけれど、三百年後の私たちには伝わらないわ。
句郎 芭蕉が句空に送った手紙が今に伝わっている。「北海集之事、序之事、申被レ越候。尤とりあへずしたゝめ可レ申事ながら、遠境心にもまかせず候へば、延引に成候而気の毒に存候間、其元に而いかやう共なぐり可レ被レ成候。愚句両吟にて御わび申度候。愚作交り過たるもよろしからず候。猶急便故早々。」                         はせを
華女 句空さんが『北海集』を編みたいので師、芭蕉の序文をお願いしたところ、芭蕉は句空の序文執筆を断り、代わりに送った句が「うらやまし」の句だったということなのね。
句郎 この時、芭蕉は二句を送っている。一つが「うらやまし」の句、もう一つが「ともかくもならでや雪の枯尾花」だったようだ。
華女 元禄時代は通信がかなり発達していたのね。『おくのほそ道』の旅を通じて江戸で知り合った知人を訪ねると同時に旅で知り合った人とも江戸に帰った後、手紙でのやり取りがあったということなのよね。
句郎 芭蕉は友人、知人を大切にした俳諧師だったということかな。
華女 ファンを大切にする芸能人だったということかもしれないわ。
句郎 句空は、金沢卯辰山のふもとに住んでいることを芭蕉は知っていた。だから芭蕉は句空を「山桜」にたとえたのかもしれない。
華女 句空さん、あなたの住んでいる金沢は静かな場所でうらやましい。私は今江戸にあってよろず浮世のいざこざに悩まされて、まいっています。このような意味ね。
句郎 芭蕉と句空の二人にしかにしか伝わらない句なのかもしれないな。隠喩法で詠んだ句には迫力が出ない。そんなことがこの句を読むと分かるな。


醸楽庵だより  1041号  白井一道

2019-03-30 12:53:43 | 随筆・小説



 「朝鮮半島の今を知る」(文在寅大統領をどう見るか・文在寅政権の歴史的課題と日韓関係)一橋大学准教授権容奭(コォン・ヨンソク)さんの話をyou tubeで聞いた。



侘助 コォン・ヨンソクさん、いいなぁー。韓国映画『弁護士』を見て涙をこぼしたという。涙もろいコォンさん、いい。コォンさんは文在寅大統領が好きなんだと思った。文在寅韓国大統領は韓国国民に優しい、深く愛している。これは間違いないとコォンさんは確信している。1980年5月18日、全羅南道の道庁所在地であった光州市を中心に全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕に抗議する学生デモを支援する市民が戒厳軍によって虐殺される事件があった。私はこの事件のドキュメントフィルムを見た記憶がある。権力の恐ろしさに身が凍る思いをした。
呑助 韓国の軍事政権は残酷ですね。
侘助 この事件に対してアメリカ政府も日本政府も何もしなかった。黙って容認したのだ。
呑助 中国で同じような出来事がありましたね。
侘助 六四天安門事件かな。天安門事件は、1989年6月4日、胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中華人民共和国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力で鎮圧、多数の死傷者を出した事件がある。この事件に対してアメリカ、中華民国、フランス、西ドイツを含む各国は、武器を持たぬ市民を手当たり次第に大虐殺した蛮行に対して譴責あるいは抗議を発表し、G7による対中首脳会議の停止、武器輸出の禁止、世界銀行による中国への融資の停止などの外交制裁を実施した。
呑助 西側諸国の対応は社会主義国には厳しく、軍事政権の国には優しいですね。
侘助 光州5.18記念式典において文在寅韓国大統領は次のような演説をした。「尊敬する国民の皆様。
今日5.18民主化運動37周年を迎え、5.18墓地に立って、非常に感慨深いです。37年前、あの日の光州は、私たちの現代史で一番悲しくて痛ましい場面でした。
私は80年5月の光州市民をまず思い浮かべます。誰かの家族であり、隣人でした。平凡な市民であり、学生でした。彼らは人権と自由を抑圧されない、平凡な日常を守るために命をかけました。私は大韓民国の大統領として、光州の英霊の前で深く感謝申し上げます。5月の光州が残した痛みや傷を秘めたまま、今日を生きていらっしゃる遺族と負傷者の皆様にも深い慰労の言葉を申し上げます。
1980年5月の光州は今なお生きている現実です。いまだに解決されていない歴史です。大韓民国の民主主義は、この悲劇の歴史を踏みしめて立ち上がりました。光州の犠牲があったからこそ、私たちの民主主義は持ちこたえて、再び立ち上がることができました。私は5月の光州の精神でもって、民主主義を守ってくださった光州市民と全南道民の皆様に格別の尊敬の言葉を差し上げます。
尊敬する国民のみなさん。
5.18は不義の国家権力が国民の生命と人権を蹂躙した私たちの現代史の悲劇でした。 しかし、これに対抗した市民の抗争が民主主義の道しるべを立てました。真実は長い間隠蔽され、歪曲され、弾圧されました。しかし、厳しい独裁の暗やみの中でも、国民ら、光州のともしびをたどって一歩ずつ進みました。光州の真実を伝えることが民主化運動となりました。
釜山で弁護士として活動した私も違いませんでした。私自身も5.18の時に拘束されましたが、私が経験した苦痛は大したことではありませんでした。光州の真実は私にとって無視できない怒りで、痛みをともに分かち合うことができなかったという、あまりにも大きな負い目でした。その負い目が民主化運動に乗り出す勇気をくれました。それが私を今日この席に立たせるまで成長させてくれた力になりました。
5月の光州はとうとう、昨冬に全国を灯した偉大なろうそく革命として復活しました。不義に妥協しない怒りと正義が、そこにありました。国の主人は国民であることを確認する喊声が、そこにありました。国を国らしくしようという激しい情熱とひとつになった心が、そこにありました。
私はこの場であえて申し上げます。新たに発足した文在寅政府は、光州民主化運動の延長線上に立っています。1987年6月抗争と金大中政権、盧武鉉政権の流れを継いでいます。
私はこの場で誓います。新政府は5.18民主化運動とろうそく革命の精神を重んじ、この地の民主主義を完全に復元するでしょう。光州の英霊が安らかに眠れるよう、成熟した民主主義の花を咲かせます。
私たちの社会の一角では依然として、5月の光州を歪曲して毀損しようとする試みがあります。容認できないことです。歴史を歪曲して民主主義を否定することです。私たちは多くの人々の犠牲と献身で成し遂げられたこの地の民主主義の歴史に自負心を持たなければなりません。
新政府は5.18民主化運動の真相を究明するのに、大きな更なる努力をします。ヘリコプター射撃まで含めて、発砲の真相と責任を必ず突き止めます。5.18関連資料の廃棄や歴史歪曲を防ぎます。全南道庁(*1)の復元問題は、光州市と協議して協力します。
完全な真相究明は進歩と保守の問題では決してありません。常識と正義の問題です。私たち国民みなが共に培わなければならない民主主義の価値を保存することです。
5.18精神を、憲法前文に盛り込むという私の公約も必ず守ります。光州の精神を憲法に継承する真の民主共和国の時代を切り拓きます。5.18民主化運動はやっと全ての国民が記憶して学ぶ、誇らしい歴史として位置付けられます。5.18精神を憲法前文に盛り込み、改憲を完了できるようにこの場を借りて国会の協力と国民の皆様の同意を丁寧にお願い申し上げます。
尊敬する国民の皆さん。
「あなたのための行進曲」は単なる歌ではありません。5月の血と魂が凝縮された象徴です。5.18民主化運動の精神、そのものです。「あなたのための行進曲」を歌うのは犠牲者の名誉を守り、民主主義の歴史を記憶しようということです。今日「あなたのための行進曲」の斉唱はこれまで傷ついた光州の精神をもう一度蘇らせることになるでしょう。今日の斉唱でもって不要な論争が終わることを望みます。
尊敬する国民のみなさん。
2年前、珍島・彭木港に5.18の母が4.16の母に送った横断幕がありました。「あなたの無念がよく分かる。頑張ってください。倒れないでください」という内容でした。国民の生命を踏みにじった国家と国民の生命を守れない国家を痛烈に叱る叫びでした。二度とこのような無念さが繰り返されないようにします。国民の生命と人の尊厳を天のように尊重します。私はそれが国家の存在価値だと信じます。
私は今日、5月の死と光州の痛みを自身のこととして世に知らせようとした多くの人々の犠牲と献身も共にたたえたいです。
1982年光州刑務所で光州真相究明のため、40日間の断食ののち、獄死した29歳、全南大学の学生のパク・ガンヒョン。
1987年、「光州事態責任者処罰」を叫びながら、焼身自殺した25歳、労働者のピョ・チョンドゥ。
1988年、「光州虐殺真相究明」を叫び、明洞聖堂教育館4階から投身自殺した24歳、ソウル大学の学生のチョ・ソンマン。
1988「光州は生きている」と叫び、崇実大学の学生会館の屋上で焼身自殺した25歳、崇実大学の学生のパク・レジョン。
多くの若者が5月の英霊の魂を慰め、身を投じました。責任者処罰と真相究明を促すため、命をかけました。国家が責任を放棄している時、すべからく明かして記憶すべきことのために自身を捧げました。真実を明かそうとしていた多くのジャーナリストや知識人も強制解雇されて投獄されました。
私は5月の英霊らと共に、彼らの犠牲や献身を無駄にすることなく、これ以上、悲痛な死と苦難がない大韓民国へと進みます。誠(真実)が嘘に勝つ大韓民国へと進みます。
光州市民にもお願い申し上げます。光州の精神で犠牲となり、生涯を生きてきた全国の5.18をともに記憶してください。もう差別と排除、銃刀の傷跡が残した痛みを踏まえて、光州が正義の国民統合の先頭に立ってください。光州の痛みが痛みにとどまらず国民みんなの傷と葛藤を抱く時、光州が差し出した手は最も丈夫で、強い希望になるでしょう。
尊敬する国民の皆さん。
5月の光州の市民らが分かち合った「おにぎりと献血」こそ私たちの自尊の歴史です。民主主義の本当の姿です。命が去来する極限状況でも、節制力を失わず、民主主義を守り抜いた光州の精神はそのままろうそく広場で復活しました。ろうそくは5.18民主化運動の精神の上で国民主権時代を開きました。国民が大韓民国の主人であることを宣言しました。文在寅政府は国民の意思を尊重する政府となることを光州の英霊の前で宣明します。
互いが互いのために、互いの痛みを労わう大韓民国が、新しい大韓民国です。常識と正義の前に手を差し出す人たちが多くなるほど、崇高な5.18精神は現実の中で生きる価値として完成することでしょう。
もう一度、謹んで5.18英霊らの冥福を祈ります。
ありがとうございます。」
呑助 立派な演説ですね。
侘助 日本の安倍総理にはこのような格調高い演説はできないだろうな。安倍晋三氏と文在寅韓国大統領を比べてみると見劣りするね。韓国文在寅大統領こそが民主主義国の大統領だと思うね。
  

醸楽庵だより   1040号   白井一道

2019-03-29 07:34:58 | 随筆・小説



  3・1朝鮮独立万歳事件「宣言書」


 第一次世界大戦中の1917年、ロシアでは革命が起きる。この革命によってロシア帝国が崩壊し、ソビエト政府が成立する。レーニン率いるソビエト政権は第2回全ロシア・ソビエト大会で「平和に関する布告」を発表する。その内容は「無賠償」・「無併合」・「民族自決」に基づく即時講和を第一次世界大戦の全交戦国に提案したものであり、ロシア最初の対外政策であった。この平和に関する布告は、ウッドロウ・ウィルソンに「世界に貴重な原則を示した」と称えられ、当時のドイツ、オーストリア・ハンガリーの労働者だけではなく、諸外国の民衆に多大な影響を与えた。その一つが日本の植民地下にあった朝鮮民族の覚醒を促した1919年3月1日に発表された「宣言書」である。戦勝国は敗戦国に賠償金を求めてはならない。戦勝国は敗戦国の領土を奪ってはならない。戦勝国は敗戦国の民族の自決を尊重しなくてはならない。この精神を継承した第二次世界大戦の戦勝国中国の中華人民共和国総理周恩来は敗戦国日本の総理田中角栄に対して賠償金の支払いを要求しなかった。
 1919年から100年目に当たる今年、2019年3月1日、韓国では記念式典が行われた。この式典で1919年3月1日に配布された「宣言書」が読まれた。それを翻訳したものを転載させていただきました。
3・1運動の「宣言書」の現代日本語訳
宣言書
 わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する。このことを世界の人びとに伝え、人類が平等であるということの大切さを明らかにし、後々までこのことを教え、民族が自分たちで自分のことを決めていくという当たり前の権利を持ち続けようとする。
 5000年の歴史を持つわたしたちは、このことを宣言し、2000万人の一人ひとりがこころを一つにして、これから永遠に続いていくであろう、わたしたち民族の自由な発展のために、そのことを訴える。そのことは、いま、世界の人びとが、正しいと考えていることに向けて世の中を変えようとしている動きのなかで、いっしょにそれを進めるための訴えでもある。
 このことは、天の命令であり、時代の動きにしたがうものである。また、すべての人類がともに生きていく権利のための活動でもある。たとえ神であっても、これをやめさせることはできない。
 わたしたち朝鮮人は、もう遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって、初めて異民族の支配を受けることとなった。自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちはわたしたちの生きる権利をさまざまな形で奪った。そのことは、わたしたちのこころを苦しめ、文化や芸術の発展をたいへん妨げた。民族として誇りに思い大切にしていたこと、栄えある輝きを徹底して破壊し、痛めつけた。そのようななかで、わたしたちは世界の文化に貢献することもできないようになってしまった。
 これまで押さえつけられて表に出せなかったこの思いを世界の人びとに知らせ、現在の苦しみから脱して、これからの危険や恐れを取り除くためには、押しつぶされて消えてしまった、民族として大切にして来た心と、国家としての正しいあり方を再びふるい起こし、一人ひとりがそれぞれ人間として正しく成長していかなければならない。
 次世代を担う若者に、いまの状況をそのままとしていくことはできないものであり、わたしたちの子どもや孫たちが幸せに暮らせるようにするためには、まず、民族の独立をしっかりとしたものにしなければならない。2000万人が固い決意を相手と闘う道具とし、人類がみな正しいと考え大切にしていること、そして、時代を進めようとするこころをもって正義の軍隊とし、人道を武器として、身を守り、進んでいけば、強大な権力に負けることはないし、どんな難しい目標であってもなしとげられないわけはない。
 日本は、朝鮮との開国の条約を丙子年・1876年に結び、その後も様々な条約を結んだが、〔朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず〕そこに書かれた約束を破ってきた。
 しかし、そのことをわたしたちは、いま非難しようとは思わない。日本の学者たちは学校の授業で、政治家は会議や交渉の際に、わたしたちが先祖代々受け継ぎ行なってきた仕事や生活を遅れたものとみなして、わたしたちのことを、文化を持たない民族のように扱おうとしている。彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる。
 わたしたちは、わたしたちが作り上げてきた社会の基礎と、引き継いできた民族の大切な歴史や文化の財産とを、彼ら日本人が馬鹿にして見下しているからといって、そのことを責めようとはしない。わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。いまこの時を大切にして急いでいるわたしたちは、かつての過ちをあれこれ問題にして批判する暇はない。
 いま、わたしたちが行なわなければならないのは、よりよい自分を作り上げていくことだけである。他人を怖がらせたり、攻撃したりするのではなしに、自ら信じるところにしたがって、わたしたちは自分たち自身の新しい運命を切り開こうとするのである。決して昔の恨みや、一時的な感情で、ほかの人のことをねたんだり、追い出そうとしたりするわけではない。
 古い考え方を持つ古い人びとが力を握って、そのもとで手柄を立てようとした日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。
 もともと、日本と韓国(注・大韓帝国)との併合は、民族が望むものとして行なわれたわけではない。その結果、威圧的で、差別・不平等な政治が行なわれている。支配者はいいかげんなごまかしの統計数字を持ち出して自分たちが行なう支配が立派であるかのようにいっている。
 しかしそれらのことは、二つの民族の間に深い溝を作ってしまい、互いに反発を強めて、仲良く付き合うことができないようにしている、というのが現在の状況である。きっぱりと、これまでの間違った政治をやめ、正しい理解と心の触れあいに基づいた、新しい友好の関係を作り出していくことが、わたしたちと彼らとの不幸な関係をなくし、幸せをつかむ近道であるということを、はっきり認めなければならない。
 また、怒りと不満をもっている、2000万の人びとを、力でおどして押さえつけることでは、東アジアの永遠の平和は保証されないし、それどころか、東アジアを安定させる際に中心になるはずの中国人の間で、日本人への恐れや疑いをますます強めるであろう。
 その結果、東アジアの国々は共倒れとなり、滅亡してしまうという悲しい運命をたどることになろう。いま、わが朝鮮を独立させることは、朝鮮人が当然、得られるはずの繁栄を得るというだけではなく、そうしてはならないはずの政治を行ない、道義を見失った日本を正しい道に戻して、東アジアをささえるために役割を果たさせようとするものであり、同時に、そのことで中国が感じている不安や恐怖をなくさせようとするためのものである。つまり、朝鮮の独立はつまらない感情の問題として求めているわけではないのである。
 ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。
 新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。
 そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう。
 わたしたちはここに奮い立つ。良心はわれわれとともに進んでいる。老人も若者も男も女も、暗い気持ちを捨てて、この世の中に生きているすべてのものとともに、喜びを再びよみがえらせそう。
 先祖たちの魂はわたしたちのことを密かに助けてくれているし、全世界の動きはわたしたちを外側で守っている。実行することはもうすでに成功なのである。わたしたちは、ただひたすら前に見える光に向かって、進むだけでよいのである。
公約三章
一、今日われわれのこの拳は、正義、人道、生存、身分が保障され、栄えていくための民族的要求、すなわち自由の精神を発揮するものであって、決して排他的感情にそれてはならない。
一、最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当なる意志をこころよく主張せよ。
一、一切の行動はもっとも秩序を尊重し、われわれの主張と態度をしてあくまで公明正大にせよ。
 朝鮮建国四千二百五十二年三月一日
  朝鮮民族代表
孫秉煕 吉全宙 李弼柱 白龍城 金完圭 金秉祚
金昌俊 權東鎮 權秉悳 羅龍煥 羅仁協 梁甸伯
梁漢默 劉如大 李甲成 李明龍 李昇薰 李鍾勳
李鍾一 林礼煥 朴準承 朴煕道 朴東完 申洪植
申錫九 呉世昌 呉華英 鄭春洙 崔聖模 崔麟
韓龍雲 洪秉箕 洪基兆
現代語訳/3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン
※『週刊金曜日』第1221号(2019年2月22日)より転載。
転載にあたり、ウェブ画面であることを考慮して改行を加えたこと、ご了承ください。
IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。IWJ一般会員:白井一道

醸楽庵だより  1039号  白井一道

2019-03-28 15:38:14 | 随筆・小説


  独饅頭を食べた中田宏樹将棋プロ棋士八段



侘助 99%負けていた将棋を指していた高校一年生プロ棋士藤井聡太7段は最終番、中田宏樹8段に毒饅頭を餌にして討っちゃった。
呑助 将棋は逆転のゲームだと聞きますが、大逆転ですね。
侘助 中田8段は54歳の将棋棋士、日本将棋界の大御所と言っても言い過ぎでない人格者のように見える人かな。
呑助 藤井7段というのは、まだ16歳の少年ですよね。
侘助 将棋界というのは天才の集まりだと言う人がいるくらいだからね。
呑助 先日、1981年放送のNHKアーカイブス「勝負~名人への遠い道~」を見ましたよ。奨励会3段、年齢制限で将棋界を退会した鈴木英春氏のドキュメントを見ましたよ。最後は泪に目が曇りました。
侘助 もう38年も前の放送だな。その頃より今はもっと厳しい規則になっているようだ。
呑助 今は年齢制限も引き下げられているように聞きますね。
侘助 鈴木英春さんの頃は30歳までに4段に昇段しないと退会したようだが、現在は25歳までに4段に昇段しないと退会なるようだ。
呑助 三段リーグで上位二位にならないと4段になれないらしいですね。
侘助 奨励会三段リーグというのはとても厳しいようだ。
呑助 奨励会3段の棋士は何人いるのですかね。
侘助 奨励会3段の棋士は現在33名いる。半年かけて19戦を戦う。2018年10月から2019年3月まで19戦、戦い上位2名が4段に昇級する。この3月に4段昇級した棋士は23歳と22歳だった。
呑助 藤井聡太君は中学二年生、14歳の時にプロ棋士4段に昇級したことがニュースになった理由がわかりますね。
侘助 藤井聡太君は16歳で今や押しも押されもしない7段の棋士になった。
呑助 朝日杯戦では昨年に続き今年も優勝しているのでしょ。
侘助 順位戦C級一組のリーグ戦で9勝1敗の成績を藤井7段は上げたが、順位のため、B級2組への昇級を逃した。
呑助 圧倒的な強さですね。
侘助 中田8段も強い。中田8段は、プロ入り後の約20年間、年28勝のペースで勝ち星を積み上げ、勝数によって42歳の時に8段に昇段した。年間20勝することはなかなか難しいと言われているようだよ。その中で28勝という数字は、年度ランキング10位前後に相当する勝数のようだ。
呑助 3月27日、行われた中田8段対藤井7段の将棋は何戦ですか。
侘助 読売新聞が主催する竜王戦4組、ランキング戦だった。竜王戦の優勝賞金は4320万円、将棋界最高の賞金だ。だからもっとも厳しい戦いだともいえる。現役棋士全員と女流棋士4名・奨励会員1名・アマチュア5名が参加して行われている。1組から6組まで順位が付いている。6組から出発した藤井7段は今や4組に在籍している。
呑助 中田8段との対戦は何回戦だったのですか。
侘助 一回戦が村田6段、二回戦が畠山8段、3回撰が中田8段との対戦だった。あと2回勝つと4組優勝だ。4組で優勝すると竜王挑戦権獲得のためのトーナメント戦に参加することになる。
呑助 竜王挑戦権を獲得するのはまだまだですね。
侘助 今回の竜王戦4組ランキング戦は藤井7段の苦戦だった。序盤から終盤に至るまで藤井7段が苦戦していた。
呑助 毒饅頭を食って中田8段は敗れたということはどういうことですか。
侘助 藤井7段は絶体絶命の状態だった。中田8段は桂馬に紐をつけて藤井7段の駒「銀」の頭に「歩」を打った。藤井7段は銀の駒を右斜め下、龍という駒の隣の1段下の枡に下がった。この銀が毒饅頭だった。中田8段は数分考えて隣の升目に下がってきた駒「銀」を取り上げ、龍は一列隣の枡に移った。竜の位置がずれたことを確認した藤井7段は龍で中田8段の駒、金を取り、一挙に詰ましてしまった。藤井7段は詰将棋の名将だからね。中田8段は静かに頭を下げた。


醸楽庵だより  1038号  白井一道

2019-03-27 14:45:01 | 随筆・小説


 かのように

侘助 『かのように』。森鴎外の書いた短編小説をノミちゃん読んだことある。
呑助 高校生のころ、読んだような記憶がありますが、何が書いてあったのか、全然覚えていませんね。
侘助 森鴎外はドイツに留学しハンス・ファイヒンガーの著書『かのようにの哲学』を読み、懐疑することを学んだのだと思う。
呑助 疑うということですか。
侘助 ヨーロッパ大陸の哲学はデカルトに始まると言われているからね。デカルトの哲学は懐疑主義だからね。
呑助 何を疑ったのですか。
侘助 「もの」の存在ということが究極的なことだった。
呑助 「もの」の存在を疑ったということですか。
侘助 鴎外が書いている。「物質と云うものでからが存在はしない。物質が元子から組み立てられていると云う。その元子も存在はしない。しかし物質があって、元子から組み立ててあるかのように考えなくては、元子量の勘定が出来ないから、化学は成り立たない」とね。
呑助 昔、聞いた話です。花は存在しないという話です。存在しているのは個々の花そのものであって、一般名詞としても花は存在しないということを聞いたことがありますね。
侘助 森鴎外が書きたかったことは、神話の存在だった。神話は存在したのか、どうかということだった。
呑助 『古事記』に書いてあることは本当のことなのか、それともウソなのかということですか。
侘助 明治政府は天皇を神聖化するため、神話の存在を実話だと宣伝していたからな。
呑助 森鴎外自身が神話の実在を疑ったということなんですね。
侘助 「ある思想が真理ではなく正確でもない、つまり虚偽であると分かっていたとしても、それだけでその思想が実践的に無価値で役に立たない、ということにはならない。なぜなら、このような思想は、理論的には無価値ではあるが、実践的には大きな重要性を備えているかもしれないからである」。このようなことをファイヒンガーは述べている。ここに鴎外は救いを求めて明治政府の高官としての地位を保ったということだと思う。
呑助 神話は事実ではなくても日本国を統治していくうえで実践的に価値ある神話だということですか。
侘助 森鴎外は神話の実在を懐疑したが、実践的な意義を認め、神話を容認した。
呑助 鴎外は明治政府の現実を受け入れたということですね。
侘助 今、マルクスの思想は死んだかのような言説が流布している。しかし生きている。と、私は考えている。
呑助 ソ連の崩壊が社会主義の崩壊、マルクス主義の死のような雰囲気が今の日本にはあるように感じますね。
侘助 マルクスが解明した資本主義経済の本質は普遍的な真実だと思う。資本主義経済制度や資本主義的な政治制度もまた歴史的な存在だと言う主張も真実だと思う。
呑助 封建的な経済制度が歴史的なものであったようにですか。
侘助 農業が産業の主体であった時代の経済制度が封建制度であった。産業革命によって人間社会の産業の主体が農業から工業に変わった時の経済の仕組みが資本主義だ。工業生産が主体である社会では資本主義経済が適応しているが産業の中心が工業から情報産業になると資本主義経済では対応できなくなると考えているんだ。
呑助 情報産業は急激に成長するようですね。
侘助 gafaかな。二十年しない内に世界的な巨大企業に成長したからな。
呑助 インターネット関連企業ですね。再生可能エネルギー産業でしようか。太陽光発電は今や、一キロワット一円ぐらいで供給できるようになってきているらしいですからね。
侘助 中国の経済力はすでにアメリカを追い抜いている。IMFが2014年に平価ベースでは中国はアメリカを追い抜いている。自然エネルギーと情報産業が主体になる社会はきっと資本主義ではなく、社会主義経済になるのではないかと思うな。


醸楽庵だより  1037号  白井一道

2019-03-25 17:13:34 | 随筆・小説



  イギリスのEU離脱



 資本主義経済の仕組みはイギリスに生まれ、世界中に広がっていった。資本主義の宗主国である。そのイギリスが資本主義に意義を唱え、EUからの離脱を求めている。いよいよ資本主義の黄昏から死滅に至る道を歩み始めた。
 産業革命はイギリス人民の血と汚物にまみれて実現した。産業革命は資本主義経済の仕組みを成立させ、発展させ、世界の人々の生存を脅かす第二次世界大戦、第三次世界大戦に匹敵する冷戦を引き起こした。
 第一次産業革命はイギリスの農村から始まった。中世社会の制約の弱い農村地帯から新しい産業が生れてきた。綿布生産がイギリスの当時農村地域だったマンチェスターで始まった。マンチェスターからリバプールまで鉄道ができた。マンチェスターで生産された綿布はインドに輸出され、インドの手織り綿布生産者の仕事を奪った。リバプールの奴隷商人は西アフリカの黒人を使って奴隷狩りをさせ、その奴隷をカリブ海地域の砂糖プランテーション経営者に売った。インドから輸入した紅茶にカリブ海砂糖プランテーション経営者から輸入した砂糖を紅茶に入れ、低賃金で働く労働者に綿布生産経営者は紅茶を飲ませた。イギリス産業資本家は自国人民を太陽のない街で働かせ、肺結核患者を増大させることが産業資本家の豊かな生活を実現した。イギリス産業資本家の豊かな生活を支えたのはイギリス人民であり、カリブ海プランテーションで奴隷労働をさせられた西アフリカ黒人たちだった。イギリス綿布生産の隆盛はインド綿布生産者の没落だった。イギリスの産業革命はエンクロージャー、農地を囲い込まれた結果、農村から追い出された農民たちに不幸をもたらし、インド人綿布生産者たちに不幸を、西アフリカの黒人は奴隷にされた。イギリスの栄光の裏にはインド人や西アフリカ黒人の泪があった。
 第二次産業革命もまた一部の人々を豊かにすると同時に世界中の大多数の人々に不幸をもたらした。イギリスの産業革命によって成立したのは綿布生産、すなわち軽工業であった。重工業の第二次産業革命の中心地となるのはイギリスではなくドイツとアメリカであった。重工業を成立させるためには巨大な資本を必要とする。スペインから独立したオランダは冒険心に富む商人たちの国だった。我々は海乞食、ゴイセンと名乗り、アジアとの交易によってゴイセンは巨万の富を築いた。彼らは成功報酬の株券を売り、資本を築き、インドへの交易に乗り出していた。株式会社「オランダ東インド会社」の成立である。株式会社はオランダで発明され、成立した。冒険には危険がついてまわる。危険な富の約束、これが投資である。株式会社の普及が重工業を成立させた。すなわち鉱工業、製鉄業、鉄鋼業、機械工業、発電業、造船業などの成立は株式会社の普及なしには成立しなかった。19世紀後半になるとドイツ、アメリカにおいて株式会社が普及すると第二次産業革命が進むと同時に海外での植民地獲得競争が激しくなる。植民地を持つ国々、英仏ロの三国協商を結ぶ国々と植民地の分け前を求める独墺伊の三国同盟とが戦った戦争が第一次世界大戦だった。飽くなき富の追及を求め続ける資本主義経済は一方に巨大な富を築く一方、他方には貧困を生む。第一次世界大戦は社会主義国家を出現させた。
 第二次世界大戦は第一次世界大戦とはくらべもののならないほどの被害を世界中の人々に与えた。第二次世界大戦とは、何を戦ったのかというと、それは第一次的には危険な資本主義ファシズムと民主主義的な資本主義との戦いであった。がしかし、本質は反植民地主義と社会主義を打倒することであった。資本主義経済打倒を目的とする社会主義国家の打倒、反植民地運動、中国における民族解放闘争の打倒であった。結果は社会主義国家ソ連の打倒には失敗し、また中国における民族解放闘争にも失敗という結果であった。そのため第二次世界大戦が終わるとすぐ米ソ冷戦が始まり、中国では国共内戦が始まった。
アメリカを中心にした西側は中国の社会主義化を阻止するため蒋介石の国民党を支援したが1949年に中華人民共和国が成立した。その余勢か、スターリンの野望か、1950年には朝鮮戦争が始まる。朝鮮戦争への協力を日本占領軍司令官マックァーサーに約束させられた日本政府は独立することができた。それが1951年のサンフランシスコ平和条約であった。戦後日本の保守政治家は米軍への忠誠を誓うことによって救われた人々だった。その代表者が岸信介だった。私は小学校の旅行で国会議事堂見学に行ったときに岸信介氏が私たち小学生に微笑んで手を振ってくれたことを覚えている。
 米ソ冷戦は軍拡競争の結果、ソ連は敗北した。軍拡競争はソ連社会の経済を破壊してしまった。資本主義に変わる社会主義経済の在り方がまだ出来上がっていないということが分かった。ソ連の敗北が社会主義の敗北ではない。ソ連は社会主義への道を踏み外してしまった。その結果、崩壊した。
 現代は社会主義への道を模索している時代であると同時に資本主義崩壊への道がこくこくと迫っている時代である。その一つの表れがイギリスのEU
離脱であると私は考えている。なぜならイギリス資本主義経済の存続を模索するならEU残留の道が正しい。しかしイギリス国民はEU離脱の道を選んだ。もともとEU成立過程の本質はヨーロッパの社会主義化を阻止することであった。イギリスがEUから離脱するということはイギリスの資本主義を弱める働きをするだろう。資本主義勢力が弱体化すると必然的に自由より平等を求める人々の要求が強まってくるに違いない。自由は強い者が求め、平等は弱い者が求める傾向があるから。我らは強い者だと自覚した人々だったイギリス人が自分たちは弱い者だという自覚をする時が来たということなのかもしれない。イギリスはこれからますます弱体化し、国際社会における存在感がなくなっていく道を歩むことがイギリス人の幸せの道であるとイギリス国民は考えている。大国主義から小国主義の道を歩み始めるということだと私は理解している。軍事費を大幅に削減し、身の丈に合った経済社会を築いていくならば、紆余曲折はあるだろうが、揺り籠から墓場までの福祉国家を実現し、国民が幸せに暮らせる国になっていくことだろう。

醸楽庵だより  1036号  白井一道

2019-03-25 17:13:34 | 随筆・小説



 両の手に桃と桜や草の餅   芭蕉


華女 この句を芭蕉はいつ詠んでいるのかしら。
句郎 元禄5年3月3日に詠んだと言われている。この句には次のような前詞が付いている。「富花月、草庵に桃桜あり、門人に其角嵐雪あり」と。
華女 桃と桜は比喩なのね。桜が門人高弟の其角、桃が門人の嵐雪ということね。
句郎 『おくのほそ道』の旅を終え、近江近辺での滞在を止め、江戸に帰ってきた。江戸の門人たちの協力を得て、第三次芭蕉庵が江戸深川に出来上がった。その真新しい芭蕉庵で芭蕉は其角、嵐雪を招き、歌仙を巻いた。その歌仙の発句が「両の手に桃と桜や草の餅」だったようだ。
華女 芭蕉は孤高の詩人というイメージがあるように思うけれども、門人を労い、一緒に人生を楽しむ一面をもった人だったように思うわ。
句郎 清水哲男氏はこの句を評して次のようなことを書いている。「季語は「桃(の花)」と「さくら(桜)」と「草(の)餅」とで、春。彩り豊かな楽しい句だ。この句は芭蕉が『おくのほそ道』の旅で江戸を後にしてから、二年七ヶ月ぶりに関西から江戸に戻り、日本橋橘町の借家で暮らしていたときのものと思われる。元禄五年(1692年)。この家には、桃の木と桜の木があった。折しも花開いた桃と桜を眺めながら、芭蕉は「草の餅」を食べている。「両の手に」は「両側に」の意でもあるが、また本当に両手に桃と桜を持っているかのようでもあり、なんともゴージャスな気分だよと、センセイはご機嫌だ。句のみからの解釈ではこうなるけれど、この句には「富花月。草庵に桃櫻あり。門人にキ角嵐雪あり」という前書がある。「富花月」は「かげつにとむ」と読み、風流に満ち足りているということだ。「キ角嵐雪」は、古くからの弟子である宝井基角と服部嵐雪を指していて、つまり掲句はこの二人の門人を誉れと持ち上げ、称揚しているわけだ。当の二人にとってはなんともこそばゆいような一句であったろうが、ここからうかがえるのは、孤独の人というイメージとはまた別の芭蕉の顔だろう。最近出た『佐藤和夫俳論集』(角川書店)には、「『この道や行人なしに秋の暮』と詠んだように芭蕉はつねに孤独であったが、大勢の弟子をたばねる能力は抜群のものがあり、このような発句を詠んだと考えられる」とある。このことは現代の結社の主催者たちにも言えるわけで、ただ俳句が上手いだけでは主宰は勤まらない。高浜虚子などにも「たばねる能力」に非凡なものがあったが、さて、現役主宰のなかで掲句における芭蕉のような顔を持つ人は何処のどなたであろうか。」
華女 芭蕉は孤高の詩人であると同時に浮世に生きる生活力と同時に企業経営者のような人を束ねる能力を兼ね備えた人だったということなのね。
句郎 芭蕉には寿貞という女性がいたと言われているしね。だから芭蕉は女の人も好きだったから女遊びもしたし、食べることも好き、世俗の世界を楽しむ一方、孤高の詩的世界に生きる人でもあった。
華女 清廉潔白、禁欲的な生活からは浮世に生きる人間の喜びや悲しみのようなものを詠むことはできないのかもしれないわ。
句郎 芭蕉は孤高の詩人であると同時に浮世を楽しみ生きる俗人でもあった。
華女 春日向、戸を開け、桃の花と桜を愛で、草餅を頬張っているのよね。ニコニコ顔の芭蕉が偲ばれるわ。
句郎 イタリアルネサンスの巨人たちは、清廉潔白な孤高の芸術家ではなかった。人間の食欲や性欲を肯定し、この世に生きる楽しみを求める人であった。享楽のドンちゃん騒ぎの中から偉大な芸術作品が生れてきた。
華女 芭蕉もまたそのような人だったのかもしれないわね。「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」という芭蕉の句は寿貞が亡くなった時に詠まれた句だと云われているのでしょ。芭蕉の女性に対する視線は優しさに満ちているように感じるわ。
句郎 芭蕉は女性にモテる男だったかもしれないな。若い男にも、友人の多い人だったように思う。だからこそ、芭蕉の句は芭蕉が亡くなっても師芭蕉の句を評価し、世に広めていった。
華女 芭蕉は生前当時の俳人たちから認められ、多くの門人に囲まれて生涯をおくった人だったのね。
句郎 亡くなった後に評価された俳人ではなかった。

醸楽庵だより  1035号   白井一道

2019-03-24 12:36:43 | 随筆・小説



    税金は無償の愛




句郎 税金は無償の愛だと同志社大学の先生である浜矩子さんが書いている文章を読んだ。
華女 国民は皆、無償の愛を施し合って生きているということなのね。それが本来の国というものの在り方だと思うわ。
句郎 生活に余裕のある人が無償の愛としての税金を喜んで支払う社会が本当の社会のように思うな。
華女 昔、定時制高校に勤めていた時、毎月五千円を学校に贈ってくれる匿名の人がいたわ。まさに無償の愛の施しを何年にもわたって行っていたのよ。
句郎 そのお金はどのように使ったの。
華女 職員会議で話合い、雨が降り出してきた日の傘にしようと言うことになり、生徒たちに傘を貸し出すことにしたような記憶があるわ。一番生徒たちのためになることは何かということを話し合って決めたことだったわ。
句郎 自分を大事にしてくれた学校、自分に生きていく力を授けてくれた学校、自分を無条件で受け入れてくれた学校、この学校がいつまでも続いて行ってほしいと願い、学校へ無償の愛としてお金を送り続ける。このようなものが税金であってほしいね。
華女 本当にそうだと思うわ。一所懸命働いて税金を払いたい。税金を払うのが喜びであるような社会になるといいなぁと思うわ。
句郎 安倍政権は必ずしも税金のすべてが国民のために使っていない現実を知った浜矩子さんは安倍政権を批判する意図をもって税金は無償の愛だと書いたのではないかと思う。
華女 きっとそうだと思うわ。沖縄の辺野古に日本の税金で米軍のための新基地を何兆円ものお金をかけて造ることに沖縄県民は反対の意思表明をしているのにもかかわらず、沖縄県民の民意を無視して辺野古の海に土砂を投入しているのよね。この現実を知った沖縄県民は税金を支払うことが沖縄県民を苦しめることだと思うのではないかと思うわ。沖縄県民が嫌だと言っている辺野古米軍新基地建設のための税金は支払いたくないと思うようになるのは当然なことだと思うわ。
句郎 政府は国民の中の一部、強い力を持つ人々の意向を受けて、それらの人々のために税金を使っている。さらに政府は国民から税金を搾り取ろうとしている。だから誰でもが税金は支払いたくないと思うようになる。
華女 欠陥だらけのF35戦闘爆撃機を100機もアメリカから日本政府は購入を検討しているのでしょ。そんな人を殺すための戦闘機などを買うことはもってのほかだと思うわ。
句郎 防衛費だと言って戦闘爆撃機を買うのではなく、北朝鮮や中国と仲良くするための外交に重点を置くべきだよね。全国知事会は国民健康保険財政に一兆円の財政支援を要求しているのだから戦闘爆撃機を買うのを止め、国民健康保険財政健全化のために税金を使うべきだと思うな。
華女 安倍政権は国民のために税金を使うのではなくアメリカの防衛産業のために税金を使っているのかしら。
句郎 そうなのかもしれない。最近知った言葉にインフレーションタックスというカタカナ言葉がある。インフレーションを起こすのは国民から税金を徴収することだということのようだ。
華女 インフレーションは国民から税金を徴収することだと言うの?
句郎 政府は今年度も多額の借金をする予算案を通してしまった。インフレーションは政府の借金を目減りさせてくれるからね。
華女 インフレーションは私たちのいくらもない預金を目減りさせるということね。
句郎 インフレーションは政府が国民の預金を奪う合法的な強盗なのかな。
華女 自民党政府は本当に国民のための政治をしているのではなく、一部国民のための政治をしているということなのね。
句郎 残念ながら今の日本政府は国民のための政治をしているという振りをしているが、実際は圧倒的多数の国民のための政治はしていない。だから自民党は48回衆議院総選挙において全有権者の20%弱の得票しか得ていない。その前の総選挙では全有権者の17%ぐらいの得票しか得られていない。
華女 自民党は一強多弱なんて言われているわよね。でもそれほど自民党は全有権者の支持を得ているわけではないのね。
句郎 自民党は政治的無関心層に支えられている。

醸楽庵だより  1034号   白井一道

2019-03-23 12:09:54 | 随筆・小説



 



  二〇一九年三月例会 酒塾唎酒出品酒


   
A、雪の茅舎 山廃純米吟醸 秘伝山廃  720ml 1700円
  秋田県由利本荘市   株式会社 齋彌酒造店 明治35年(1902年)創業
  精米歩合:55% 伝統の技、山廃仕込みにより華やいだ香りと独特のきめ細やかな味は、通好みのお酒。

B、雪の茅舎 純米吟醸  720ml 1500円
  秋田県由利本荘市   株式会社 齋彌酒造店 明治35年(1902年)創業
  精米歩合:55% ふくよかで上品なのど越しとほどよい香りが生きているお酒。

C、雪の茅舎 山廃純米  720ml 1200円 
  秋田県由利本荘市   株式会社 齋彌酒造店 明治35年(1902年)創業
  精米歩合:65% 飲みあきしない酒質で適度な酸味があり燗にしてもおいしい純米のお酒。

D、谷川岳 純米吟醸 一意専心 720ml 1200円  3000本限定 2019年副杜氏角田貴之が醸す
  群馬県利根郡川場村 永井酒造
  精米歩合:60% ひたすら一つのことに集中し、醸し上げました。フルーティーな香、綺麗な酒に仕上げることができました。
   
E、谷川岳 吟醸 しぼりたて  720ml  928円 新酒ならではのフレッシュさを感じられる
  群馬県利根郡川場村 永井酒造
  精米歩合:60% 群馬県開発酵母「群馬KAZE」酵母を使用し、心地よい吟醸香と味を感じながらも喉ごし
のキレの良さも感じていただけます。

酒塾のしをり  第三五号。
 今回のテーマは日本一の杜氏だと言われているベテランの高橋藤一杜氏が醸した「雪の茅舎」と新人の若いと言っても三十代の杜氏角田貴之氏が醸した酒を飲み比べるということだ。
 高橋藤一杜氏の言葉
 酒は生きている。ここは、人間がしゃしゃり出る世界じゃない。
決して櫂(かい)入れをしない。決して水を加えない。本物の酒造りを目指した飽くなき挑戦が、何百年と続く酒造りの常識を覆した。
 仕込み蔵に足を踏み入れた途端、華やかな香りに包まれる。酒のにおい、ただそれだけではない。タンクの中でプチプチと弾ける泡の音、うごめく酵母、甘い麹の芳香、明治35年から受け継がれる蔵の空気…。すべてが混然となった馥郁たる香りが冬の冷え切った蔵の内部を満たしている。「早朝、酒蔵に入ると、何とも言えない幸福感に包まれる。蔵に勤めた者じゃないと分からない感覚ですよ」密閉された酒蔵に漂う芳香に浸ることができるのは、「蔵人たちの特権」という。ここは、米と水、米麹、そして蔵人の技が一滴を醸す世界。世間と隔離された「酒蔵」という舞台。厳寒の冬、海沿いの小さな酒蔵に仕込みの季節が訪れる。
 「農家が酒造りをすることはいい。その年に仕込む酒米の出来をしっかりと把握できるから。米の状態をつかまえて蔵に入れば、今年の米は溶けやすいか、溶けにくいか、どんな成分を持っているかを体が知っているから不安がない。データより何より、人間の勘でできるのがいい」
 角田貴之副杜氏の言葉
 酵母よ。元気になってくれ。酒蔵に満ちる酵母が生きる命の音に耳を澄ましていると小さな命の音が蔵全体に行き渡っていく。酵母の命の鼓動に感動する日々が酒造りでした。

  お詫び  同じ写真を載せてしまいました。どのように訂正したらよいのか、分からないのでこのままにしてしまい      ました。

醸楽庵だより  1033号  白井一道

2019-03-22 06:47:13 | 随筆・小説



   徒然草の時代



句郎 ヨーロッパ中世世界は楕円形の世界だと堀米庸三は著書『正統と異端』の中で述べている。楕円形は二つの中心を持つ図形だ。二つの中心を持つ世界が中世ヨーロッパ世界だ。ローマ・カトリック教会教皇と神聖ローマ帝国皇帝という二つの中心を持つ世界がヨーロッパ中世世界だとヨーロッパ中世史の泰斗は述べている。同じように日本の中世世界もまた二つの中心を持つ世界のようだ。京都御所に住まう天皇と鎌倉幕府将軍という二つの中心をもつ世界であった。
華女 日本の中世世界とヨーロッパの中世世界とは共通する性格を持つ社会だったのかしら。
句郎 ローマ・カトリック教会教皇は権威を有し、神聖ローマ帝国皇帝は権力を握っていた。
華女 日本の場合は京都の天皇が権威を持ち、鎌倉幕府将軍が権力をもっていたということなのね。
句郎 そのようだ。人民を統治するには権威と権力とが必要だということなのかな。
華女 今でも日本人の天皇崇拝のようなものは強く残っているように思うわ。天皇代替わりに伴って元号を変え、存続を希望する国民は80%近くいるというニュースを見たわ。
句郎 西洋の古代世界の中心は地中海世界だった。古代ローマ帝国の世界が同時に地中海世界だった。この地中海世界、ローマ帝国がイスラム世界に奪われると古代ローマ帝国は崩壊し、ゲルマン民族がガリアの地に建国した世界が中世ヨーロッパ世界だった。その地域はアルプス山脈以北の地域、ガリアだった。どこまでも広がる針葉樹林の森の中だった。青空が広がる地中海周辺地域に比べて空はいつも灰色の雲が覆っている痩せた地域だった。
華女 政治や文化の中心が古代はイタリア半島のローマだったとしたら中世ヨーロッパの政治や文化の中心はアルプス以北の地になったということなのね。
句郎 日本の場合も奈良・平安の古代世界の中心は奈良や京都であったのが中世鎌倉時代になると近畿から関東に政治や文化の中心が移動していく。
華女 時代とともに富の中心地が変わっていくということなのね。
句郎 最終的に関東が政治・文化の中心になるのは明治時代になってからのようにも感じるけどね。
華女 江戸時代は江戸が政治や文化の中心地になっていたのではないかしら。
句郎 でも京都の文化は根強いものがあるように思っている。
句郎 『徒然草』を書いた吉田兼好法師が生きた時代は13世紀末ごろから14世紀前半だった。この時代は鎌倉時代の末から室町時代にかけての時代だった。この時代は武家支配が確立したころだった。関西以西に権力基盤を持っていた朝廷勢力が最終的に武家政権に敗北したのが1221年の承久の乱だった。朝廷勢力を結集した後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが、朝廷側の敗北に終わった。後鳥羽上皇は隠岐に配流され、以後、鎌倉幕府では北条氏による執権政治が100年以上続く。これ以後朝廷を監視する六波羅探題を京都に置き、朝廷の権力は制限され、皇位継承等にも影響力を持つようになっていった。
華女 兼好法師は武家の権力が揺るがないものになりつつある時代に生まれ、新しい時代に生きた人だったということなのね。
句郎 だから関東の文化を受け入れていく過程の人だった。その一つが『徒然草』119段「鎌倉の海に」という文章がある。「鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ」とある。鰹は下人の食べ物だったのが高級品になったと書いている。これは関東の文化が上品なものになったということだ。
華女 鎌倉の食文化が京の食文化を変えてきているということなのね。
句郎 鎌倉時代末期ごろから始まった関東の文化が日本文化の中心になっていった。その結果が芭蕉の句に結実している。「鎌倉を生きて出けり初鰹」。兼好法師の文章が芭蕉の句を準備した。