醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  777号  白井一道

2018-06-30 12:29:29 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「今日よりや書付消さん笠の露」  芭蕉


句郎 俳句になる。俳句だというには何が必要かな。華女さん、知っている?
華女 私に知っているとは、失礼じゃないの。
句郎 そうだったね。まず第一には季語だよね。
華女 俳句は季語ね。俳句を楽しむには季語の知識が必要だと思うわ。
句郎 二つ目は「切れ」だね。「切れ」があると韻文としての余韻が出て来るように感じるからね。
華女 そうね。「古池や蛙飛込む水のをと」を「古池に蛙飛こむ水のをと」じゃ、俳句じゃないわよね。
句郎 季語と「切れ」があれば、なんとなく俳句になったような気がする。
華女 そうね。そんな気持ちになるわ。
句郎 それに「笑い」があるといいんじゃないかな。
華女 「笑い」ね。
句郎 そうなんだ。俳句は江戸庶民の文芸として生まれてきたものだからね。庶民の生活には「笑い」がないとやってられないなと、生きる辛さみたいなものが庶民にはあるからそれらのことを笑いたいということなんじゃな
いかと思うんだけれど。
華女 句郎君が今日、問題にしているのは「切れ」でしよう。「今日よりや書付消さん傘の露」。この句の「切れ」について句郎君は何か、問題でもあると思うの。
句郎 「や・かな・けり」という言葉は代表的な切字だよね。「や」の字のところで「切れ」ていると鑑賞するのが普通だよね。「今日よりや/書付消さん傘の露」と解釈していいと思う。
華女 そうよね。それでいいじゃないの。そう解釈したら問題なの。
句郎 長谷川櫂氏がね、『「奥の細道」をよむ』という本の中で「今日よりや」の「や」より「書付消さん」と「笠の露」の間の「切れ」が深いと述べている。
華女 じゃぁー、この句は「今日よりや書付消さん」と「笠の露」との間で切れていると主張しているのかしら。
句郎 その通り。でも「今日よりや」と「書付消さん傘の露」との間でも浅い「切れ」があるとも言っている。
華女 この句は三句「切れ」の句なの。
句郎 そうではなく、「今日よりや書付消さん」と「笠の露」との取り合わせの句だと主張している。
華女 そうなのかしら。今日より「笠の露」が笠に書付た文字を消してしまうだろうという句じゃないの。
句郎 華女さんは一物仕立てということかな。
華女 違うのかしら。
句郎 俳句は読者のものだよ。読者が自由に読んでいいのだから。それが俳句の良さだと思うから華女さんの解釈が間違っているということはない。
華女 そうでしょ。私はそれでいいのじゃない。
句郎 問題は笠に書付た文字を消したのは何かということだと思う。
華女 「笠の露」じゃないの。
句郎 いや、芭蕉かもしれない。今日からは一人になるんだからね。
華女 あー、なるほどね。
句郎 「乾坤無住同行二人」(けんこんむじゅうどうぎょうににん)の文字をお遍路さんは笠に書いた。
華女 芭蕉と曾良もこの文字を笠に書いていたのね。
句郎 そのようだ。自分たちを遍路と自覚していた。



醸楽庵だより  776号  白井一道

2018-06-29 11:00:17 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』から「山中や菊はたおらぬ湯の匂」 芭蕉


 菊水は不老長生の霊薬なり

        山中や菊はたおらぬ湯の匂


 俳句は省略の文芸だ。「山中」という言葉が「山の中」という意味ではなく、「山中温泉」という意味であることが分からなければこの句を味わうことができない。さらに「其功有明に次と云」という芭蕉の言葉が「山中や」という言葉の意味を豊かにしている。「有明」という言葉が「有馬温泉」の間違いだという注釈があってなるほどと合点がいく。芭蕉の言葉とその言葉の間違いを正す注釈があって初め
て「山中や」という言葉が表現している内容が明らかになる。すなわち「枕草子」の三名泉にも数えられ、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされた有馬温泉の効能に山中温泉の効能は次ぐ。山中温泉はこのような名湯なのだ。「山中や」という言葉についてこのような理解があって初めてこの句を味わうことができる。実に厄介なことだ。
 「菊はたおらぬ」。この言葉もまた厄介である。「菊はたおらぬ」という言葉は「菊を温泉にたおらぬ。菊を手折って温泉に入れない」と
いう意味である。この言葉は菊を温泉にいれなくとも温泉の霊効はある。このようなことを意味している。菊を温泉に入れると効能が増す。このような言い伝えが当時あったということを知って初めてこの句の理解ができる。
菊の花に滴り落ちた水を飲むと不老長生の薬になったという逸話が広く江戸庶民の中に広がっていた。その逸話を広めたのが謡曲「菊慈童」である。その内容は中国、春秋時代、周の穆王が寵愛していた童が誤って王の枕を跨いでしまった。この行為は死罪に値するものであったが、罪一等減じられて、深山幽谷の山の中に捨てられた。慈童は菊の花・葉にしたたり落ちた水を飲んでいると何百年間もの間、美少年のままだったという。慈童の若さと美しさを寿ぐ舞が謡曲「菊慈童」のクライマックスである。この物語が菊水には不老不死の霊能があるという逸話を広めた。
この逸話にあやかって現在にあっても「菊水」という銘柄の酒がある。しかしこの酒を飲むと不老不死だという逸話は生まれなかった。
 以上のような予備知識を持って「山中や菊はたおらぬ湯の匂」を読むとこの句を味わうことができる。芭蕉は山中温泉の湯につかり、好いお湯だと手ぬぐいでも頭に乗せて手足を伸ばしただけの句だとわかる。川のせせらぎが聞こえる山の中の温泉につかり、立ち上る湯気の香りに疲れが癒される。深い安らぎを覚えたその気持ちが表現されているのだなぁーと納得する。
 芭蕉は山中温泉に十日間、滞在している。本当に気に入った温泉だったようだ。およそ百八十日間に及ぶ旅がいよいよ終わろうとしている。その精神的な疲れが山中温泉につかることによって癒されたことだろう。
 どうにか死ぬこともなく旅を終えることができそうだという安心感のようものを表現した句のなのかもしれない。俳句という文芸は読者にいろいろなことを想像させる力がある。これが俳句の魅力だ。
 山中温泉はいい湯だった。これだけのことを言ったに過ぎない。散文では読者に想像力働かせる力がない。
 五七五で表現された短さが大きな大きな意味に膨らむ。ここに韻文が持つ力があるのだろう。

醸楽庵だより  775号  白井一道

2018-06-28 12:52:09 | 随筆・小説


  石山の石より白し秋の風  芭蕉


 「石山の石より白し秋の風」 『おくのほそ道』より  芭蕉


 この句は取り合わせの句なのか、それとも一物仕立ての句なのかなか。ある人は一物仕立ての句だと述べ、さる人は取り合わせの句じゃないのと述べるだろう。私はこの句を一物仕立ての句じゃないかなと思っている。これは私の主観だ。俳句の解釈に客観的な真実というものがあるのかどうか、疑問である。
 古くから取り合わせの句だ。いや一物仕立てだと主張する意見があるようだ。問題は「石山」にある。この「石山」がどこの「石山」
かが問題なのである。一方は近江の「石山寺」の石山だと主張する者がいる。他方は那谷寺にある石山だろうと主張する。
 石山を近江の石山寺だと解釈すると那谷寺の石は近江の石山の石より白い。そこを秋風が吹いている。このような意味になる。「石山の石より白し」と「秋の風」とを取り合わせた句だと解釈する。この解釈は「付きすぎ」だという批判が聞こえてきそうである。このような主張に対して「石山」は那谷寺の石山だと読むと那谷寺に吹く秋の風は石山の石より白いという意味に
なる。これは一物仕立てということになるだろう。
 芭蕉は那谷寺の石山を見て、詠んだ句なのだから一物仕立ての句だと読むのが自然だなと私は感じる。それとも芭蕉は那谷寺の石山を見て、こりゃ、本当に白いなぁー、透き通るような白さだ。近江、石山寺の石より白いじゃないかと曾良と話し合ったのかもしれない。事実はどうだったのか、今から三百年前のその場に行くことができない以上、永遠にわからない。現在の私たちにできることはこの句の意味を解釈し、どちらの解釈がより「秋風」の真実を表現しているかということに尽きる。
 芭蕉が私淑した西行は秋風を次のように詠んでいる。
おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風  『新古今集』
 秋風はどのような人にも物を思わせる不思議な力があるなぁー。人は秋風に吹かれるとどうして物思いにしずむのだろう。
夏目漱石が痔の手術で入院したときに次のような句を詠んでいる。
秋風や屠られに行く牛の尻
暗黒に世界に引っ張られていく自分の後ろ姿をもう一人の自分が見ているなぁー。錦と輝く紅葉は秋風に散る。真っ暗闇の冬に向かって輝きは透明な白い世界に変わり、やがて漆黒の世界に至る。秋の真実は透明な白い世界なのだ。「屠られに行く牛の尻」に白い世界を漱石は感じた。「秋風」の白さを漱石は表現している。
 内田百閒は秋風を次のように詠んでいる。
欠伸して鳴る頬骨や秋の風
 齢を重ね、欠伸をしても頬骨がなるようになってしまった。老いとは色気が無くなっていくね。秋の風に吹かれ暗闇の向こうには透明な白い世界が待っているような気がするなぁー。
内田百閒は「欠伸して鳴る頬骨や秋の風」と秋風の白さを詠んでいる。
秋風に吹かれると今まであったものがなくなっていく。その無常を人は感じる。今まで常にあったものが失われていく、その哀しみの気配に気づくのが秋の風なのかもしれない。
 石山の石より白し秋の風
取り合わせの句だと解釈すると「石」の白と「秋風」の白とが近づきすぎて、表現された世界が小さくなってしまう。那谷寺に吹く秋風は石山の石より白い透明な風だと芭蕉は感じた。

醸楽庵だより  773号  赤々と日は難面(つれなく)も秋の風 芭蕉

2018-06-27 11:52:03 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』から   白井一道  


句郎 「赤々と日は難面(つれなく)も秋の風」。この句の前書きに「途中唫(ぎん)」とある。唫は吟でいいと思う。
華女 漢和辞典を調べてみたら「唫」という字はあったわ。
句郎 でも「途中唫(ぎん)」という熟語はどうなの。
華女 漢和辞典にはそのような熟語は無かったわ。「途中吟」でいいんじゃないかなと思うわ。
句郎 「途中吟」とあるからどこからどこへ行く途中で詠んだのか、いろい
ろ議論があったみたいだ。
華女 どこからどこへの途
中で詠んだのかしら。
句郎 途中吟という点では「那古の浦」から「金沢」への途中なのか、それとも「金沢」から「小松」への途中かということだと思う。途中吟でなく、「金沢」で詠んだという主張もあるようだ。
華女 「金沢」で詠んだという主張は金沢に至る途中で句が出来て、金沢で書きとめたということ。
句郎 そうじゃなく、金沢の「立意庵」で秋の納涼俳諧を捲いた。その発句
「赤々と日は難面(つれなく)秋の風」であったという主張のようだ。
華女 曾良の「俳諧書留」に記録されているの。
句郎 この「赤々と日は難面(つれなく)秋の風」と言う句は曾良の「俳諧書留」にはない。
華女 どうしてこの句が金沢の「立意庵」で秋の納涼俳諧を捲いた際の発句だということが分かるの。
句郎 文化年間というから芭蕉が亡くなっておよそ百年後、豊島由誓が筆記した『俳諧秋扇録』にこの句が載っているからだ。
華女 句郎君、詳しいわね。
句郎 そんなことないよ。図書館で借りてきた金森敦子著の『「曾良旅日記」を読む』の中にある。
華女 街道をテクテク歩いている時に感じたことを詠んだ句のように思うわ。
句郎 そうだよね。「赤々と日は難面(つれなく)も」というのは西日に照り付けられて歩いている時に芭蕉が感じたことじゃないかと思うよ。
華女 そうね。晩夏の夕日、赤い夕陽でなく、煌々と照る夕日よね。照り輝く西日よ。
句郎 暑いあつい夕陽の中を歩いていると突然一筋の風に涼しさを感じる。この涼風に秋を感じるという句だと思う。
華女 古今集にあったわね。
句郎 藤原敏行の「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という歌かな。
華女 そうよ。この歌よ。芭蕉はこの歌が頭にあったのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。今の暦で立秋の頃はとても暑いからね。
華女 表現されていることは同じね。
句郎 表現されていることは同じあっても、俳句と和歌の違いがあるように思う。
華女 どんな違いがあるの。
句郎 「赤々と日は難面(つれなく)も」と芭蕉は表現している。この言葉の特に中七の「難面(つれなく)も」という言葉に俳句の味わいある。人情がないなぁーと、いう気持ちが表現されている。ここに俳句があるように思うんだけれどね。
華女 泣き言をいう自分を笑っているということね。
句郎 そうだよ。愚痴っているんだ。愚痴を言う自分を笑う。これが俳句というものなんじゃないかと思う。
華女 私もそう思うわ。和歌は泣き、俳句は笑うのね。

醸楽庵だより  772号  田酒  白井一道

2018-06-26 14:02:50 | 随筆・小説
 
 
  青森の名酒「田酒」

    


侘輔 ノミちゃん、日本三大歓楽街というとどこかな、知ってるかい。
呑助 どこでしょうね。東京の歌舞伎町は東洋の歓楽街でもあるわけでしょうから、まず第一の歓楽街は新宿・歌舞伎町でしょうね。第二はやはり大阪でしようかね。大阪というとキタでしようか。それとも札幌・ススキノあたりでしようか。第三は福岡・中州でしようね。
侘助 札幌・ススキノが大阪の歓楽街を凌いでいるらしいですよ。
呑助 あっ、そうかもしれませんね。
侘助 先日、日本を代表する札幌の大歓楽街・ススキノがえらく寂しくなっているという話を聞いた。
呑助 へぇー、そうですか。
侘助 飲屋ばかりの入ったビルのネオンは点いているが三割ぐらいの店が営業していないらしい。
呑助 もしかしたら、消費税増税の影響でしようかねぇー。
侘助 そんなことはないとは思うんだけどね。今、全般的にデパートを初め、消費者の動向に大きな変化が現れてきているらしい。
呑助 日本酒にはどのよう
 な変化がでてきているでしょうか。
侘助 もう、十年も前の話になるけれども、野田に大きな酒問屋A商店があったけれども店を閉めた。
呑助 代変わりしてから徐々にダメになったと聞いていますよ。
侘助 そうらしい。小売店に対して横柄だったと。
呑助 小売店に横柄じゃ、売って貰えないですね。
侘助 確かにね。東京に全国展開している地酒の酒問屋・小泉商店がある。
呑助 山形の「出羽桜」や石川の「手取川」を持っている酒問屋ですね。
侘助 うん。そうだ。その酒問屋から去年、抜け出た酒蔵がある。青森の酒蔵「田酒」を醸す西田酒造だ。酒問屋に酒を卸すことを辞め、直接酒販店に卸すことにしたようだ。
呑助 一切、問屋に酒を卸さないんですか。
侘助 そうらしい。日本全国にある百三・四十店の酒販店を特約店にしてここだけに酒を卸すようにしたらしい。一切、問屋との付き合いを止めてしまった。それでも生産が追い付かないようだよ。
呑助 青森の「田酒」ですね。
侘助 「田酒」というと浅草の居酒屋「松風」を思い出すんだ。「田酒」と「出羽桜」を一杯づつ飲むとそれ以上売ってくれない店だよ。
呑助 そんな居酒屋があるんですか。
侘助 珍しい居酒屋なんだ。「田酒」は飲み飽きしない酒なんだ。綺麗で咽越しがいいんだ。
呑助 はっきりした個性のない酒なんですね。
侘助 そうなんだ。自宅で一人、飲む酒にしては物足りない、そんな感じを私は持っているんだけどね。それが料飲店で飲む酒にしては具合がいいのかもしれない。何しろ、すいすい入っていくからね。料飲店では使い勝手いいお酒のようなんだ。
呑助 料飲店用のお酒なんでしようね。
侘助 酒質が確かに「獺祭」に似ているようにも感じるな。軽快で飲み飽きしない酒だから。「獺祭」も「田酒」も酒問屋に卸さず、特約店の酒屋に卸す。消費者はコンビニやスーパーで日本酒を買うことをしなくなってきている。専門店で日本酒を買うようになってきている。

































醸楽庵だより  771号  唎酒、6月例会  白井一道

2018-06-25 12:47:46 | 随筆・小説


   唎酒の会 出品酒


       

二〇一八年六月例会 酒塾唎酒出品酒    6/24

A、出羽桜 純米大吟醸酒 雪女神 四割八分  720ml 1600円 
  山形県天童市  出羽桜酒造株式会社
  酒造米:雪女神  精米歩合:48%精米  アルコール度数:16%

B、うぐいすの囀り 生原酒   720ml 1350円
  山梨県南巨摩郡  株式会社萬屋醸造店  春鶯囀(しゅんのうてん)の銘柄が有名
  精米歩合:60%   アルコール度:17.5%  軽快さを追求している。

C、弥栄鶴 夏蔵舞   720ml 1220円  季節商品、夏の酒
  京都府京丹後市  竹野酒造有限会社
  京都府の日本海側に位置する丹後半島。
 天橋立が有名なこの地は米どころでもあり、この小さな半島の部分だけで9件の酒蔵が存在しています。

D、紀伊国屋文座門 純米酒  720ml 1200円
  和歌山県海南市  中野BC株式会社 
 酒造米 山田錦、出羽燦燦   精米歩合 麹米58% 掛米65%  アルコール分18度 
 その旨さ…半端ないって!!限定の日本酒をあえて夏に瓶詰した酒蔵の思惑とは?!

E、三千盛(みちざかり) 本醸造 720ml 980円  
 岐阜県多治見市笠原町   株式会社 三千盛
 精米歩合:55% 日本酒度:+16、アルコール度数:15%
 三千盛は、「超からくちの酒」でありながら、癖がなくすっきりとキレのある味わいの日本酒で、食事と一緒に味わっていただきたいお酒です。
昭和30年代のはじめに、濃い甘口のお酒が主流であった中で、創業から引き継がれた製法を守りつつ、時代に合わせた味作りへの努力を続け、精米歩合50%・日本酒度+10の特別な超からくちのお酒「三千盛」が誕生しました。


酒塾のしをり  第二七号
 今回も、夏の日本酒です。山形を代表する名酒といえば、出羽桜の酒でした。その後、山形県には続々と名酒が生まれました。その中で有名になったお酒が「十四代」でした。1980年代の終わりごろから90年代にかけてであったでしようか。その頃の日本酒ブームの頂点を極めた酒が「出羽桜」「十四代」だったでしようか。その頃、知る人ぞ知る。名酒の誉れ高いお酒が「春鶯囀」でした。
  夏、飲んでおいしいお酒は軽快な辛口のお酒のようです。今世間では、甘口のお酒が好まれているようですが、お酒の味がわかる我々にとっては、軽快、辛口の酒といえば、岐阜の「三千盛」でしよう。日本酒度+16の超辛口のお酒こそ夏の酒にはふさわしいと思いますが、いかがでしよう。
  「弥栄鶴」京都丹後のお酒です。有限会社で頑張っている蔵のようです。有限会社には信用があります。私は初めてのお酒ですが、きっと心のこもったお酒なのではないかと思います。舌の上で転がし、酒の味を心行くまで味わってほしいと思います。京都の伝統が色濃く残っている蔵が醸した酒とは、どんなものなのかを知ってほしいと思います。和歌山の酒を楽しむのは酒塾では初めてだと思います。


 

醸楽庵だより  770号  白井一道

2018-06-24 13:08:59 | 随筆・小説


  国権酒造


侘輔 今日の酒は、南会津、田島にある酒蔵の酒なんだ。
呑助 山深い豪雪地帯の酒だな。
侘助 一月、二月には一メートルぐらい雪が積もる所らしい。
呑助 東武野岩線田島駅に近い酒蔵なのかな。
侘助 歩いて五分くらいの所にある山の街の小さな酒蔵のようだよ。
呑助 雪深い山の中の小さな酒蔵というとそれだけで、なにか、ロマンを感じるな。
侘助 福島県内でも美味しい酒を造る酒蔵として注目されている蔵のようだよ。
呑助 何という杜氏さんが醸した酒なんですか。
侘助 南部杜氏、佐藤吉宏さんが醸した酒なんだ。毎年、南部杜氏会ではその年に醸した酒を持ち寄り、清酒鑑評会をしている。今年、この鑑評会で金賞受賞した酒が今日、飲む「国権・純米大吟醸」という酒なんだ。
呑助 金賞受賞酒というと値が張るお酒なんでしょうね。
侘助 ネットで調べてみると税込で5.450円になっていたよ。それを今
日は、3.780円で売って貰ったよ。
呑助 そりゃ、良かったですね。
侘助本当に助かったよ。普段、飲めない酒だからね。
呑助 本当ですよ。そんな酒を自宅で飲んでいたら、女房に怒鳴られちゃいますよ。たいした働きもないくせに、そんな高い酒が呑めるの、なんてね。
侘助 薹(とう)が立った女房は口うるさく、思い切ったことを言うからね。
呑助 今日の会は日本の飲酒研究だから、胸を張って飲めるけれどね。
侘助 国権酒造の酒は、あまり馴染のない酒なんだ。今までも数回しか飲んだことのない酒なんだ。
呑助 初めての酒ではないんでしょ。
侘助 そうなんだ。福島の酒だからね。会津田島には阿賀川が流れている。この川の鮎は現在も禁漁になっているらしいからね。
呑助 福島原発の放射能の影響ですかね。
侘助 最近も宇都宮の小学校給食に出された筍にセシウムが入っていたというニュースがあったばかりだからね。
呑助 国権酒造さんの水は大丈夫なんですかね。
侘助 軟水らしい。軟水は数百年の年月を経て湧き出してくる水だから、大丈夫なんじゃないかな。酒蔵でも仕込み水は検査しているからね。
呑助 米はどうなんですかね。
侘助 米は美山錦で醸している。美山錦というと代表的な酒造好適米の一つだ。昭和53年長野県農事試験場にて「北陸12号」を母、「東北25号」を父とした「たかね錦」に放射線処理を行い、突然異変によって誕生した比較的新しい酒造好適米のようだ。。醸した酒は、スッキリと軽快な味わいになると云われている。北アルプス山頂の雪のような心白があることから美山錦と命名され、主産地は長野だが、東北各県でも栽培されているようなんだが、福島県では美山錦を栽培していないそうだ。国権酒造は兵庫県産の美山錦を使っているそうだ。この酒は兵庫県産の美山錦を使って醸している。きっと切れの良い、軽快な酒になっていると思っているだけどね。飲むのが楽しみだよ。

醸楽庵だより  769号    白井一道  

2018-06-23 12:42:22 | 随筆・小説


  上着きていても木の葉あふれだす  鴇田智哉


 日曜、朝のNHK俳句を楽しみにしている。先日、神野紗希氏がゲストとして出演し、鴇田智哉氏の句を紹介した。この句は現代の
気分が表現されているというような発言をした。鴇田氏の句が何を表現しているのか、私には全然わからなかった。寒くなってきたか
ら上着をきてゐても「この葉あふれ出す」。何を言っているのか、全然通じない。こんなのが現代の俳句なのか。こんな句が今の若者の心に染みるとはなになんだ。
 調べてみたら、鴇田氏は45歳だ。若者とは言えないな。中年の親爺がこんな人を煙に巻くような句を詠み、若い俳人と称する人々に人気を得ているようだ。
 また、「上着きてゐても」と「い」の字を旧仮名「ゐ」を用いている。現代仮名遣いの「い」ではなく、旧仮名の「ゐ」で表現しようとしたことは何なのか。「ゐ」は「wi」だ。だから少し間ができる。「い」は「i」だ。間が抜けるのかな。「ゐ」の方が「い」よりゆっくりした時間が流れるように感
じる。何べんも声を出してこの句を読んでいるうちにふっと気づいた。寒くなってきたなー。上着を着ていーても木の葉が木から落ちてくるように私の心から言の葉があふれてくる。そういえば、今の日本社会は経済成長が止まり、給料が上がっていくことがない。正規職員への就職は難しい。豊かさのようなものが感じられない。上着を着ていても、寒い、寒いと木の葉があふれだすように不平、不満があふれだしてくる。
 バブル景気に酔った若者がジュリアナ東京で踊り狂った話を聞くにつけ、今の若者はなんと寂しく、寒いのか、こんな若者の気分を表現したものが鴇田氏の句なのかもしれないと感じた。今の若者は寒くなっていく時代を軽く軽く受け流している。鴇田氏の句のこの軽さが今の若者の心に染みるのかもしれない。
 鴇田氏は上着を着て散歩でもしていた時の心象風景を詠んだものと私は理解した。
 鴇田氏はまた、文語でこの句を表現している。文語で句を詠むとどのような効果があるのだろう。
 山本健吉の「現代俳句」を読んだときに心に残った句があった。芝不器男の句である。「人入って門のこりたる暮春かな」。行く春の情緒が静かに表現されているなぁーと、しばらくぼんやりしていたことを思い出す。もう一句。「白藤の揺りやみしかばうすみどり」。垂れ下がった白い藤が静かに風に揺れている。揺れている白い藤の揺れが止まると白い藤に葉の緑が反射するのか薄緑に見える。ただそれだけの句だ。藤棚の下に一人たたずみ、藤の花をぼんやり眺めている自分が想像される。なんとなくゆったりした自分一人の時間が表現されているなぁー。
 これはもしかしたら文語で表現されているからなのかなと鴇田氏の句を読み感じた。
 『青春の文語体』」の中で安野光雅が言っている言葉を読んだ。文語文を知らなくとも楽しく生きていける。ただ「本当の恋をしらず」におわるだけだ。
 文語文を読むと人を大事にする気持ちがそこはかとなく湧いてくるのかもしれない。それは言葉が流れていく時間がゆっくりしているから。ゆったりした時間間隔が芝の句の魅力になっているのだ。




醸楽庵だより  768号  座の文学  白井一道

2018-06-22 17:31:41 | 随筆・小説

    
  座の文学とは


句郎 俳句は「座の文学」だと言われるけれど、それはどんな意味だと華女さんは思う?
華女 仲間で創作する文学というように私は理解しているわ。
句郎 そうだよね。仲間たちの共同創作というところに俳句という文学の特徴があるということだよね。
華女 俳句は共同創作だとしても作者ははっきりしているのよね。
句郎 そうなんだよね。個人が創作したものであると同時に仲間たちが創作したものである。ここに
 「座」というものの特徴があると思うんだ。
華女 「座」とはどんなものなのかしら。
句郎 「座」とは、座るという意味だよね。
華女 漢字の意味としては「座」は確かに「座る」という意味があるわね。
句郎 昔、貴族の位階を表す言葉に公爵とか、侯爵、伯爵、子爵、男爵というのがあったじゃない。
華女 今でもイギリスやフランスには伯爵令夫人なんていう人がいるんでしょ。お城みたいなところに住んで、良いわね。
句郎 貴族の位階を表す
 「爵」という字のもともとの意味は大きな盃を表す言葉だった。古代中国では王様を中心して酒盛りをした。燕をかたどった大盃・爵で酒を回し飲む。位の高い者から順に爵(大盃)で酒を飲む。王様に近い所に座る者は位が高い。遠くなるに従って位が低くなる。
華女 分かったわ。座る場所が貴族の位階を表すようになったってわけね。
句郎 そうなんだ。盃だった「爵」が貴族の位階を表す言葉になった。座敷に座る者、板の間に座る者、廊下に座る者、庭の白砂に座る者、どこに座るかがそのものの位階から身分をも表すようになった。だから「一座」とは同じ身分・位階の者たちが同じ場所に座る者という意味なんだ。
華女 日光・東照宮を拝観した時、嫌な思いをしたことがあったわ。説明役の禰宜が皆様の今座っている場所は十万石以上の大名でなければ座れなかった場所ですと侮蔑されたように感じたことがあったわ。
句郎 封建制社会は身分制だったからね。今でもこのような身分意識は強固に残っているようだよ。例えば、位の高い国会議員は位の低い議員と公的な場では同席しないとか、ということが不文律として今でも残っているようだよ。
華女 へぇー、そうなの。そういえば、お茶会なんかに行くとそんな雰囲気があるわね。
句郎 強固な身分制社会であった江戸時代、俳諧に遊ぶ者は公的な姓を名乗らず、名だけを唱えて、身分の違った人々とも同席した。これが「座」というものなんだ。同じ座敷に座る。これが仲間の始まりなのだ。
華女 その「座」での遊びが俳諧だったわけね。
句郎 そうなんだ。柳田國男が発見した「ハレ」と「ケ」で世界を分ければ、俳諧とは「晴」の世界で生まれた遊びの文芸では
なく、「褻(け)」の世界で詠まれた遊びが文芸になったものなんだ。だから俳諧の「座」とは仲間でもあるが、それは「褻(け)」の世界だけの仲間なんだ。「晴」の世界にでると個人が出現する。